新型コロナウイルス感染症の拡大で、ライブやコンサートを主催、運営するエンターテインメント業界は大きな打撃を受けた。

 会場に観客を入れるのが難しくなったため、ライブ映像のオンライン配信が広まった。また、以前からチケットの多くはWebサイトで販売されており、イベントのデジタル化はある程度進んでいる印象を受ける。

 しかし、「エンタメ業界、特にイベント運営はアナログ文化で、顧客データをうまく活用していない」と指摘する人がいる。エンタメのDX化に取り組むバルス(東京都千代田区)のCEO、林範和氏だ。顧客データを活用することで、イベント運営はどのように変わるのだろうか。話を聞いた。

●データはばらばら、判断は「肌感覚」

 林氏が最も課題に感じているのは、チケット販売など一つのフェーズでデジタル化をしても、それが他のフェーズに生かせないことだ。なぜなら、チケット販売、映像配信、物販は、それぞれ別の会社が提供していることが多いからだ。

 つまりファンは、A社でチケットを買い、B社で配信映像を視聴し、グッズはC社のサイトで購入する。これでは誰がどのような購買行動を行っているのか、データが分断されて全く分からない。結果として、一つのイベントで得た顧客情報を分析して次回に生かす、といったことができず、「現場の雰囲気」や「肌感覚」を頼りに判断をする状態だ。

 林氏が、イベント運営のDXが必要だと感じたのは、前職の経験がきっかけだという。ゲーム会社でソーシャルゲームに携わっていた林氏にとって、エンタメ業界には「もったいない」と感じることが多かった。

 「ソーシャルゲームは、ユーザーがログインしてから何をしたか、どんなイベントに参加したか、どこで課金したかといったデータが全て取得できます。イベントの好評・不評のデータも取れる。それによって運営しやすくなっています。アーティストやライブは、ゲームのように毎日課金してくれてもおかしくない属性のコンテンツです。ファンである顧客のことを理解できていないのは、もったいないと思いました」

●バーチャルタレントの運営から、生まれたシステムとは?

 バルスはこれまで、3DCGの制作や、XR技術を用いたバーチャルライブシステムの構築などを行ってきた。自社で実験的に「銀河アリス」「MonsterZ MATE」といったバーチャルタレントを抱え、主催者としてイベント運営を始めた際に、こうしたエンタメ業界のデータ活用の課題に気が付いた。

 自社タレントのため、チケットやコンテンツの販売、有料配信などを一貫して行うシステムを構築した。コロナ禍を受け、オンライン配信やハイブリッド型のイベントが増えてニーズを実感したことから、そのシステムを「SPWN portal」として提供を始めた。

 SPWN portalを使うことで、アーティストは独自のWebサイトを作ってチケットやグッズを販売できる。また、顧客・収益管理ツールにより、ファンの行動を見える化でき、宣伝やイベントの企画、グッズ販売に生かせるという。

 グッズを売り続けることによって、ファンがどこで何を何回買っているか、どういう人が買っているかといったマーケティングデータを取得できる。これらのデータから、例えば自分たちのファンは地域的にどこに多いかなども分かる。

 例えば今までは三大都市でライブをしていたけれど、実は東北地方にファンがたくさんいるから東北に行った方がいい、といったことが分れば、今後の戦略を立てる指針になる。

 「別会社がばらばらにサービスを提供していて、グッズとチケットを一括で売ることもあまりできていない。そんな中、SPWN portalでは顧客との接点を一括管理できるようにしています。ライブ動画を見ながらグッズを購入できるライブコマースや、ライブ中にファンに意見を聞く機能も用意しています」

 システムは改善を重ねている最中だ。今後はデータを取るのが難しいとされてきた、リアル会場での物販もサービス内に取り込もうとしている。

 例えば、今まで並んで買うしかなかった会場でのグッズ販売に、オンラインで配布する整理券システムを導入すると、ファンが買いやすくなるのはもちろん、「密を避ける」ことにも役立つ。

 売れ筋商品もすぐに分かり、データを分析して次回以降に生かせる。また、ECサイトと会場物販の在庫管理を一括して行うことで、在庫が足りなくなったり、余ったりすることを防ぐ。

 これまで、会場物販の混雑や行列をコントロールするために、主催者はレーンや警備員を用意していた。その分のコストカットもできると、林氏は考えている。

●既存ファンがリピートしていなかった……! データが与えた気付き

 バルスに所属しているアーティスト「銀河アリス」のイベントでも、同システムを活用している。

 これまでSNSに投稿されるコメントなどから、イベントに来場してくれるファンはリピーターのコアファンが中心で、新規来場者はほとんどいないと考えていた。しかし、データの収集を始めたところ、実は半分くらいは新規だと分かった。来場者のデータが想定と異なると、施策の打ち方がまったく変わってくる。

 「以前は新規ファンを増やすため、新規の方が買いやすいようにエントリープライスを用意したりしていました。しかし、実は既存ファンがあまりリピートしていない状態だったので、リピートさせるための施策を考えるようになりました」

 例えばグッズのTシャツの購買データを見ると、新規の人はよく買うが、デザインを変えてもリピーターはそれほど買っていないと分かったという。

 ドームライブのような大規模なイベントでは、グッズの在庫も大きくなる。売れないと在庫が重くのしかかる一方、イベント初日に売れすぎれば在庫切れになり、売り逃しが多くなる。購買データがたまってくれば、売れ行きを予想できるようになる。

 ただ、データはたまらないと活用できない。分析も重要だ。同社はデータを把握しやすくするダッシュボードを提供し、最終的には「Google アナリティクスのように、オンライン上で自分たちのファンを分析できるようにする」予定だ。主催者はユーザーデータを活用して無駄を抑えた運営ができるようになり、ファンも欲しいものが手に入る状態を目指すという。

●舞台「タンブリング」で導入予定

 SPWN portalは、6月11日から始まるテレビドラマ原作の舞台「タンブリング」で正式に導入予定だという。なお、物販や整理券の仕組みは、開発途上で試験的に導入しているものもあるという。

 「『タンブリング』のような作品の場合、コンテンツ(原作)が好きだから見る人もいれば、俳優が好きだから見に来る人もいます。SPWN portalで、その割合などの傾向も見えてくると考えています。作品のグッズだけでなく、個々のタレントのグッズも扱っているので、分析により何を用意しておくべきかが分かってくると、品切れして買えなかったということが少なくなるでしょう」

●紙はもういらない? 来場者の反応とは

 これまでの試験導入では、想定外のこともあった。林氏は「リアル会場では紙に印刷した方がオペレーションしやすいと思ったのですが、お客さんはもうスマホでいいという感じでしたね」と話す。

 一方で、チケット、整理券、グッズのオーダーシートなど、全てをオンライン化していくと、現場で戸惑う恐れもある。

 林氏は「イベントで使うQRコードが複数になると、どれを出せばいいのか分からなくなる。1つのQRコードで完結できるようにしないと、間違いも増える。連続して使えるUXが需要だと感じています」と、今後の課題を話す。

 また、多くのファンにシステムを利用してもらうには、便利だと感じてもらうことが必要だ。

 「現地で現金で買う人でも、購入履歴が分かるとか、購入したグッズを管理できるといった付加価値を付けていく必要があります。まずは今度のイベントで、SPWN portalを利用して購入している人と、現金で直接買う人の比率などを確認してみたいと思っています」

 現在は、主催者がファンを理解できるようにする段階だ。この後は、「マーケティングの観点では、アップセルやクロスセルをしやすくしていきたい」という。ログインしたときにアイテム提案が出てくる、チケットを買ったらグッズのポップアップが出てくるというような、小売りサイトではすでに当たり前にやっている“ついで買い”を促す仕組みを取り入れていく。

 主催者はファンを理解することで、コストダウンできるメリットがありそうだ。購買行動を予測できるようになると、興行のリスクも下がっていくだろう。

 一方、ファンが直接的なメリットを感じることはないかもしれないが、適切な在庫管理によりグッズの買い逃しがなくなり、地方でもニーズが多くある地域では、イベントが近くで実施され、行きやすくなるかもしれない。

 「明確なメリットは実感しにくいかもしれませんが、確実にストレスは減っていくと思います」

●チケットを「手軽に売る」流れは来るか

 これまで、チケットの多くはプレイガイドで販売していた。全国にリアルな販売網を持つプレイガイドが顧客情報を持ち、主催者は限定的な情報しか得られないことに、違和感を覚えることはなかった。

 しかし現在、チケットはWebで購入し、QRコードを表示して現地で受け取るという手段が増えている。決済手段も、コード決済やコンビニ払いなど、クレジットカードを持っていなくてもさまざまな方法で購入可能だ。

 イベントの宣伝についても、かつてはコンビニやプレイガイドの店頭で露出されることが重要だったが、今、ほとんどのファンはアーティストのSNSから情報を得てチケットを購入している。

 このように、プレイガイドの価値は相対的に下がっている。

 林氏は「手軽にチケットを売って顧客情報を入手した方がいいのではないか、と考えている人が増えてきていると思います」と話し、今後の商機に期待を込めた。