宿泊施設に大打撃を与え続けているコロナ禍。その一方、都市型ホテルや人気ブランド宿の中には強さが際立つ施設もある。そうした宿は施設やサービスのポテンシャルを最大の武器として、宿そのものをディスティネーション的な魅力としてアピールし、高い集客力を誇っている。

 他方、観光地に立つ宿泊施設の影響は甚大だ。「不要不急の外出は控えましょう」と観光地へ出向くこと自体がはばかられる中、観光地は総体的に深刻な状況であることが容易に想像できる。

 こうしたマイナス要素が支配する中で、「温泉の魅力」としてあらためて考えさせられるのが“街づくり”という点だ。施設そのもので集客できる強い宿は例外的であり、やはり温泉地の魅力そのものが集客を左右することは言うまでもない。

 近年の温泉地について旅行スタイルでみると「団体から個人」というワードが想起される。団体が大挙として押し寄せていた時代、宿は“スケール勝負”といった感があった。大宴会場は必須、相応の大浴場や娯楽施設も宿の人気を左右した。

 しかし、団体旅行が減少し個人旅行へシフトしていく中で、大型施設はそのスケールが仇となり、方向転換できない宿では経営破綻するケースも続出した。運良く買い手が付いてリブランドされるケースもあるが、運営する価値がないとされれば解体費用が捻出できない建物や権利関係が複雑な場合は放置されることになる。

 使用されないハードは傷みの進行も早い。こうして温泉街に暗い影を落とす“廃墟問題”が露呈してきた。旅といえば明るくポジティブなイメージだけに、出向いた先に目を背けたくなるような負の遺産は温泉街にとってマイナス要素でしかない。

●鬼怒川温泉の廃墟そして集客する宿

 廃墟問題でいえば、ある種有名な温泉地が栃木県日光市の「鬼怒川温泉」である。渓谷美がご自慢の温泉地なだけに、川沿いの廃墟群はそのインパクトも相当。橋から望むとさらに迫力ある光景が広がる。

 廃墟となっているのは2000〜10年にかけて廃業した施設とされ、クローズ後10〜20年の年月を経ていることになる。鬼怒川温泉はバブル経済末期である1990年代初頭に集客のピークを迎え、国土交通省の資料によると、93年の宿泊客数は年間341万人を数えた。

 そうした環境下で団体客を争奪するため過剰な設備投資を進めた結果、廃業につながった施設など、その理由はさまざまである。年代から推測すると、やはりご当地のメインバンク的存在であった2003年の足利銀行破綻と重なる部分がある。

 同行については1999年から公的資金が投入され、2003年に債務超過へ陥ったが、観光事業への過剰融資も指摘されていた。

●大型施設を引き受けた「大江戸温泉物語」

 経営不振となった施設の中には引き受け先があらわれるケースもあると先述したが、温泉街からすればある種“救世主的存在”ともいえる引き受け先の多くが全国チェーンのブランドだ。

 その一例として「大江戸温泉物語」を展開する大江戸温泉物語ホテルズ&リゾーツ(東京都中央区)が挙げられる。鬼怒川温泉には同社の施設が2店舗あり、いずれも従前の大型温泉施設を引き受けリブランドして営業している。

 それらの施設は往時であれば宿泊料数万円といった高級施設だっただけに、それなりの設備を擁している。同社はそのような施設を活用し、格安をウリに集客する。団体から個人へと前述したが、大規模施設だけに相当の集客力が必要だ。

 大江戸温泉物語のマーケティング推進部次長の前原孝行氏は「大型のリブランド施設は全国各地に点在するが、いずれも特徴的なのは温泉施設とダイニングの徹底したリニューアル」と語る。一方で「客室案内や部屋食の個別サービスをやめ、お客さまが必要とするサービスのみに特化したことで低料金が実現できた。鬼怒川温泉の施設も同様にして高齢者やファミリー層をターゲットとし大枠でご納得いただけているようだ」と話す。

 投資の回収と集客のツボを徹底して研究し実行していると分析できるが、コロナ禍は例外としてもその集客力はすさまじく、平日にもかかわらずチェックイン時刻前からロビーには人々があふれる。

 個人や小規模のグループ客が多くを占めるが、かつて仇となった“大きなスケール”を活用するエンターテインメントや新たな温浴施設など、個人旅行者のニーズを満たする努力を怠らない。中でもゲストの人気を博するのがブッフェレストランだ。「大江戸温泉物語といえばバイキング」といわれるほど、食材やメニュー数にはこだわりを見せている。

 この仕組みを作ったのが同グループの最高料理顧問である高階孝晴氏だ。「グループ全体で大量に仕入れていることからハイコスパなメニューが提供できる」と同氏はスケールメリットを語る。また「会場が混雑しないような動線や料理の温度管理から見せ方まで日々研究している」と自信をにじませる。

●草津温泉と湯畑の整備

 日本有数の人気温泉地として抜群の知名度を誇り、コロナ禍前の2019年度には327万人以上が訪れた群馬県草津町の草津温泉はどうなのだろう。

 草津温泉に詳しい旅行ライターの南潤氏によると「江戸、明治期から中小の旅館が湯畑周辺に集まっていたため、大型ホテルを立てる余地がほぼなかった」といい、結果として「湯畑周辺(草津中心部)に大型ホテルが少なく情緒ある温泉街が残った」と指摘する。その上で「団体客を見込んで成り立ってきた(鬼怒川温泉のような)大型ホテルの多い温泉地が、団体客の減少により厳しくなった」と話す。

 そもそも観光地としての潜在能力が高かった草津温泉であるが、同氏は「10年ほど前までは廃れた雰囲気が漂っていた湯畑周辺が整備され、街のランドマークとして一新された」ことも特筆すべき点として挙げる。

 結果として、夜も出歩く観光客が増加、カップルや女子旅、家族連れも安心して温泉街を楽しむ光景も印象的だ。その一方、温泉街全体して施設の老朽化も気になる点だとし、宿そのものの快適性もこれからの温泉街のポテンシャルを高める必須条件といえよう。

 湯畑を整備した草津温泉の例のように、やはり温泉地にとって街全体のイメージや魅力は重要だ。“旅は五感”といわれるが、視覚という点でいえば温泉街の風情や景観はダイレクトに旅行者へ入ってくるだけに温泉地の存在価値をも左右する。

 鬼怒川温泉のある旅館経営者は「廃墟という光景はお客さまから苦言を呈されることもある」とし、「今後解決しなければならない重要な問題」とも語る。他方、温泉関係者は「変化するお客さまのスタイルに結果として適応できなかった」「魅力ある温泉街を造っていこうという意気込みなど、温泉地全体として取り組む力が弱かった」と本音を漏らす。

●個人客へシフトした温泉そして渓谷美

 渓谷の温泉として鬼怒川温泉をみてきたが、温泉と渓谷美といって筆者が思い浮かべるのが石川県加賀温泉郷の「山中温泉」だ。取材へ出向いてみるとコロナ禍ということもあり、温泉街全体で相当の気遣いがみられたが、明るくポジティブな雰囲気に包まれていた。

 そもそも山中温泉は1300年の歴史を有し、今なお多くの文化が息づいている。「九谷焼」や「山中漆器」をはじめ、日本三大民謡の1つとして知られる「山中節」など伝統美に触れられる温泉地だ。

 温泉街のにぎわい必須条件ともいえる中心部の共同浴場も山中温泉名物の1つ。共同浴場「山中温泉総湯 菊の湯」は、男湯と女湯が別棟で向かい合わせに建っている。山中温泉街は、その湯元である菊の湯を中心に発展した。隣接する山中座では芸妓さんたちによる唄と舞も上演されており、共同浴場・伝統・エンターテインメントと温泉街の魅力を備えた地と言えよう。

 そんな山中温泉もバブル華やかなりし頃は今のようなイメージではなく、“男性の歓楽街”として広く知られる温泉地だった。そんな温泉地が転換期を迎えたのは約30年前。温泉地そのものが大型の団体客から個人へシフトしていく中で、旅館組合や住民が結束して伝統や文化を感じる温泉街づくりに取り組んだ。

 山中温泉街を歩くと電柱が見当たらないことに気付く。電柱を埋めるプロジェクトもその頃になされたものだという。同地で「吉祥やまなか」「かがり吉祥」と2施設の総支配人を務める村井博氏は「お越しいただくお客さまにフレキシブルに対応できることが自慢」と胸を張る。

 「それぞれの店舗によって年齢層や個人・グループなどターゲットを明確にし、充実したサービスの提供が実現できる」(村井氏)。これも個人のお客へシフトしてきた山中温泉の先見性の賜物(たまもの)と、山中の地で宿を運営できる喜びを感謝に満ちた表情で語る。

 施設のスタッフとの雑談で「山中温泉は渓谷美で知られるが、目立つ廃墟はあるか?」と聞いてみた。するとそのスタッフは「廃墟? う〜んどうだろう……。閉館した施設もあるがパッとは思い浮かばない」とのこと。「そもそも大規模な建物は似合わない温泉地かもしれない」と付け加えた。

 宿を出て散策していたら山中温泉の渓谷美が望めるという「眺望広場」なる場所があった。広場に立って迫力の渓谷を眺めてもそこに廃墟の姿はない。眺望自慢の広場という存在そのものが鬼怒川への皮肉にも思えてしまった。

 温泉街は、良い雰囲気を醸し出して営業を続ける古い商店も印象的だ。共同湯を中心とした温泉街と伝統文化は、浮かれる時代も厳しい時も何が大切なのかを問い、そして守ってきたのだろう。温泉は文化といわれる。だからこそ文化成熟度は温泉街の価値を高めるのだ。

瀧澤信秋 (たきざわ のぶあき/ホテル評論家 旅行作家)