事故物件、特殊清掃…… “死のリアル”になぜ私たちは引き付けられるのか

事故物件、特殊清掃…… “死のリアル”になぜ私たちは引き付けられるのか

 住人が自殺や病死などを遂げた部屋を指す「事故物件」。遺体が運び出された後の部屋をきれいにする「特殊清掃」。かつてあまり大っぴらに語られてこなかった、こうした「死」にまつわる話に注目が集まっている。特殊清掃は漫画やドラマの題材になり、大島てるさんの「事故物件公示サイト」も話題になっている。

 いずれも背景にあるのは、孤独死という深刻な社会問題だ。いかにも死から意識が遠のいたように見える今の日本人が、こうした話題に引き付けられるのはなぜか。怖いもの見たさなのか、それとも切実な理由なのだろうか。

 話を聞いたのは、葬儀の在り方や高齢者問題などを取材してきた、毎日新聞社会部編集委員の瀧野隆浩さんと、孤独死や特殊清掃のルポを発信するフリージャーナリスト、菅野久美子さん。対談の前編では孤独死に焦点を当て、「独りで誰にも迷惑を掛けず、あなたは死ねるか」に迫った。

 後編では、なぜ私たちがこうした目をそらしたくなる「死の現実」に関心を抱くのか、2人のジャーナリストの視点から考える。

●世間の人は「死を垣間見たい」?

――世間では事故物件や特殊清掃、孤独死といった「死の現実」を扱ったコンテンツに注目が集まっています。そもそも2人はなぜこのテーマを取材するようになったのですか?

瀧野: 私は1989年、サツ回り(警察担当)をしている時にお墓について取材したのがきっかけです。新潟県の巻町(現新潟市)に、永代供養のための「集合墓」という物ができた。当時、子どものいない女性は墓を持てなかったのです。そういったシングルの女性を救う運動として取材しました。

 その後、91年ごろから(火葬した遺骨を埋葬せずにまく)「散骨」というスタイルが始まった話を、たまたま取材しました。振り返ると、これらが葬儀の在り方を変えるエポックメーキングな出来事だったですね。当時、私が取材していた方向に今、世の中も動いていると感じます。

菅野: 私の方はもともと死について興味があったわけではないのですが、人の紹介で大島てるさんに取材する中で、事故物件という物を知りました。若い女の子が(事故物件のトークイベントで)「キャーッ」と言っているのを見て、みんな興味があるんだなと感じました。

 大島さんのサイトは、事故物件を隠そうとする不動産の管理会社などに対し、その情報をオープンにしていくという物です。大島さんが「実際に事故物件を見なければ駄目でしょう」と言うので、最初に行ったのが東京都江東区にあるUR賃貸住宅でした。

 そこは目張りされていてさほど臭わなかったのですが、次に行った物件ではフロア中が臭っていました。初めて“死臭”という物を嗅ぎましたね。そうやって大島さんの紹介から事故物件や特殊清掃の業者さんにつながっていき、孤独死について取材するようになりました。

大島さんのサイトに関心を寄せる人は多いです。事故物件や特殊清掃への世間の注目は、「怖いもの見たさ」のような部分もあるのでしょうか。

菅野: 「死をちょっと垣間見てみたい」という気持ちがあるのかもしれません。よく、「死臭はどんな臭いですか?」と聞かれますね。

 事故物件については、「自分が当たりたくない」ということだと思います。「人が亡くなった部屋に、何も知らないまま住みたくない」という。

菅野: ただ、孤独死だと(不動産業者が入居者に)実際は告知していなかったりするのです。これは法的にグレーです。分譲マンションだと告知しますが、賃貸ならほぼしていませんね。ウジまみれの遺体があった場所に住みたいかというと……。

●社会が“フタ”をしてきたテーマ

瀧野: でも、これからはそれが当たり前になるのです。

――高齢化に核家族化、個人主義が進み、人同士のつながりが希薄化することで、孤独死も増加するということですね。

瀧野: これらは今までずっと、(社会が)フタをしていたテーマなのだと思います。僕の考えでは、成長している時代には明るく楽しい話がぴったりで、死というテーマは合わなかった。今までは、フタをしていて良かったのです。

 でも最近、特別養護老人ホームで増えているのが、(施設内で)亡くなった人を玄関から送り出す取り組みです。入居者がみんな車いすで集まって、「頑張ったね」と声を掛ける。死に対するイメージが変わってきた。

――「死」に対して興味本位な人が多い反面、「ちゃんと向き合わなくては」という流れも出てきたのかもしれません。孤独死の記事に対して、「明日はわが身かも」といったコメントが付くのを目にします。一方で菅野さんは、実際に孤独死の現場で働いている特殊清掃業者に密着し、著書で彼らの半生を描いています。「日々、死と向き合わざるを得ない」人々に着目したのはなぜですか。

菅野: 純粋に、なぜこういった(特殊清掃という)仕事を彼らがやっているのか、興味がありました。お金もうけが主な目的の人だって多くいました。特殊清掃の料金は1回に100万円とかすることもありますから。一方で同時に宗教についても取り組んでいる人がいたり、女性の業者さんもいるのです。

 (菅野さんの著作で登場する特殊清掃業者の)上東丙唆祥(じょうとう・ひさよし)さんは、強固な人間関係のある団地で育った後、この仕事をされています。団地的なコミュニティーが無くなった後に、そうして孤立していった故人の部屋を上東さんが清掃するという話から、ちょっと見えてくるものがあると感じました。

 こういった話は、新聞などもまだあまり取材していない部分だと思います。亡くなった方の歴史は、全部(遺品や)ごみになってしまうので……。

 さらに、私はもともと取材テーマに「生きづらさ」を挙げていたという点もあります。

――菅野さんは著作で、中学時代にいじめが原因で引きこもっていたという自身の過去を明かしています。

瀧野: 菅野さんは「生きづらさ」を取材しようとして、特殊清掃のテーマを追ったのですか?

菅野: 取材する中で(生きづらさというテーマが)見えてきた感じですね。「なぜこんな取材をやっているのか?」と考えていくことで、特殊清掃と生きづらさというテーマがつながった。

――孤独死の現場を見つめ続けると、取材者も「自分事」としてテーマについて描くようになるのですね。

菅野: 特に女性の孤独死の話は、私も同性であるため、「自分に起きてもおかしくない」と身につまされます。

瀧野: 私の場合、(死のテーマに対して)答えが無いから、必然的に「私」が出ざるを得ないのです。答えがある問題なら「こうあるべきだ」と言えますが。「私はこう思うけれど、みなさんどうですか」と。

菅野: さらに、特にWebメディアの記事は、「個人としての(書き手である)私」がよく表に出るようになってきていると感じます。孤独死は高齢者だけの問題と思われていますが、中高年の引きこもりも最近、問題になっていますよね。私は氷河期世代です。孤独で亡くなった同年代の人々の物語も発信しなくてはいけない、と思うのです。

●死臭に宿る「死の本質」

――確かに孤独死は報じられるべき問題ですが、ウジや死臭が残る特殊清掃の現場取材は正直、プロのジャーナリストでもきついと思います。こだわる理由は何ですか。

瀧野: やっぱり一番は、(死の)本質の部分に行きたいということですね。私の方は(特殊清掃について)菅野さんよりは比較的ライトな部分の取材しかしていませんが、死臭は嗅ぎたいと思った。孤独死の現場取材では、前日から準備した上で(部屋に残った赤黒い体液のシミを)近づいて嗅ぎました。やっぱり、すごい。

瀧野: 今、世の中に出回る情報は“本質”から離れていっていると感じます。そこに踏み込まないと。僕は防衛大学校出身で安全保障の取材もしましたが、頭の上だけで考えていることがよくある。汗の臭い、本当の恐怖、それらを体で感じるということです。

 そしてやはり、物事の本質は「臭い」にあるんじゃないかと思うのです。医師に聞くと、亡くなる間際の人は耳も聞こえていると言いますが、特に臭い(の感覚)が最期まで残るという。「(みとっている遺族の)臭いを患者に嗅がせてあげるために、触ってあげて」と言う医師もいます。僕が防衛大学校で勉強していた4年間は外と隔離された空間でしたが、手紙が来ると臭いを嗅ぐんですね。臭いという物は、本質的な恐怖や喜びにつながっている。

●特殊清掃の作業、自ら手伝う

――菅野さんも何度も特殊清掃の業者に帯同し、現場の部屋では取材だけでなく、清掃を手伝うこともありますね。

菅野: 特殊清掃の業者さんは、毎日のようにそういった(遺体があった)場所に入っています。自分も行って、そこに身を置かなくてはいけないと感じるのです。

 でも、死臭は慣れないですね。甘ったるいような独特の臭いです。この臭いはすごいですよ。マスクしていても入ってくるし、夏だと暑さも大変です。汗まみれ、臭いまみれになる。

 でも、本当にそこでそういう(特殊清掃に従事する)人がいるという状況に対して、後ろから見ているわけにはいかないのです。壁紙をはがす作業くらい、手伝わなくてはいけないな、と。

 その場の雰囲気に飲まれるということもあります。業者さんも臭いを抑えようと作業するので、(その後は)多少ましになります。何より取材時には、「故人の実像を伝えなくては」と思うのです。

●死を軽々しく扱うネットメディア

――今も多くのメディアでこうした死に関するコンテンツが取り上げられています。しかし、現場に肉薄せず軽々しく人の死を扱う記事も、一次情報にあまり触れたがらないネットメディアを中心に散見します。訃報の取材をいい加減にこなす記者すら存在します。実感としてメディアも読者もまだ、「死」と真摯に向き合っていない気がするのですが。

菅野: 年代的な問題もあるのかもしれません。ネットメディアはまだ若い、とも感じます。

瀧野: そういう人は葬式に行っているのでしょうか? 「学校の行事があるので」と、葬式は(子どもは行かず)親だけ行っている、という話も聞きます。

 死に対する儀礼には歴史的な意味があるのに、それを教えられない人もいますね。初七日とか四十九日などは、必要で意味のあることなのです。でも、教えられる保護者やお坊さんは減る傾向にある。葬式に行って(遺影を)拝んできて、親戚中が集まる光景を目撃していない。

菅野: 孤独死をテーマした記事は、自分や親の話など「わが身に降りかかってくること」という文脈で書かれていれば、読まれる傾向にあります。ただ、まだ読者にとってはあまり自分事ではないのでしょうね。みんな(考える)余裕がない。

 一方で、若い人には特に「自分は孤独なんだろうな」と思っている傾向がある、と感じます。「友達も彼女(・彼氏)も自分にはいないから」と。

瀧野: 調査によると、実は若い人の方ほどあの世を信じているそうです。アニメなどの影響なのでしょう。逆に70歳以上は信じていなかったりする。

 でもやはり、みんな死を自分のこととは思っていないのではと感じます。私は取材しているとだんだん、「自分も(いつか)死ぬんだろうな」と思うようになるのですが。

 「社会はどうあるべきか」といったテーマは、なかなか自分事にならないのです。みんな、“半径2メートル”くらいの関心にとどまっている。孤独死というテーマも、本当は自分事として考えなくてはいけない。半径2メートルから自分の親の問題、次は社会へと、「想像力の階段」を私たちが作る必要がある、と感じます。


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