「家畜写真家あかっぷる」として活動する、瀧見明花里さん。2017年「『いただきます』を世界共通語へ」をコンセプトに家畜写真家として独立し、北海道を中心に全国の畜産農場で牛や豚、鶏や羊などを撮影しています。その写真からは、命の営みやストーリーを感じずにはいられません。瀧見さんの「命と向き合う」覚悟と信念が込められた撮影について、取材しました。

食べない命すら亡くなっていた

学生の頃から、生まれ育った北海道の自然豊かな景色が好きだった瀧見さん。どこまでも続く畑や牛の放牧光景に「第一次産業の方が作ってくれている光景なんだ」と気づき、畜産への興味が沸きました。

銀行勤めをしていても畜産への思いがなくなることはなく、ニュージーランドへワーキングホリデーに。1年3か月の滞在期間を振り返って、「ニュージーランドは食について考えさせられる国」だったと話します。

酪農家や畜産農家の手伝いをする中で、瀧見さんにとって衝撃的な出来事に遭遇しました。それは生まれたばかりの子牛の死でした。

毎朝の日課で牧草地に行くと、前夜に生まれたであろう衰弱した子牛を発見。母牛も周囲に見当たらず、瀧見さんはその子牛を抱きしめて温めようとしました。しかし、回復の見込みはないと感じたオーナーの判断により、その子牛は発見から1時間足らずで射殺されました。

オーナーの判断は「助からないのに生かしておくと、その子は死ぬまで苦しまないといけない」という、ニュージーランドの動物福祉の考え方に基づいていました。できるだけ早く天国に送ってあげることが、子牛のためだと考える文化土壌があったのです。

「それまで、食肉処理した動物を夕食でいただくこともあり、生命のサイクルは頭では分かっていたつもりでした。でも『食べない命すらなくなっていたんだ』と気づきました。せっかく生まれてきたのに、この数時間の意味は何だったのか、と泣きながら考えました」

何が正解なのか、ひたすら考えた瀧見さん。しかし、「食べる、食べない」「命を救う、救わない」という問いには正解がなく、その意味での難しさを感じたといいます。家畜の命について考え抜いた結果、瀧見さんは写真家になることを決めました。

「命が私たちの食べ物なんです。その存在を知ってもらうため、私は家畜写真家の道を決めました。それが家畜動物に対して私ができることであり、命に対する“私の向き合い方”なんだと考えています」

食の向こう側にある「いのち」に目を向けて欲しいという思いを込め、瀧見さんは家畜写真家として写真を撮り続けています。

自分のなかに、鶏がいる

家畜写真家としての活動は、北海道を始め全国へと展開。2018年、クラウドファンディングを機に全国の酪農家を回り、写真撮影を通じて、様々な出会いと経験を重ねました。

乳牛の出産に立ち会ったり、トラックに乗った家畜動物を泣きながら見送ったり。その中でも「大人の食育体験」と銘打たれた、養鶏所での食肉処理体験に参加したことがありました。やらなくてはという思い半分、やりたくないという気持ち半分で申し込みましたが、そこで「命をいただく作業を身をもって感じた」と言います。

「命のサイクルを見せていただくことで『自分の中に鶏がいる』と感じたんです。自分の中に鶏の命があり、自分が生かされているんだという感覚を得ました」

2021年5月には、「あかっぷる授業」として北海道の小学校で家畜写真の”授業”を展開。約40名の小学4年生を対象にオンライン授業を行いました。活動の幅を広げながら、多くの人たちに「家畜動物の命」を表現し、伝えています。

世界の「ITADAKIMASU」へ

瀧見さんは、日本では当然のようになじみのある「いただきます」という言葉が、大切なキーワードだと考えています。

「ニュージーランドでは、食事の際に何も言わなかったり、お祈りだったり、簡単な『さぁ、食べよう』という言葉で始まることが多かったんですが、私は習慣で『いただきます』と言っていました。すると、様々な人たちに『それはどういう意味があるの?』と興味を持ってもらえたんです」

『いただきます』は食材に感謝する言葉だと伝えると、多くの人たちが「素敵な言葉だね」と返してくれたそう。

「その時に『いただきます』という言葉は日本の文化であり、海外の人たちから素敵だと感じてもらえるのだと気づいたんです。世界に『いただきます』が広がると、食材に感謝できる文化になると思うし、私が撮る家畜動物の写真も、かわいいだけじゃないコンセプトとして伝わると考えています」

瀧見さんは海外での取り組みを増やして世界に対してアプローチしようと、アメリカ・ニューヨークでの写真展を計画しています。日本の「いただきます」を、世界の「ITADAKIMASU」へ。瀧見さんの挑戦は続きます。

ほ・とせなNEWS編集部