◆1968年千秋楽 〇若浪(つり出し)海乃山●(3月24日、大阪府立体育館)

 68年はまさに、荒れる春場所となった。横綱・佐田の山が引退、大鵬は全休、柏戸も9勝と大不振。大関・豊山、小結・麒麟児と平幕の若浪が2敗で並び、千秋楽を迎えた。まず、若浪が登場。東前頭筆頭・海乃山と左四つとなり、相手には上手を与えず。自らはがっちりと“黄金の右”でまわしを取り、ぐいっと得意のつりで左に運んだ。優勝決定戦が予想されたが、麒麟児も豊山も動きが硬く、相次いで敗れた。若浪の初優勝、22場所ぶりの平幕Vが決まった。

 「涙が出るほどうれしい。決定戦にもつれこむと思っていた。(麒麟児が負けた後の)豊山関の相撲は怖くて、とても見る気がしなかった」と若浪はハラハラドキドキの心境だったことを口にした。三役以上と当たったのは2人だけという幸運もあったが、得意のうっちゃりだけで5勝していたのも特徴的だ。

 178センチ、96キロの幕内最軽量ながら、組むと豪快につり上げる相撲は人気があった。実家は農家だったが、中1の時にはすでに、米俵(約60キロ)を担ぐ怪力だったという。当時は明武谷、陸奥嵐ら、つりを得意とする力士がいて、彼らとの対戦は「つり合戦」になり、観客を大いに沸かせた。

 当時を知る元関脇・藤ノ川の森田武雄さん(76)は「横綱や大関と対戦しても、土俵際でダーッと反って、うっちゃろうとしてましたよね。私はまわしを取られないように気をつけてました。酒は強いし、歌もうまかったですね」と懐かしそうに話した。酒は4、5升くらいは軽く、歌は村田英雄の「王将」が得意で、NHK福祉大相撲などで美声を披露すると、観客が聴きほれるほどだった。(久浦 真一)

 ◆若浪 順(わかなみ・じゅん)本名・冨山順。1941年3月1日、茨城・坂東市出身。57年春、初土俵。63年夏、新入幕。72年春、引退。最高位は東小結。通算成績568勝557敗20休。得意は左四つ、寄り、つり、うっちゃり。優勝1回、敢闘賞2回、技能賞2回。金星3個。引退後は年寄・大鳴戸を襲名。07年4月16日、死去(享年66)。178センチ、96キロ。