「大日本蹴球協会杯」の返還式が22日、東京・文京区のJFAハウスで行われた。

 同杯は1935年から40年までの6年間、全日本蹴球選手権大会(現在の天皇杯全日本サッカー選手権)の優勝チームに授与され、その後の所在が不明となっていた「大日本蹴球協会杯」が、昨年、慶応義塾体育会ソッカー部の合宿所より発見された。日本サッカー協会と慶応側で協議し、日本協会に返還された。

 日本サッカー協会の宮本恒靖会長は、三田ソッカー倶楽部会長の縣恵一氏から返還を受け「驚いているのと同時に、圧倒されるところもある」と話した。

 1940年に開催された第20回大会で優勝した慶応BRB(卒業生と学生の混成チーム)が優勝杯で受け取ったのを最後に、優勝杯の行方が不明となっていた。

 同杯は翌年大会で返還される予定だったが、日中戦争から太平洋戦争に向けた時局悪化に伴い同大会が41〜45年まで中止となり、返還する機会を逃したまま同大学の合宿所で保管していた。

 当時の運動競技の優勝杯は戦中の金属回収令により大半が供出され消失しており、日本のスポーツ史にとっても貴重な資料となりそうだ。