●前田利謙、墓所祭までに

 歴代富山藩主を祭る富山市八ケ山の「長岡御廟(ごびょう)」で、能登半島地震により倒壊した8代藩主前田利謙(としのり)の墓が修復される見通しが立った。維持管理に当たる長岡御廟保存会は、前田家の遺徳をしのぶ8月8日の墓所祭までの完了を目指している。墓には倒壊防止処置も施す予定で、保存会では、富山のルーツを伝える文化遺産を今後も守り、継承していく。

 利謙の墓は複数の石を積み重ねて作られており、高さは約3メートル。地震で石が崩れ、土を盛った土台の下まで落下した。御廟内にある藩主の家臣が奉納した灯籠約500基のうち、153基も倒壊した。御廟には利謙のほか、初代藩主前田利次から12代利聲(としかた)までの墓もあり、いずれも無事だった。

 利謙の墓修復にかかる費用には、保存会が御廟の維持管理用に確保していた資金を充てる。今後、大地震が起きても倒れないよう対策する計画で、石材用の接着剤活用などを検討しているという。家臣の灯籠は倒壊した153基のうち20基程度を修復したが完全復旧には相当な時間がかかるとみている。

 保存会は地震後、現地確認し、墓や灯籠が倒れて危険な状態であることから、立ち入り禁止としてきた。余震による二次被害の恐れが少なくなったことや、費用のめどが立ったことから、修復に向け本格的に動き、石材業者に依頼した。

 長岡御廟では毎年8月、初代利次の命日に当たる8日に墓所祭が営まれている。保存会理事で、御廟にある曹洞宗真国寺の永田円了住職(75)は、「藩主の墓は富山のルーツを知る上で重要な遺産だ。痛々しい状態になっていたので、初代の命日までに修復のめどがたったことはうれしい」と語った。

 ★長岡御廟 富山藩歴代藩主の廟所(びょうしょ)。1674(延宝2)年に初代藩主前田利次が死去すると、2代正甫は藩主を弔う墓地として、利次が築城を目指した百塚山の周辺を墓地とすることにした。翌年、現在まで続く長岡御廟が完成。利次から12代利聲(としかた)までの墓が並び、富山藩の歴史を映し出している。藩主の墓は西群と北群に分かれて配置されており、西群の裏には子女や側室の墓が立ち並んでいる。