愛知県知事のリコール署名を巡る不正問題。これまで署名収集の依頼を否定し続けてきた愛知100万人リコールの会事務局長は、主張を一転させて署名収集を依頼したと認めました。

 名古屋テレビは、事務局長に電話取材した内容を「リコール事務局長『署名集め依頼した』一転し認めるも『偽造を依頼したわけではない』」と題して報じています。

 事務局長は署名集めの依頼は認めたものの、「署名の偽造を依頼したわけではない」と偽造の依頼については否定しています。しかし、これまで依頼そのものをしていないと語っていただけに、発言の信ぴょう性が疑われても仕方ありません。また、もし発言の通り偽造を依頼していなかったとしても、依頼された側としては、暗に偽造を指示されたと受け取った可能性も否定できないはずです。

 もちろん、本当に事務局側は偽造を依頼しておらず、業務受託者側も偽造する意図がなかったのかもしれません。もし、そうだとすると次のような事件だったことになります。

 事務局側は、あくまで合法的に署名を集めることを依頼。しかし、その意図を受託者側が過度にくみとってしまい、行き過ぎた忖度や勘違いなどが重なった結果、意図せず不正が発生することとなった悪意なき事件――。偽造の指示はあったのか。また、不正してでもリコールを成立させようとする悪意があったのか。こうした実態の解明は愛知県警の捜査を待つことになります。

 ただ、業務の発注者である事務局側から不正指示があったかどうかはさておき、業務を受託した方の立場側から考えても、今回の不正事件には腑に落ちないところがあります。

 今回の事件を上流(発注者)側の視点ではなく、署名収集を依頼された下流(受託者)側の視点から見てみるとどのように映っていたのかを考えていきます。

 署名偽造の一部については、愛知県から800キロ以上も離れた佐賀県で行われていたことが分かっています。そこで実際に署名の書き写し業務に当たった人の証言をさまざまなメディアが報じています。2021年2月18日、読売新聞は「【独自】愛知リコール署名、佐賀で大量偽造か…『名前を書き写すだけ』バイト募集」と題する記事を掲載しました。以下、この記事内容をベースに考察を進めます。

 記事によると、署名収集業務には主に3つの業者が関わっていたようです。最も上流に近いのはリコールの会事務局から直接発注された広告関連会社ですが、最も下流にいたのは最終的に署名書き写しのアルバイトを集めた人材派遣会社となっています。

 ただ、人材派遣であれば労働者派遣契約を結んでいるはずなので、そうなると集めたのは「アルバイト」ではなく「派遣社員」ということになります。しかし、記事ではアルバイトとなっているので、派遣ではなく発注者が直接雇用する日々紹介の形態だった可能性があります。記事上ではその点がはっきりしないため、ここでは人材派遣会社より広い意味合いの人材サービス会社と呼び、話を進めます。

●受託者側は内容を知っていた?

 記事内容から、署名収集グループの最下流でアルバイトを集めた人材サービス会社には、少なくとも「名前を書き写すだけ」の仕事であることは伝わっていたことになります。ただし、これだけだと何の目的で、どんな資料をもとに、どういう人の名前を書こうとしていたのか、ということまでは分かりません。

 署名書き写しの現場には「名古屋市内の会社」から来たというスタッフがいて業務指示を行っています。そこでは具体的に細かい指示が出されているため、「名古屋市内の会社」は業務の詳細を把握していたことになります。その「名古屋市内の会社」が最下流の人材サービス会社なのか、一つ上流にいる下請け会社なのかは特定できませんが、少なくとも「名古屋市内の会社」は以下の情報を知る立場にあったはずです。

・愛知県知事リコール署名に関わるアルバイト募集であること

・リストから愛知県民の住所、氏名、生年月日をリコールの署名簿に書き写す作業であること

・作業内容を口外したりSNSなどで発信したりしてはならないほど機密性が高い作業であること

・書き写しする数は、一度に100人近い人数で少なくとも4日以上かかる分量であること

・少なくとも、上記の人数を確保するだけの経費がかかっていること

・何らかの事情により、この作業を愛知県ではなく佐賀県で行うこと

 この6項目には、あちこちに“きな臭さ”が漂っています。

 まず、愛知県知事リコール署名に関わる案件であることが挙げられます。政治に関わる案件にはさまざまな背景や思惑、感情が絡んでいることが多く、表からだけでは分かりづらいリスクをはらんでいることがあります。それだけで受託者側としては慎重かつナーバスになるものです。

●その他にも怪しい点が

 次に、住所・氏名・生年月日というセンシティブな個人情報を取り扱うことも挙げられます。この3つの情報は、同時に揃うと本人確認できるような、厳重に管理されるべき重要個人情報です。当然、第三者へ簡単に開示できるようなものではありません。他人に口外したりSNSで発信したりすることを禁じて誓約書の提出を求めていることからも、機密性の高い作業であると認識されていたことが伺えます。

 さらに、署名の書き写しという作業に、100人近い人数が4日以上もかけていることもポイントです。それだけの人数を集めるだけでも大変な労力ですが、全員が指示通りに作業できるようマニュアルを整備したり、作業会場を押さえたりと、相応の事前準備が必要です。決して適当に募集したらそれだけの人数が偶然集まったというものではないはずです。

 つまり、目標となる署名の数が先に分かっていて、その数を期日までに達成できるよう逆算して作業工数を割り出し、必要な人数を意図的に集めた、と考えるのが自然です。それだけ膨大な数の署名を書き写さなければならないことを「名古屋市内の会社」は、業務を受託した時点で分かっていたということです。しかも、なぜか作業場所は愛知から遠く離れた佐賀県でした。それが発注者からの指示だったとすれば、愛知県から離れた場所にする何らかの事情があったと考えられます。

 そして、これらの大掛かりな作業のために大きな金額が動いています。記事では時給950円とありますが、さらに交通費も支払われていたという別の報道もあります。交通費や会場費などはいったん横に置き、アルバイトにかかる人件費部分だけ切り出しても相当な金額です。

 仮に8時間作業すると、一人頭7600円。それが100人で4日間だとすると、7600円×100人×4日間=304万円です。一連の署名収集業務グループの下流にいるアルバイト人件費だけで300万を超える金額が動いているのです。この金額はあくまでアルバイトへの賃金相当分なので、仮に受託事業者が30%のマージンを上乗せしていたとすると、発注者への請求額はもっと高くなります。請求額をαとすると、α-304万円=α×30%という式で計算できます。請求額は434万2857円。400万をゆうに超えます。

 政治がらみで、センシティブな個人情報を扱い、大きなお金が動いているという明らかに“きな臭い”案件なのに、なぜ「名古屋市内の会社」はそれを受託したのでしょうか?

 もし“きな臭い”ことに気付けなかったのだとしたら、そもそもセンサーが働かないほど力不足の事業者が安易に受託してしまったということになります。事業を行う資格自体が問われてしまっても仕方のないレベルです。

 一方、本当は“きな臭い”ことに気づいていたものの、あえて受託したのだとしたらどうでしょうか。その場合は、3つのパターンが考えられます。

(1)受発注者間のパワーバランス

 1つ目は、発注者と受託者との間に依頼を断れないような力関係があった場合です。本当は受託したくなかったものの、受託せざるを得ないような不健全ともいえる支配力が働いていた可能性があります。

(2)担当社員の力不足

 2つ目は、この案件を担当した社員が未熟だった場合です。受託事業者としては断るべき案件だったものの、担当した社員が未熟だったがために“きな臭い”ことに気付かず、うっかり受託してしまったのかもしれません。その場合、未熟な担当者の一存で受託を決められてしまう組織構造そのものに重大な欠陥があったことになります。

(3)行き過ぎた売り上げ至上主義

 そして3つ目として考えられるのが、売上利益至上主義です。“きな臭い”とは感じていたものの、受託すれば売上利益になります。グレーなら売上利益を優先しよう、あるいは、ブラックであってもバレなければ売上利益になるのだからやろう、という判断が下された場合です。目先の売上利益に目がくらんで不正に加担してしまったのだとしたら、受託者に対する同情の余地はありません。

 リコール署名の不正問題は、一連の署名収集業務グループの下流側から見ても、その怪しさ、きな臭さが見えてきます。そこにセンサーが働いたのか否かにかかわらず、案件を受託した事業者側にも落ち度があるように思います。ほとんどの事業者がセンサーを働かせ怪しい依頼を断っていたとしても、1社でも受託する事業者が現れてしまうと不正は成立してしまいます。

 今回の不正問題は発注した上流側の犯罪性に焦点が当たりがちですが、下流にいる受託者側がしっかりしていれば防ぐことができたように思います。不正を認識していたか否かに関わらず、受託者もまた責任を認識すべきです。

 発注者に悪意があれば、その悪意に応じてくれる受託者を探します。しかし、悪意に応じる受託者がいなければ事件は起こしようがありません。もし発注者に悪意がなかったとしても、受託者が依頼内容の中にいち早く不正要素を発見して改善を要求し、改善されなければ受託しないという毅然とした態度を示せば、事件発生を防ぐことができます。受託する側がセンサーの感度を高め、断る勇気を持てば、事件発生を食い止める抑止力となるのです。

(川上敬太郎)