天岡均一とは?

天岡均一作「金剛力士像」(ブロンズ製) 明治44年(1911) 吉田廣志氏蔵

天岡は1875年に摂津三田藩(現在の兵庫県三田市)の重臣の家に生まれ、東京美術学校(現東京藝術大学)で高村光雲や竹内久一に師事し彫刻を学びました。卒業後は、岡倉天心が創設した日本美術院の実技担当として活躍すると同時に、 美術院の事業の一環として古社寺の国宝修理(仏像彫刻)にも参加します。

1900年頃から現在の天王寺区真法院町に拠点を移し「天岡鋳金所」の看板を掲げて活動。1918年には、天岡をはじめ在阪の彫刻家5人で大阪彫塑会を結成します。

本展ではこれまで注目されることが少なかった天岡に焦点をあて、希少な作品を一堂に展示します。均一の妻・香(蕗香) も近代大阪における女流工芸家として多数の作品をのこしていることから、併せて展示・紹介します。

展示作品① 「ライオン像」

天岡均一作「ライオン像」(ブロンズ製) 明治〜大正時代 九鬼隆章氏蔵

本作は、難波橋のライオン像制作のために試作を兼ねてつくられたと伝えられています。均一は1915年に開園した天王寺動物園に足しげく通い、徹底的に観察し、 ライオンやトラ・ゾウなどをスケッチしたそうです。

なお、ライオンなどが描かれたスケッチ帳も伝わっています。均一が手がけた動物をモチーフとした作品たちは、いずれも躍動感あふれる造りとなっているのが特徴です。

展示作品② 「慈恩大師像」

天岡均一作「慈恩大師像」(古三田青磁)明治〜大正時代 個人蔵

均一は、1898年に三田焼の窯元より依頼されて様々な石膏形を制作していますが、本作はその石膏形によるものです。

1879年4月に旧三田藩士族等が結束し、当時廃れつつあった三田焼再興のために「陶器社」という組織が創設されました。その中には、均一の父・源六の姿もあり、親子でふるさとの産業復興に尽力したことがわかります。

均一は、三田焼の石膏型制作のほか、自ら作陶を行ったり、鑑定をするなど、陶芸にも精通していました。

展示作品③ 「天岡均一句幅」

「天岡均一句幅」 大正9年(1920) 丹羽建蔵氏蔵

本作は、均一が1920年に8ヵ月間渡欧した際、滞在中のパリから俳友に贈った句幅です。俳句「ストーブを たきはじめたり 秋の暮れ」とともに前衛的な俳画が描かれていたり、「秋」の字の偏と旁を反転させているのも特徴です。

均一は、俳句や俳画をよくし、直覚・直感を率直に表現できる俳人として正岡子規門下の青木月斗などから高い評価を得ており、子規門の松瀬青々や芦田秋双・松村鬼史などとも親しく交流しました。

均一は俳句について「日本の芸術を外国に示して何一つ自慢になるものはないが、俳句だけは全く彼等のまだ窺い知ることの出来ない神品である。向うでも(※8カ月間渡欧した際)自分は俳句一点張りで、誰に逢っても俳味を説いてやった」と、俳句こそが世界で日本および日本人の優越を示せるものであると語っています。

展示作品④ 「赤楽茶碗」

天岡蕗香作「赤楽茶碗」 大正〜昭和時代 個人蔵

本作は、均一の妻である天岡蕗香によるものです。蕗香は、佐倉藩医・津田長人の三女として生まれました。

兄は東京美術学校教授で日本橋の装飾や日比谷公園の噴水を手がけた津田信夫、甥は鋳金家の津田永寿といったように、芸術一家で育った蕗香は、均一とともに精力的に作陶を行い、なかでも赤楽茶碗を好んで手がけています。

なにわ橋のライオンの作者・天岡均一。今一度、注目してみてはいかがでしょうか?

開催概要

【名  称】 特集展示「―わたしが難波橋のライオン像をつくりました !!―なにわの彫刻家・天岡均一没後100年記念展」
【主  催】 大阪歴史博物館
【会  期】 令和6年5月8日(水)〜7月8日(月)
【休 館 日】 火曜日
【開館時間】 午前9時30分〜午後5時 ※入館は閉館の30分前まで
【会  場】 大阪歴史博物館 8階 特集展示室(常設展示場内)
     〒540-0008 大阪市中央区大手前4-1-32
     電話 06-6946-5728   公式サイト:大阪歴史博物館
【観 覧 料】 常設展示観覧料でご覧になれます。
     大人600円 (540円)、高校生・大学生400円 (360円)
     ※( )内は20名以上の団体割引料金
     ※中学生以下・大阪市内在住の65歳以上 (要証明証提示)の方、
       障がい者手帳等をお持ちの方 (介護者1名を含む)は無料