画像は2013年6月18日、マツダスタジアム記者席で撮影された広島−日本ハム4回戦のスタメン

 

NHKテレビは12月10日早朝5時25分にエンゼルスからFAとなっていた大谷翔平のロサンゼルス・ドジャース入りを、大谷翔平自らがインスラグラムに投稿したとして文字スーパーで報じた。

 

 

午前6時ニュースでは詳細を報じた。

 

 

契約内容について米国メディアは10年総額7億ドル(約1015億円)と伝えており、すべてのプロスポーツの中で最高額。これまでは、サッカーのリオネル・メッシがFCバルセロナ時代に結んだ4年6億7400万ドルが最高だった。

 

大リーグ6年目の今季、打っては44本塁打、投げては10勝。大リーグ史上初の2年連続2桁本塁打2桁勝利、の対価は驚くべきものになった。

 

 

2012年、ドラフト1位指名で日本ハムに入団した大谷翔平は13年6月18日のマツダスタジアムでリアル二刀流の“試し切り”を行った。

 

 

五番ピッチャーでスタメン出場。「投」の方は松山竜平にソロアーチを許すなど4回81球4安打3失点だった。

 

「打」では降板後もライトの守備につき、4打席3打数1二塁打1四球1打点だった。

 

その時のエピソードについては、ひろスポ!特命班の手により以下の記事にまとめてある。この記事はネット上で数多く閲覧されている。

 

 

カープダイアリー第8305話「リアル二刀流をマツダスタジアムでスタートさせた大谷翔平、150メートル弾3年連続30発…のアナザーストーリー」(2023年7月1日)

 

 

エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム右翼席、巨大看板のその遥か上を通過する約150メートルの大アーチ。現地時間の6月30日(日本時間7月1日)、ダイヤモンドバックス戦大谷翔平が放った一撃には誰もが驚嘆した。映像解析装置スタットキャストが導入された2015年以降、同スタジアムでの最長記録。今季の全スタジアムで比べてみても最もぶっ飛ぶ一発になった。

これで大谷翔平は6月15本塁打29打点で月間打率も・394。シーズン後半に入ったばかりの通算打率・301はトップと6厘差の4位、残る打撃2部門はトップ…

「別の惑星からやってきた」と言われるレベルに達したその肉体、その精神力で二刀流を貫き、しかもメジャー三冠すら射程に捉えた。この夏もまた日米の話題を独り占めしそうな勢いだ。

異次元ショータイムを可能にするのは、体の大きさ、その腕の振りの速さ、肩回りなど関節部の可動範囲の広さ、スイングスピードの速さ、様々な視力とハンド・アイコーディネーション、そして足の速さなどなど…。日本ハムのスカウティング部門はそのことをあの夏までに見抜いていたのだという。

2012年7月の高校野球岩手県大会準決勝。大谷翔平はアマ球界最速の160キロをマークした。紆余曲折あり、結果的には日本ハム監督就任1年目だった栗山英樹氏に導かれて日本ハムへ。当時は「ピッチャー大谷」がクローズアップされていた。

球界の大御所たちは“そんなの無理”の大合唱、メディアからも懐疑的な目で見られるような状況にあって栗山英樹氏は「漫画の中から飛び出したようなキャラクターの選手を作りたい」と、自分たちの手でその未来を狭めるような発想は寄せ付けなかった。無論、成功するか、しないかの責任を自分ひとりがかぶるつもりで…

大谷翔平は常に先を見てコツコツと準備重ねることがきる。それは幼少期からの習慣でもあり、日本ハム時代もその蓄積を確実に二刀流成功へとつなげていった。

その第一歩、ルーキーイヤー2013年6月18日のマツダスタジアム。先発した大谷翔平は4回4安打3失点で松山に先制ソロを許すなどしてマウンドを降りたがチームは7対4で勝っている。

前日17日は札幌からの移動日だったが、広島入りした大谷翔平はマツダスタジアムに隣接するトレーニングジムでトレーナーとともに軽い筋トレを行った。今では登板後に220キロのバーベルで5回×5セットのスクワットまでこなせるようになった超人ボディもこうして作られたものだ。新井監督が引退前、40歳にして230キロをスクワットで上げたという”伝説”もあるにはあるが…

その3年後、2016年7月3日のヤフオクドーム(現福岡PayPayドーム)では「一番・投手」でスタメンン出場して、初回の第1打席で初球を右中間スタンドに運んだ。まさに「マンガの世界」。

「一番でランナーに出ても、ランナー残っちゃうかもしれないけど、ホームラン打って1対0で勝てばいいんだから、みたいな話をシンプルにして。ボクもビックリしました。本当にホームラン打っちゃったんで。これ、絶対に勝たせてあげなきゃって。あの試合くらい怖いというか、プレッシャーがかかった試合はなかったですね」(栗山英樹氏の後日談)

栗山英樹氏のサイン色紙に添えられる「夢は正夢」を正に地でいくストーリー。2013年2月、日本ハムの一員として初めてのキャンプに臨んだ大谷翔平が海を渡り、打って、投げて侍ジャパンを世界一に導き栗山英樹氏に恩返しするまでにはおよそ10年の歳月が必要だったが、この物語にはまだまだ続きがある。

マンガの世界の上を行くような超スーパースターと対戦できるのは、同じステージに立つ者にとっては幸せなことだ。

リアル二刀流の大谷翔平と対戦した2013年の野村カープ、その日のスタメンは…

ショート安部
セカンド菊池
センター丸
ファーストエルドレッド
ライト松山
レフトルイス
サード堂林
キャッチャー石原慶幸
ピッチャー野村祐輔

…だった。

大谷翔平の活躍を見たり聞いたりする中で、菊池や堂林や松山は、その時のことを思い出したり、あれから10年後の自分がどういう存在になれているか?を自らに問いかけたりしているだろう。

特に松山は2016年の日本シリーズ第1戦でもマツダスタジアムのマウンドに上がった大谷翔平からエルドレッドとともにソロを放っている。この2発は代打要員としてベンチでスタンバイしていた新井監督もしっかりも届けている。

(後半部分割愛)

以上、ひろスポ!特命班&田辺一球