先日、海外から驚きのニュースが報じられた。

 英BBCは6月9日、「米豪などの捜査当局は8日、米連邦捜査局(FBI)が立ち上げた暗号化メッセージアプリ『ANOM』を使った国際おとり捜査で、18カ国で800人以上を逮捕したと発表した」と報じている。

 「800人以上を逮捕」と言うだけで驚きだが、多国籍な法執行機関によるこのオペレーションは「トロイの盾」と名付けられていた。ほかの情報をまとめると、その捜査の規模の大きさに驚かされる。

 欧州刑事警察機構(ユーロポール)によれば、捜査に協力した国は、オーストリア、オーストラリア、カナダ、デンマーク、エストニア、フィンランド、ドイツ、ハンガリー、リトアニア、ニュージーランド、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、イギリス、アメリカだ。

 家宅捜索などを行なったのは700カ所以上。コカインは8トン、大麻は22トン、覚醒剤(メタンフェタミン)は2トンが押収された。さらに、250丁の銃器や、高級車は55台、日本円にして50億円以上の現金や仮想通貨が押収されたという。過去最大規模のおとり捜査だといわれている。

 今回のニュースで特に興味深いのは、このおとり捜査に、暗号化された携帯とアプリが使われたことだ。しかも事件で明らかになったのは、犯罪者たちが使うこうした暗号化ツールの市場がきちんと存在しており、ビジネスとして成り立っていたことである。

 FBIは、犯罪者コミュニティーの間でこのスマホのシェアを高めることに成功していた。そもそも犯罪者御用達の暗号スマホとはどんなモノなのか、またどのような形で使われていたのだろうか。捜査資料をひも解いていくと、そこには「FBI流のビジネス流儀」が浮かんできた。

●暗号スマホとは

 今回の捜査は、2018年に暗号スマホを提供する業者が逮捕されたことから始まる。FBIが前年からマークしていたこの業者は、「ファントム・セキュア」という暗号化スマホを提供して、利益を得ていた。仲間4人で運営していて、FBIによると「将来性のあるビジネス分野」だったという。

 暗号スマホとは、どんなモノなのか。FBIによれば、暗号化したコミュニケーションを送ったり受け取ったりでき、データも暗号化して保存することが可能だという。サービスを提供するためのサーバは、パナマや香港に置いていた。ただ通常のスマホと比べるとかなり制限があって、普通の電話番号にはかけることができないし、インターネットも使えない。そのぶん、外部から覗き見されることはない、という触れ込みだった。

 この暗号スマホを利用するには、2カ月から6カ月の契約プランから選ばなければいけない。6カ月のプランなら、スマホの料金と合わせて2000ドルほどの料金設定だった。

 もちろん、その辺のお店で購入はできない。口コミ式で紹介制。ファントム・セキュアのユーザーのみが他のユーザーを引き入れることができるシステムになっていた。

 もはや世界的に暗躍する犯罪者だけをターゲットにした、かなりニッチな市場だと言える。それでも、ファントム・セキュアでオーストラリアなどを中心に数千億ドルを荒稼ぎしていたという。

 この業者は結局、有罪判決を受けた。禁錮9年の実刑と8000万ドルの罰金を課されることになるのだが、FBIはこの暗号スマホの製作を担当していた人物(この人物も麻薬で逮捕歴があった)を“協力者”としてスカウトする。犯罪組織が必要としているのは、警察から逃れられる安全なコミュニケーション。そこを突こうとしたのだ。

●「ANOM」が完成

 次に、FBIはどういった行動に出たのか。逮捕した業者らを使って、新たなシステムを作り、犯罪組織にばら撒(ま)く作戦に出た。見返りは、12万ドルの報酬と、6万ドルほどの経費である。そして、完成したのが「ANOM(アノム)」と呼ばれるスマホとアプリなのだ。

 実はこの業界、競合となるサービスがいくつかある。FBIは、このANOMを広くばら撒き、犯罪者の中でシェアを拡大するため、強引な手段に出ている。ファントム・セキュアの関係者らへの捜査によって、存在が明らかになったライバル業者スカイグローバル社を摘発。また「EncroChat(エンクロチャット)」という暗号化で安全な通信をウリにしていたデバイスも、当局がその利用者を特定し、次々と逮捕者が出る事態になった。これらの逮捕劇の裏側には、多くの人間にANOMを使わせる狙いがあったと見られている。

 さらに、転機となったのは、闇世界で知られた大物犯罪者の行動である。オーストラリアの麻薬密売人ハカン・アイクがANOMを使い出したことだ。彼はトルコ系オーストラリア人で、世界各地で麻薬密売組織を運営。オーストラリアでも、最重要指名手配犯として知られる存在だった。最近では拠点をトルコに移していたが、フェイスブックで筋骨隆々の体の写真をアップするなど「フェイスブック・ギャングスター」と呼ばれていた。

●ANOMを広めた

 それにしてもFBIは、どのようにしてANOMを広めたのか。触れ込みは「超安全なスマホまたはアプリで、監視には絶対にかからない」というものだった。

 オーストラリアを例に見ると、最初は犯罪者「市場」に50台を投入し、口コミで評判を広げた。1年後には数百人が利用するように。それがあっと間に、世界90カ国で1万台以上が売れている。1台2000ドルと考えると、単純計算で2000万ドルの売り上げである。その後も、オーストラリアやドイツ、オランダ、スペイン、セルビアを中心に利用者はどんどん増えていった。

 とにかく「トロイの盾」作戦は、徹底した工作だった。麻薬密売など違法行為に手を染める犯罪者たちを摘発するためには、ここまで徹底してやらなければいけないのかもしれない。捜査資料などを読んでみると、捜査員らの執念すら感じる。これが「FBI流ビジネス戦略」なのだろう。

 一方で、FBIのやり口を見ていると、国家の後押しによって世界シェアを広げている企業の姿が思い浮かぶ。サービスの土台となる技術は他国などから盗み、それを国内の企業に横流しし、国が潤沢な補助金などを出して値段を低く設定できるようにしたり、競合他社を市場に入れないようにしたり、さまざまな妨害を行う。どことは言わないが、こういう企業は実際に存在している。FBIの「トロイの盾」と、仕組みは同じだ。

●次はどうなる?

 結局、この大捕物(おおとりもの)では、冒頭で触れたように、かなりの数の犯罪者を摘発することに成功している。ちなみに、FBIが公表しているANOM利用者がいる国を示す世界地図によれば、21年5月の時点で、日本にも利用者がいたことが分かる。もしかしたら「トロイの盾」作戦によって、さらなる逮捕者が出てくるのかもしれない。

 さすがに、ここまで報じられているので、犯罪者らはANOMを使用していないだろうが、いずれにしても、また同じような暗号スマホがどこかで作られ、使われることになるだろう。要は、いたちごっこである。

 犯罪者たちが地下で使っている暗号通信の実態を暴露した今回の事件。次はどんなコミュニケーションツールが登場するのか、見ものである。

(山田敏弘)