稀勢の里が「ケンシロウ」になれなかった理由

稀勢の里が「ケンシロウ」になれなかった理由

 平成最後の日本出身横綱が身を引いた。大相撲の横綱稀勢の里が引退。1月16日に東京・両国国技館で行った引退会見では「横綱として、皆さまの期待に応えれないということは非常に悔いが残りますが私の土俵人生において、一片の悔いもございません」と口にし、涙を流す場面も見られた。

 一片の悔いもございません――。このフレーズはネット上でも大きな話題を呼んだように、人気漫画『北斗の拳』に登場するキャラクター・ラオウが、主人公で弟のケンシロウに倒され、自らの手で天に還る際に発した「我が生涯に一片の悔いなし」の名セリフと重なる。稀勢の里はラオウが描かれた化粧まわしをつけていたこともあっただけに、もしかするとこの漫画の世界でとてつもなく強い“ラスボス”的存在だった世紀末拳王と自らの土俵人生をダブらせたかったのかもしれない。

 だが稀勢の里は果たして相撲界のラオウになれたのだろうか。いや、どちらかというと個人的にはラオウ……もとい無双横綱の白鵬に引導を渡すケンシロウになってほしかった。しかし相撲界のケンシロウにも稀勢の里は道半ばでなり切れず、最後は満身創痍の状態で土俵人生に終止符を打ったように思う。

 横綱に12場所在位したとはいえ、ケガに悩まされ続けて初日から千秋楽まで皆勤したのは、たったの2場所しかなかった。横綱としての通算成績は36勝36敗97休で、これは言うまでもなく歴代最低である。残念ながら「史上最弱の横綱」と評されても仕方がないような終わり方になってしまった。

 現役最後の取組となった初場所3日目の栃煌山戦にも敗れ、2018年秋場所千秋楽から数えて不戦敗を除き8連敗のまま力尽きた。その中には同年九州場所で記録した初日からの4連敗も含まれる。この2つの不名誉な数字は1場所15日制となって以降、横綱としてワーストの記録だ。

 横綱に在位しながら17年夏場所から8場所連続で休場したのも、年6場所制になってからワースト。ここ最近は土俵に立っても見るに耐えない内容の相撲ばかりが続く割には、グダグダと“延命”する往生際の悪さばかりが目立ち「早くやめるべき」との声も噴出していた。

●古き良き時代の日本出身横綱を連想

 それでも稀勢の里は近年で最も多くのファンに愛され、大きな期待を一身に浴びていた人気横綱だった。間違いなく、そう言い切れるだろう。

 モンゴル人力士たちが隆盛を誇る中、19年ぶりの日本出身横綱となって必ずや稀勢の里時代を到来させるはず――。そういう願いを抱く人たちが世の中に数多くいたからこそ、人気横綱として出場すれば土俵上で必ず最も大きな声援を受けていた。

 どんなにボロ雑巾のような醜態をさらけ出そうが、最後の最後まで可能性は限りなく低いとは分かりつつ「もしかしたら、ここから何とか奇跡の復活を果たしてくれるのでは」と見果てぬ夢を心の片隅で祈念していた人もかなりいたはずである。

 口数も少なく、生真面目。そして愚直。いい意味で稀勢の里には古き良き時代の日本出身横綱を連想させるようなイメージがあった。対戦成績では圧倒されていながらも連勝記録を止めるなど、ここぞの大一番で白鵬に土をつけていた勝負強さも持ち合わせていた。おそらくそういう姿が昨今の相撲界では新鮮に映って多くの人たちのハートをとらえ、ようやく長年に渡って切望されていたぴったりのヒーローが現れたと諸手を挙げて歓迎されたのだろう。

 その一方、数々の記録を塗り替えた絶対的存在の横綱・白鵬は確かに強い。かつて不祥事が続き、人気が凋落していた暗黒時代を一人横綱として支えていたのも事実だ。しかしご存じのようにここ最近は大横綱でありながらも、素行や言動には看過できない問題が毎度のごとく見られ、有識者や好角家たちから批判を浴びせられている。

 だから今や完全に「ヒール横綱」のイメージが定着した白鵬をぶっ倒す角界の救世主として、稀勢の里に多くの人たちが白羽の矢を立て、その新時代の到来を待ち望んだ。それが昨今の相撲ブームの礎になったと考えている。

●もし「休場」していれば

 いつまで経っても「打倒・白鵬」を成し遂げられそうな日本人力士が現れなかったので、腐心していた日本相撲協会の幹部たちも、この流れにひざを叩いて乗っかった。横綱審議委員会のメンバーも同じだ。とはいえ、こうしてあらためて振り返ってみると、ここで相撲協会と横審の面々が明らかに先急ぎ気味の“稀勢の里推し”にシフトしたことは、結果的に一長一短だったのかもしれない。

 猛プッシュを得て遂に番付最高位に昇進した稀勢の里は、新横綱として臨んだ2017年春場所で左胸などを負傷しながらも劇的な逆転優勝。まるでドラマのような展開に、日本中が稀勢の里フィーバーに包まれたのは記憶に新しい。だが、これが皮肉にも稀勢の里のピークとなってしまった。

 あえて「たられば」であることを承知の上で言う。この春場所13日目の日馬富士戦で寄り倒された際に、左肩を負傷して古傷を作ってしまった稀勢の里に対し、休場を強く進言できるような人間が周囲にいれば、もしかするとその後の横綱人生はもっと好転していたような気がしてならない。

 そういう観点で見ると、やはり相撲協会と横審の面々、そして何より一番身近にいるからこそ最も距離を縮めていなければいけないはずの田子ノ浦親方がいかに稀勢の里に甘く、その場しのぎのことしか考えていなかったのだなとつい邪推してしまう。それは、ここまでなかなか「やめる」と言わずにずるずると現役を続けていた稀勢の里に周りの誰もが結局厳しい直言を口にできず、引退決断を本人任せにしていたこととも深く関係しているように思える。

 つまりは愚直で責任感が人一倍強い稀勢の里の周辺に、大事なところでセーブをかける金言を送れるような頼れる存在が誰もいなかったということだ。つくづく入門時の師匠だった先代・鳴戸親方の急逝が惜しまれる。

 しかしながら思えば、それも無理はないのかもしれない。今の相撲協会幹部たちは、元貴乃花親方との覇権争いがクローズアップされたことから一目瞭然であるように、土俵の取組よりもどちらかといえば権力死守にご執心の様子。ベクトルが違う方向に向いているので、白鵬をコントロールできず、事実上の野放し状態で好き勝手にされ、いつも根絶を宣言しながら繰り返している暴力問題だって収まらない。組織としてこんな体たらくばかりが目立つようでは、せっかく稀勢の里が待望の日本出身横綱になっても本領を発揮できるような環境は整うはずもないだろう。

●ポスト稀勢の里は誰か

 いずれにせよ、歴代横綱で史上最弱ながらも稀代の人気力士だった稀勢の里の引退は角界にとって痛恨極まりない。内紛、そして暴力事件の連続などで相撲協会のイメージは大きく失墜しており、力士の頂点に立つ白鵬もクリーンとは程遠い印象が世間に与えられてしまっている。こういう傾向に辟易している相撲ファンをもうがっかりさせないためにも、土俵上の熱き戦いだけに再び目を向けてもらえるような救世主の台頭が急務だ。

 今場所のここまでを見る限り“稀勢の里ロス”を吹き飛ばす有力な候補力士は、2場所連続優勝を狙う関脇・貴景勝、もしくは小結・御嶽海あたりか。ただ両者の番付から考えると、順調にいったとしても次の日本出身横綱誕生まで道のりは、残念ながらまだまだそれなりの年月を要すると言わざるを得ない。

 それでも白鵬を誰かが倒さなければ、新しい時代は見えて来ないのである。ラオウにきっちりと引導を渡せる次のケンシロウ=ポスト稀勢の里は、果たして角界に現れるのだろうか。

(臼北信行)


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