◆米大リーグ ブレーブス1―9パドレス(19日・米ジョージア州アトランタ=トゥルイストパーク)

 パドレス・ダルビッシュ有投手(37)が19日(日本時間20日)、敵地・ブレーブス戦に先発して7回2安打無失点の快投で今季4勝目(1敗)を挙げ、日米通算200勝(日本93勝、米国107勝)を達成した。偉業達成に、宮城・東北高時代の同級生で、ともに甲子園で活躍した真壁賢守(けんじ)さん(38)が祝福の手記を寄せた。大学、社会人でも野球を続けた真壁さんは高校野球ファンから「マカベッシュ」と親しまれたが、裏にあったダルビッシュとの“友情秘話”をつづった。

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 有、日米通算200勝おめでとう。テレビ越しではありましたが、200勝がかかった試合の重圧とか全く感じさせない、いつもの投球でした。これまで有が野球界や社会に与えてきた影響は計り知れないもので、世界中に唯一無二の存在として認知されているでしょうが、今回の偉業で、私を含めたファンの胸に一層、刻まれると思います。

 高校時代は二枚看板と言われることもありましたが、私自身は肩を並べていたつもりはなく、その代わりに「有の2番手」であるプライドを持っていました。絶対に負けられない試合に絶対的エースである有を万全な状態で送り出すという役割に、自負を持っていました。良い意味で遊び感覚で投げていたこともあったけど、本気を出した時の有は手を付けられないものでした。

 私の野球人生において、有の存在が大きく影響したことは間違いないです。高校から大学、社会人で野球をしていた頃はもちろん、野球を辞めた今ですら、私の枕詞は「ダルビッシュの…」ですから(笑い)。プレーヤーとしてのレベルを上げてくれた存在だった一方で、高校卒業後は「ダルビッシュの…」と見られることで、こんなもんじゃいけない、と自らを苦しめて野球を辞めようと思う時もありました。私には有のように「自分を信じ貫く」強さが足りなかったんだと思います。

 ただ、感謝の思いは尽きません。16年12月、Honda野球部投手コーチの退任が決まり、野球から完全に離れることになった時、やっぱり最後にその思いを伝えたいとメッセージを送ったんです。「有のおかげでここまで来られた。本当にありがとう」と伝えたいことだけシンプルに。

 送ったのは日本の夕方過ぎだったので、米国はきっと真夜中。それなのに10分もしないうちに返信が来て、「俺だって真壁のおかげで注目されたところもあるしお互い様。これからまだまだ人生続くからお互い頑張ろう!」って。私は高校時代から有の存在を一番の原動力としてきましたが、熱量は違うとしても、有にとっての私の存在を初めて知ることができました。お互い短いやり取りでしたが、その言葉だけで、野球を続けてよかったと報われた気持ちになり、思い残すことなく野球に区切りをつけることができました。

 昨年、WBCの韓国戦で先発マウンドに立つ有の姿から「畏敬の念」を抱きました。これまで幾度となく凄みを感じる場面はあっても、そんな感情は初めてでした。あれだけ注目される大会の最も大事な試合を任された使命に対する相当な覚悟と責任、そしてそこに至るまでの有の野球人生のプライドを感じました。

 これからも有の活躍を、まだまだ楽しませてもらいます。そして引退後に待っているであろう、有にしかできない野球の伝道師としての役割を全うできることを心から願っています。

 また一人の友人として会える日を楽しみにしています。改めて200勝おめでとう!これからも頑張れ、有!

 ◆真壁 賢守(まかべ・けんじ)1986年5月3日、宮城・村田町生まれ。38歳。村田三小4年時に野球を始める。東北高では03年夏の甲子園で準優勝。179センチのサイド右腕として、黒縁メガネでもファンの注目を集めた。東北福祉大、ホンダでプレーし、11年限りで現役を引退。同社で投手コーチを務め、16年限りで退任して野球に区切りを付けた。

 ◆ダルビッシュと真壁 ダルは03年春から4季連続、真壁は03年夏から3季連続で甲子園に出場。03年夏の1回戦・筑陽学園戦で先発したダルだが、腰痛の影響もあり2回降板。7―2の3回無死満塁から3番手で登板した背番号18のサイド右腕・真壁が、1点差に迫られながら最後まで投げきって初戦を突破。その直後、ダルは真壁の帽子のつばの裏に「二本柱」と書くなど、強力投手陣でその夏は準優勝を果たした。ダルビッシュにちなみ、真壁は「マカベッシュ」とファンに呼ばれ人気を集めた。