増野幸子さん(92)は、運転士を夢見て昭和19年4月、14歳の時に三次の親元を離れ広島電鉄家政女学校に入学しました。当時は戦時中で、多くの男性運転士や車掌が軍隊に招集されたため、広島電鉄が労働力を確保する目的で昭和18年に広電家政女学校を開校。
増野さんが乗務中に密かに抱いた恋心。そんな淡い青春の1ページを一瞬にして奪ったのが、8月6日の原爆でした。数日間、生死の境をさまよった増野さんは一命をとりとめ、再び大好きな運転をするために広島に戻りましたが、残酷な運命が待っていました。
広島には、被爆電車とともに女学生たちがいたという事実。これを伝えていくことが、悲しくもあり青春だった増野さんの貴重な記憶を風化させないことにつながります。

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2022年8月6日放送「フロントドア」
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ひろしまリード編集部