イメージイメージ

気候危機やジェンダー、セクシュアルマイノリティの権利の問題といった社会に山積する課題を解決するため、先頭に立って取り組むソーシャルアクティビストたち。 

社会の変化を推し進める重要な存在にも関わらず、声を上げることで誹謗中傷にさらされたり、ときに過剰な負荷がかかり、バーンアウト(燃え尽き)してしまったりすることも。

アクティビストが心を健康に保って活動するにはどうしたらいいのでしょう。心の健康を損なってしまったときの対処や、周囲のサポートはどのようにできるでしょうか。

臨床心理士・公認心理師のみたらし加奈さんに、能條桃子さん(ハフポスト日本版U30社外編集委員・「NO YOUTH NO JAPAN」代表理事)が聞きました。

「学習性無力感」が生じがちなソーシャルアクション

ハフポスト日本版U30社外編集委員で「NO YOUTH NO JAPAN」代表理事の能條桃子さんハフポスト日本版U30社外編集委員で「NO YOUTH NO JAPAN」代表理事の能條桃子さん

能條桃子さん(以下、能條):ソーシャルアクティビストのメンタルヘルスについて、もっと語りたいと思っています。活動にのめり込んでバーンアウトしてしまうこともあるし、SNSで誹謗中傷にさらされることもある。しんどいと思いながらも、心の苦しさはあまり話題にならなくて、活動が優先されてしまうことを課題に感じています。

みたらしさんは、ソーシャルアクティビストのメンタルヘルスについてどんな問題意識がありますか?

みたらし加奈さん(以下、みたらし):「学習性無力感」の問題があると思います。専門用語で、無力を学習していくことで、活力や主体性がどんどんなくなっていってしまう状態を指します。家庭内暴力などの現場で使われる言葉でもありますね。

ソーシャルアクティビストとして活動している人たちは、社会課題が大きすぎて「やっぱり変わらないんだ」と無力感を抱き、それを学習していってしまうことはあり得ると思います。それが、いわゆる燃え尽き症候群(バーンアウト)につながってしまうこともあるでしょう。

能條:確かにそうですよね。私が気候変動問題に関わっていて思うのも、すぐには変わらないということ。

私の同年代は社会課題に関心を持って活動をはじめたのがこの1〜3年の人が多いので、数年やってみて変わっていないと焦ってしまうことはあるかもしれません。「この1カ月、この1年で、全てを出し切ろう」といった感覚になってつらくなることもありそうです。 

みたらし:長い目で見てほしいですね。私が友人によく言うのは、10〜20年後に振り返ったときに変化はわかるものだということ。

例えば、私が小学生のときはまだ「パカパカ携帯」と言われたガラケーだったのに、10〜20年経ったいまは多くの人たちがスマートフォンを使っているし、いまではZoomで話すのが当たり前になっているぐらいITは普及している。

実は変化の真っただ中ってそれに気づきにくくて、でも私たちの生活や価値観って確実になにかに影響されて、変わっていっていると思うんです。​​

だからこそ「確かにいまは変化を感じられないかもしれないし、無力を学習してしまうかもしれないけど、絶対に変わってるから大丈夫だよ」と伝えているし、私もそういう風に思って活動しています。 

能條:すごく大事ですね。上の年代のアクティビストの方たちは、物事を長い目で見ることができているなと感じることがあります。それは、変わらないように見えてもちょっとずつ変わっているのを知っているからかもしれません。 

ほかの誰かにうまくバトンを渡すには?

臨床心理士、公認心理師のみたらし加奈さん。NPO法人 mimosas(ミモザ)で副代表理事も務める。臨床心理士、公認心理師のみたらし加奈さん。NPO法人 mimosas(ミモザ)で副代表理事も務める。

みたらし:別の課題意識としてあるのが、いま日本で表に立ってアクティビストをしている人たちには、どうしてもそれぞれの分野の「当事者」が多いこと。社会が変わっていく感覚を持てなければ、自分の人生がどんどん消費されている感覚になってしまい、ものすごい圧迫感になります。だから、それぞれの分野の当事者以外の人たちが声を上げる構造も、やっぱりとても大事ですよね。

当事者たちのメンタルヘルスを守る対策としては、うまく休む、誰かにバトンを渡すといったことがいいんじゃないかなと思いますね。

能條:確かにバトンを渡す感覚はすごく大事だと私も思います。「自分の一生を懸けて取り組まないといけない」みたいな使命感を背負いがちだなと自分自身についても思いますが、一方でまだバトンを渡す感覚にはなれていません。

でも、当事者であり特にいま10〜20代で活動している人たちは、いつも活動とともに自分があるから、活動を通して自分の存在意義やアイデンティティを形成していく人もいます。活動のなかでできた人間関係、友達関係も含めて、それを止めたときに「自分って何だっけ?」と感じてしまうことはありそうです。

活動している自分と、そうではなくまずは自分がハッピーであることを大事にする“ただの自分”の切り分けはどういう風に考えていますか?

みたらし:心理学分野でよく言われる「マズローの欲求5段階説」でいうと、活動は最上位の「自己実現」に含まれると思うんです。だから自己実現や社会実現を求めるには、土台にある生理的欲求や安全欲求がきちんと満たされた状態で積み上がっている必要があります。

アメリカの心理学者マズローが提唱した「欲求5段階説」アメリカの心理学者マズローが提唱した「欲求5段階説」

アクティビストのなかには、発信を見ていると「この人、専門家のサポートが必要な状態なんじゃないかな?」と感じられることもたまにあって、心配になります。もしも生理的欲求や安全欲求が満たされていない状況でアクティビストとしてアウトプットしてしまっているとしたら、それはかなり精神的にきついことです。 

また、本来ソーシャルアクションはピラミッドの最上位(自己実現欲求)のところなのに、活動そのものが「何かに所属したい」という欲求(社会的欲求)と一致しすぎてしまうと、自分の中でも心が不安定で不安を抱えたまま発信してしまうこともあるかもしれません。

もちろん、怒りや悲しみをそのまま出していくのもすごく大事だと思いますし、人それぞれいろんなソーシャルアクションがあると思います。ただ、自分のケアをしないままそれをし続けてしまうとどんどん心がすり減ってしまう。

私自身は切り離すようにしていて、しんどいときは絶対に発信しません。

「なんでこの問題にコメントしないんですか」と言われることもあります。でも、「いまは声あげられないよ」と。罪悪感を抱いてしまう時もありますが、自分自身がつらい時は少し情報から離れて、他の人にバトンを渡しているつもりで、まずは自分の心を守る。あとから、自分にしかできないことをしたいなと。例えば誰かひとりに誹謗中傷が集まっていたら自分にできる声かけをしたり。

「今はとりあえず休む」「自分を守る」を大切にすることが、長期的な目線で見た持続可能なソーシャルアクションにつながっていくと思います。

SNSとの付き合い方

イメージイメージ

能條:SNSでは、誹謗中傷が集まりやすい問題があります。SNSとの付き合い方はどう考えていますか?

みたらし:SNSはあくまでも利用するものであって、その部分に関しては「自分のために、ずるくあれ」と思っています。 

例えば、TwitterやInstagram、Facebookなどには、それぞれ誹謗中傷への対策があって、Instagramでは特定のワードが含まれたコメントを書き込めないよう設定できます。「自分はこういうワードに傷つきやすいな」とわかってきたら、傾向を把握した上で、目に入らないようにしておく。

Twitterの捨てアカで誹謗中傷される場合にも、できることはあります。捨てアカは電話番号を登録していないことが多いと思いますが、Twitterはそうしたアカウントからのリプライは通知が来ない設定にすることができます。

それでも、かいくぐってくる場合はあります。私は、情報開示請求をかけることに抵抗はないので、「いつでも情報開示請求するぞ」ぐらいの気持ちはあります。

SNSで何かを言ってくる人のほとんどは、私の人生に責任を持ってくれる人ではありません。私の場合は、誰かを傷つけていない限り、私の人生に責任を持てない人の意見は基本的にはスルーします。「これもうちょっとこうした方がいいよ」と、私の人生に責任を持てなさそうな人が言っても、「わかりました!」とだけ言って受け流す。

私にとって何が一番大切なのか、誰を大切にしたいのか、明確になっているからこそできることだとは思いますが。

能條:自分の人生に責任を持っているのは自分だけだと私は思っていたので、新鮮でした。

他人でも、「自分の人生に責任を持ってくれる人の話を聞こう」という切り分けは取り入れたいなと思いました。

ケアしてもらう場所は、余裕があるときに探しておく

イメージイメージ

能條:周りの友達をどういうふうに支えるかという課題意識があります。実際に問題を抱えているときは「これがメンタルヘルスの問題だ」と認識すらできないこともありますよね。周りで活動をしている友人たちがそうなっていたときに、どんなことを大切にして関わればいいでしょうか。

みたらし:話を聞くときに大事なことは、主語を大きくしないこと、自分にフィルターがあると認識すること、ジャッジしないこと、批判しないこと、自分の話をかぶせないこと。

悩みをつらつらと話してくれたら、まずは「話してくれてありがとう」「信用してくれてありがとう」と感謝を伝えます。いったんブレイクタイムのような時間がきたら、「私の中で認識が間違っているかもしれないから一応言うんだけど」と要約して、相手との認識のズレを修正します。

「こういうことがあって、こうなって、いまこう感じているという認識で大丈夫?」と。もし相手が「いや、ちょっと違って」と言えば、「ごめん、間違っていたね」と引いてみたり、「そうそう」と同意されたら「ふむふむ、それで?」と聞いたりして、「あなたを理解したい」ということを前面に出しながらインプットします。

あと大事なのは、悪口に乗っからないこと。自分の親やパートナーなどの身近な人に対しての愚痴や悪口、ネガティブな感情を吐き出してくれたときに、「自分は愚痴をこぼしてもいいけれど、他人には言われたくない」と思っていることはよくあります。あとは、こちらが「最悪じゃん」と悪口に乗っかることで、本人の怒りを奪ってしまう。

また、こちらがジャッジをしてしまうことで、相手と仲直りしたときに言いづらくなる場合も。それによって、ひとりで溜め込ませてしまうのでは本末転倒です。だから、あくまでニュートラルな視点で聞きます。そこで忘れてはいけないのは、「あなたの味方だよ」と、悲しかった気持ち、しんどかった気持ちに寄り添う姿勢を見せることです。

能條:専門家につないだ方がいいのか、悩みます。「クリニック行ってみたら?」「カウンセリング受けてみたら?」といった声がけは、どのようにすればいいんですか?

みたらし:「この人の話を聞いていると自分もちょっと危ないな」「ちょっとしんどいかも」と思うタイミングがあれば、もう友人としてのサポートの範疇を超えてしまっているので、専門家に頼った方がいいかもしれません。

「今度、私カウンセリング行こうと思ってて、一緒に行かない?」と言う方法はありますね。予約さえ取れれば「待合室で待ち合わせしようよ」と。自分も行けるきっかけにもなるし、相手と一緒に「ここ結構よさげじゃない?」とか言いながら、“遊ぶ日”を設けてみるのはありです。

基本的にはカウンセリングは1対1の場合が多いですが、心療内科や精神科は本人の同意があれば診察室までついて行ってもいいんですね。「もし診察室がひとりで不安だったら、あなたがよければ一緒に入るよ」と言うこともできます。友達同士でつらさを共有することもいいけれど、専門家にバトンを渡すことも大事ですね。

医療機関選び、カウンセリングルーム選びは、自分の心にちょっと余裕があるときにやっておいた方がいいです。すごくしんどくなってからネットで情報を探して口コミを見て、それで行った先で合わなかったりすると「もう行きたくない」「もう無理」となってしまうからです。

だから、心に余裕があるうちに、ケアの準備をしておくのは大事ですね。

(文:遠藤光太 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)