画像は6月11日のエディオンピースウイング広島

 

エディオンピースウイング広島での6月11日、W杯アジア2次予選開催は大きなインパクトを与えたようだ。

 

様々なメディアが様々な角度から日本代表vsシリア代表について報じた。

 

その中で、ひろスポ!から見て、森保一監督の”涙”の裏側にあるであろう過去を一番、適切に綴ったのが東スポだった。

 

記事のタイトルは「【日本代表】森保監督が国歌斉唱時に〝号泣〟した理由 盟友・武田修宏氏が明かす」だ。

 

 

この記事の中で元日本代表で森保一監督と「カタールの悲劇」も経験した武田修宏氏(57=東スポ評論家)が、広島の新サッカースタジアム建設に向けてのアクションが遅々として進まなくなった時に「まだまだ広島は野球かなあ」(記事そのまま引用)とこぼしたことが紹介されている。

 

このような言葉を報じたメディアはひろスポ!が知る範囲では過去には存在しない。

 

それをひろスポ!流に言い換えれば「まだまだ広島はカープかなあ」となる。もちろん森保一監督からそんな言葉は聞いたこともないし、本人の本心ではないかもしれない。

 

だが、どこよりも長く、深くエディオンピースウイング広島が完成するまでの過程を見てきた(と勝手に自負している)、ひろスポ!広スタ特命取材班にしてみれば、そのひと言だけでいろいろなものが見えてくる。

 

”サンフレッチェ広島を旧広島市民球場跡地に入れる訳にはいかんだろ”がカープ球団の本音であり、だからあらゆる手を使ってメディアをコントロールしにかかっていた。違うといは言わせない。なんせ、ひろスタ特命取材班もその中の当事者のひとり、なのだ。

 

だから広島のメディアが伝えきれなかったことを、東スポがは代弁したことになる。

 

ひろスポ!では新スタジアム建設に向け「遅々として進まななくなった」理由を、広島市の松井一実市長が「サンフレッチェ広島は2位でいい」と言い放った2013年12月以降、徹底的に調べ上げてきた。

 

おそらく森保一監督自身も、なぜそうなのか?自らが先頭に立ち、スタジアム建設に向け活動する中で、どこかのタイミングで気づいたのではないか?新スタジアム建設の先頭に立った人たちの中に間違いなく森保一監督もいる。そして2027年7月、サンフレッチェ広島監督を解任されると会見を開くこともなく失意のうちに広島を去って行ったのである。

 

カープ球団と新サッカースタジアム建設までの道のり。

カープの松田元オーナーは、旧広島市民球場跡地にひろしまゲートパークが誕生した際の式典に姿を見せていたが、エディオンピースウイング広島の式典には姿を見せなかった。マツダスタジアムの指定管理を任されているカープ球団のトップだから、同じくサンフレッチェ広島が指定管理するエディオンピースウイング広島の式典には”兄貴分”として参列する方が合点がいく。誰も気づいていないのか?あるいは気づいていても口にしないのか?こうした事実をひとつ、ひとつ積み重ねていけば見えてくるものがある。

 

 

<ひろスポ!><新サッカースタジアム><中国新聞><サッカースタジアム検討協議会><松井市長><2位でいい><久保允誉会長><3度優勝したら><旧広島市民球場跡地><基町><広島みなと公園><3者会談><広島県サッカー協会><NG><オウンゴール><カープ球団>などを組み合わせて検索すれば、エディオンピースウイング広島完成までの、あきれるほどの迷走ぶりが確認できる。

 

 

W杯で優勝を目指す森保一監督は日本のサッカーが発展し続けることを切に願い、ピッチに立ち続けている。過去には、その崇高な志に抗うような逆風が吹き荒れていた。例えば等々最後まで地元の報道媒体の雄、中国新聞は旧広島市民球場跡地に新サッカースタジアムが建設されることを想定しての肯定的な記事を1行たりとも書かなかった。それは当時のサポーター、サンフレッチェ広島と選手たち、そして森保一監督の意思を完全いスルーしたと言っても過言ではないだろう。

放っておけば、また似たようなことが起こるし、すでに起こりつつある。

ひろスポ!は、私利私欲い走り、広島の何たるかを否定するような動きを見過ごすようなことはしない。

 

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<中国新聞に語る資格なし!新スタジアムの光と影、エディオンピースウイング広島の過去と今と未来(1)>(2024年1月24日掲載)