琴石山の下山路から周防大島、上関方面を望む

 

前回の瀬戸内アルプス(https://hread.home-tv.co.jp/post-269711/)編で山口県の周防大島を訪れた際、大畠瀬戸を挟んで本土側に見える鋭鋒が気になっていた。後で調べてみると、琴石山(545メートル)といい、眺望の良さからハイカーに人気の山だという。さらに調べてみると、峰続きの三ヶ岳(みつがだけ 495メートル)と結ぶ縦走路があり、併せて「周防アルプス」と呼ばれているのだそうだ。ご当地アルプスと聞けば登るしかない。ふもとには巨大な前方後円墳もあるという。山口県の山が続いてしまうが、柳井市も周防大島町と同じく広島広域都市圏の一員だ。ということにして、JR山陽線に乗って柳井市に向かった。

 

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ

行き)JR山陽線(おとな片道1340円)/横川(06:30)→(07:15)岩国(07:16)→(07:53)柳井

帰り)JR山陽線(おとな片道1340円)/柳井(15:36)→(16:12)岩国(16:20)→(17:05)横川

 

 

周防大島から見た琴石山(2023年5月4日撮影)

 

白壁の商家と周防アルプス

 

白壁の町並みと金魚ちょうちんの町

柳井市は古くから良港をもつ港町として栄えた。海路が物流の中心だった江戸時代、柳井津と呼ばれた現在の市中心部は商業の中心地として発展し、領主である岩国・吉川家の「御納戸」と称された。周防地域は木綿織物が特産物だったが、商人たちは吉川家が課税のために導入した検印を高品質の証だと宣伝して全国に販路を拡大。柳井縞(しま)と呼ばれた縦じま模様の手織物は特産品として知られた。また、江戸後期には醤油の仕込みに使う塩水の代わりに濃口醤油を使って濃厚な味に仕上げる再仕込み醤油が考案され、甘露醤油として有名になった。

明治時代につくられた鉄道唱歌には柳井は以下のように歌われている。

 

風に糸よる柳井津の/港にひびく産物は/甘露醤油に柳井縞 /からき浮世の鹽(しお)の味

 

せっかくなので登山口に向かう途中に白壁の町に立ち寄ってみた。まだ8時過ぎなので外観を見て回るだけだが、かつての繁栄と富の蓄積ぶりが伝わってくる。今も甘露醤油を製造している佐川醤油店の蔵は堂々たる構えだ。実は、ここの「しょうゆ風味ごまふりかけ」は個人的にお気に入り。広島のスーパーでも手に入るので切らさないようにしている。

 

白壁の町並み

 

佐川醤油蔵

 

明治の小説家、国木田独歩の旧宅に向かう途中には軒先に金魚ちょうちんをつるしているお宅があった。柳井の民芸品で愛嬌のある姿。お土産品としても人気だ。

 

金魚ちょうちんが民家の玄関先につるされていた

 

国木田独歩旧宅

 

金剛寺から三ヶ岳へ

登山口は平安時代に起源をさかのぼる古刹の真言宗金剛寺の境内にある。午前8時40分に登山開始。背後の大師山はお遍路で知られる四国八十八カ所の本尊を勧請した霊場になっており、道沿いの祠をすべて巡れば八十八カ所を参拝したのと同じ霊験をいただけるのだそうだ。

 

境内に登山口がある金剛寺

 

登山道はこちら

 

四国八十八カ所から勧請した霊場の祠が立つ大師山への道

 

心惹かれたが、まず目指すのは三ヶ岳だ。北を見ると3つのピークが見える。道は少し下ってから上りに変わる。最初のピークの西岳(西峰)までは約1時間の道のり。しばらくは樹林の中の単調な上りだが、標高300メートルを超えたあたりで振り返ると柳井の市街地が一望できた。

 

標高300メートル付近から柳井市街を振り返る

 

三ヶ岳山頂への道

 

林道と合流して100メートルほど歩くと左手に山頂に通じる木段が現れる。標識があるので迷うことはない。岩場を上りきると間もなく西岳(487メートル)の頂上だ。眺望はいまひとつなので先へ。中岳を経て通信施設のアンテナが林立する東岳に着いたのが10時5分。南側は樹木が伸びて視界を遮られているが、東側はこれから向かう琴石山が良く見える。

 

西岳手前の岩場を上る

 

西岳の山頂

 

通信設備のアンテナが立つ東岳の山頂

 

風景図とあるが樹木が伸びて風景は見えず

 

休憩して水分を補給。菓子パンで糖質も補っておく。気温が高めで結構体力を消耗するので、疲れを感じる前の補給が肝心だ。ただ、メマトイと呼ばれる小さなハエが顔にまとわりついてくるのがうっとうしい。もうこの虫が発生する季節なのか…。次回からは頭からかぶる防虫ネットや虫よけスプレーを持参しよう。

 

琴石山の山頂からの絶景

東岳からは急な木段を下り、お地蔵さんの鎮座する三ヶ岳林道の峠を経て琴石山への上りにかかる。標高差は約180メートル、上りっぱなしの道だ。階段が多いので意外に疲れる。峠から約50分、ほぼコースタイム通りで登頂した。

 

東岳から琴石山を見る

 

峠のお地蔵様

 

琴石山の登山道入口

 

木段が続く

 

中世には山城があったという山上は広場になっている。南側の眺望は抜群だ。正面に大島大橋で大畠とつながる周防大島が鎮座し、先日登った瀬戸内アルプスの文殊山、嘉納山、源明山の山並みが広がる。右手には室津半島が延び、上関方面まで望める。周防大島との間には平郡島が浮かぶ。この日は見えなかったが、視界が良いときには四国の佐多岬半島も見えるそうだ。

 

琴石山の頂上からの眺め(パノラマ)

 

周防大島と瀬戸内アルプス

 

昼食は絶景を見下ろしながらのコンビニおにぎり。メマトイをはらいのけながらの食事なので少々落ち着かないのは残念だったが、それでもこの景観は上ってきたかいがあったと思わせてくれた。

 

前方後円墳を訪ねる

さて下山だ。琴石山の南面を下る道の傾斜は急で、足に負担がかかる。標識がわかりにくい個所もあり、登山アプリYAMAPの地図と照らし合わせながら歩く。約40分で登山口に着いた。

 

急階段を下山する

 

帰るだけならこのままJR柳井港駅に向かえばいいのだが、ぜひ行ってみたかった茶臼山古墳に向かった。

 

茶臼山古墳

 

茶臼山古墳は古墳時代前期末(4世紀末)に標高約80メートルの丘陵部を削って築かれた前方後円墳で、全長90メートル、後円部径約57メートル。前方部は二段、後円部は三段の構造だ。明治時代に地元の子どもが偶然銅鏡などを見つけ、その後の発掘調査で鉄剣や勾玉なども見つかった。中でも単頭双胴鏡怪獣鏡は直径が44.8センチもあり、古墳から出土した鏡としては国内最大級だという。被葬者の記録や伝承は残っていないが、古墳の規模や副葬品の豪華さから見ても地域の「王」と呼ばれるくらいの権力者だったのだろう。現在は公園として整備されており、古墳の表面を覆う葺石も再現されているほか、墳丘上には埴輪のレプリカも並べられている。

 

後円部の墳丘から前方部を見る

 

墳丘に上がると背後に琴石山、三ヶ岳が連なり、前面には交通の要衝だった瀬戸内海が広がる。海上からは表面を葺石で覆われた古墳が輝いて見えたことだろう。古墳時代から江戸、明治、現代へ、海と平地から山上まで、時間と空間を行き来するような楽しい山歩きだった。

 

茶臼山古墳と琴石山

 

《おまけ》

柳井には素敵なスイーツのお店がある。以前そごう広島店で開かれたスイーツフェアに出店していた「ホシフルーツ」で購入したプレミアムバターサンドがとてもおいしく、記憶に残っていた。そのお店が柳井市にあるというので、茶臼山古墳からさらに約40分歩いて「フルーツギフト&カフェ ホシフルーツ」(柳井市南町3丁目4-7)に行ってみた。お菓子だけを買って帰るつもりだったが、パフェがあまりにおいしそうだったのでイートイン。「和パフェ」をいただいた。暑さと15キロ余りの歩きで疲れた体が癒され、気持ちよく帰途につくことができた。

 

ホシフルーツ

 

和パフェをいただきました

 

2023.5.21(日)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

 

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラム「バスと電車と足で行くひろしま山日記」