「余呉でなければ生み出せない音楽があると思っています」

力強く語るのは、滋賀県長浜市余呉町在住のJAZZシンガー、木原鮎子さん。プロのJAZZシンガーとして活躍するかたわら、地元の子どもたちやママさんたちにも歌の指導をしています。

都会で音楽を学んだり表現したりすることは比較的簡単に感じる一方、田舎での音楽活動は難易度が高いと思われてきました。しかし、木原さんは田舎でもさまざまな音楽活動ができるといいます。

余呉町は滋賀県の北端に位置する、田園風景の広がる自然豊かな地域です。近年は急激に過疎化が進み、余呉町内では統廃合した学校や閉鎖する公共施設も増えてきました。音楽活動に限らず、日常生活でさえ不便さを感じる状況です。

木原さんは縁もゆかりも無い余呉町に移住し、地域に根付いた音楽活動にこだわり続けています。今回はJAZZシンガーの木原さんに、移住のきっかけや田舎を拠点に音楽活動に取り組む様子などを詳しく伺いました。

田舎がイヤで実家を飛び出した十代

「生まれは千葉県なのですが、父が田舎で暮らしたいと言うので、小学2年生のときに新潟の田舎町に引っ越しました。私は田舎での生活が本当にイヤでイヤで仕方がなくて。だから、中学卒業と同時に母親の実家があった岩手の高校に進学しました」

多感な時期を田舎で暮らしていた木原さんは、どうにかして都会で生活がしたいとの思いが拭えなかったと言います。元々歌が好きだったこともあり、高校では音楽に深くのめり込んだとのこと。高校を卒業後はさらに音楽に取り組むため、姉の居る京都に住んで大阪の学校に通ったそう。

「『音楽を学ぶならアメリカだ』と。アメリカに行く前に語学を学ぼうと、大阪の語学学校に入学したのですが、結局は留学した方が早いですよね。だから、19歳で思い切ってポートランド州立大学に留学しました」

しかし、アメリカで語学と音楽を必死に学んでいた木原さんは、政治的な理由から帰国しなければならなくなります。

イラク戦争を機に帰国して国内で活動

「留学中にイラク戦争が始まったこともあり、両親から帰ってこいと言われまして。その頃には、ある程度の語学力も身についていたので、帰国しました」

イラク戦争が始まったのは2003年3月。2001年9月にはアメリカ同時多発テロがあり、日本も同年12月から自衛隊をPKOとして派遣した背景もありました。両親としては、不安が拭えなかったのではないかと考えます。

帰国してからは日本国内でプロのJAZZシンガーとしての活動を開始した木原さん。帰国直後には、北島三郎さんや舟木一夫さんのバックコーラスも経験したとのこと。

しかし、バックコーラスとしてツアーに参加することは、拘束期間も長いため木原さん独自の音楽活動ができませんでした。葛藤の末、バックコーラスを辞めてソロとして活動する道を選択します。

野生のカンのお陰で挫折はありません

帰国から約3年後、木原さんはプロのJAZZシンガーとして活躍しはじめます。2011年に関西若手ジャズミュージシャンが集結したセッションアルバム「PRECIOUS (オムニバス)」に参加。翌2012年にはソロアルバム「Seasons」を発売しています。

2023年にはピアニスト日吉直行さんとのユニット「hoshibune」のライブCDなどを発売するなど、順風満帆に活動中です。とくに大きな目標を掲げることもない代わりに、現在まで大きな挫折の経験も無いとのこと。

「小さい頃から田舎で育ったことで、野生のカンが鋭くなったのかな?と思います。カンのお陰で、今まで大きな失敗というものは経験したことがありません。だから、挫折も多分無いですね(笑)」

常に前向きな木原さんの魅力に、多くの人々が引き寄せられているのがよくわかる言動です。そんな木原さんですが、若い頃には都会に憧れていたにもかかわらず、話の節々からは余呉への地元愛が感じられます。どうして田舎に移住することになったのでしょうか。

田舎の生活が一番落ち着くと気がついた

帰国してから約10年間、木原さんは関西を中心にジャズに没頭する生活を送っていました。余呉に移住するきっかけとなったのは、京都で開催されたイベントを通じて旦那さんと出会ったことだと言います。

「たまたま出会った人が、名古屋から単身で余呉に移住した男性でした。都会での生活に憧れていたのですが、小さい頃に暮らしていた田舎の生活が一番落ち着くことに気がついて、『田舎に戻りたい』と思うようになりました」

田舎暮らしの良さは大人になってから気がついたとのこと。余呉に移住してからも、音楽活動の軸は関西圏でした。したがって、平日は田舎で生活し、週末は京都や大阪で仕事をこなすという二重生活を送っていたと言います。

二重生活を終え、本格的な田舎暮らしに主軸を置くようになったきっかけは出産でした。木原さんの住む余呉町には余呉湖や余呉高原リゾート・ヤップなどがあります。余呉湖は天女の羽衣伝説や菊石姫伝説などが残っている美しい湖で、季節と共に自然の中で感性を研ぎ澄ませる環境です。

田舎暮らしはのんびりした生活だけではなく、音楽活動にもよい効果をもたらします。

子育ては絶対に田舎で

現在、木原さんは3人のお子さんを育てながら音楽活動を続けています。親の立場になると違う景色が見えるようです。

「子育ては田舎でしたいという思いを強く持っていました。子どもの頃は田舎の生活があんなにイヤだったのですが(笑)」

木原さんの思いが届き、お子さんたちは歌と共にのびのびと暮らしているとのこと。木原さんのFacebookでは、田舎での生活を楽しんでいる様子や指導している様子を垣間見ることができます。

木原さんが指導する『うたごえキッズ』には、息子さんも参加しているとのこと。

うたごえキッズではそれぞれが持っている声を大事に

うたごえキッズは2023年で10周年を迎え、記念イベントを開催しました。合唱コンクールなどを目標にするのではなく、楽しく唄うことがコンセプトです。

「一般的な合唱では声質を合わせることが多いと思うのですが、うたごえキッズでは声質を合わせることはしていません。私自身がJAZZシンガーということもあるのかもしれませんが、その子が持ってる声は大事にしてもらっています」

うたごえキッズは3歳から中学生までが参加し、現在は約50名の大所帯です。少子化で、なおかつ過疎化の進んでいる地域で50名の子どもたちが参加している団体は珍しいでしょう。

「地域的に子どもの数自体が少ないため、塾や習い事は人口の多い南の方へ行くことが当たり前になっている状況です。うたごえキッズでは南の方から来てくれる子どももたくさんいて、中には1時間以上かけて通ってくれている子どももいるので、身が引き締まります」

うたごえキッズに通っている子どもたちは、みんな楽しそうに唄います。親御さんからは「学校でイヤなことがあっても、うたごえキッズから帰ってくると、周りに音符が飛んでいるんです」と言われたこともあるそう。

音楽は人々にとって心のよりどころとなります。木原さんは、コロナ禍ですべての活動を中止せざるを得なかった経験を経て、確信を強めたと語ってくれました。そして、田舎だからこそできることもあると、語気を強めます。

田舎だからこその「野性味あふれる歌声」を届けたい

木原さんは、田舎でしかできないことがあるはずだと言います。

「音楽に限らず、いいものは都会でという風潮があります。でも、都会でなくてもできることはたくさんあります。自然豊かな土地でしかできない多くの価値に気づいてほしい。ここでしかない何かが絶対ある。その何かを見つけ、みんなが大事にしていくことで、世の中が変わってくるのではないかと考えています」

ピアニストの谷川賢作さん(谷川俊太郎さんの息子)は、うたごえキッズを「野性味がある」と表現したそうです。

「野性味のある歌声は、余呉で続けてきたからこそ生まれたと自負しています」

田舎で音楽活動を続ける理由や魅力については、言語化が難しく困惑した表情を見せていた木原さんでしたが、最後は表情を変えて力強く語ってくれました。

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