プロ野球選手の現役期間は短い。しかし、幼少期から野球に心血を注いできたゆえに、球団のコーチや少年野球の指導者以外の選択肢をなかなか持てず、セカンドキャリアに悩む人は多い。

 そんな中、元横浜DeNAベイスターズの投手、中後悠平(なかうしろ・ゆうへい)さんは、野球人生で3度目の戦力外通告を受けたタイミングで、同球団の営業部への転身を決意した。選手が引退後、すぐに営業に配属されるのは異例のことだ。

 中後さんが引退を決断した理由、セカンドキャリアを歩む中で感じる困難と喜び、現在の仕事にかける思いを聞いた。

●野球に携われる希望の光をもらった

――3度目の戦力外通告を受け、横浜DeNAベイスターズの職員に転身を決めた際の気持ちを教えてください。

 通告を受けたその日に、「職員として残らないか」と球団の方から話をいただきました。球団のベースボールスクールコーチとしての誘いだろうと当初は思っていました。しかし、後日話し合いの場に行ってみると、ベースボールスクールコーチと、“営業部”の選択肢を提示されたんです。

 元選手が直接営業部に就くことはほとんどありません。同時期に戦力外通告を受けた選手が数人いましたが、職員の誘いを受けた人はみんなベースボールスクールコーチの道に行きました。ビジネスに縁もゆかりもない僕に、営業としての提案が来るとは思っていなかったので、ありがたさを感じました。

 指導者とは違う方向から野球に携われる、希望の光を与えてもらったんです。

●最後まで悪あがきしたい気持ちも

――選手として続けたい思いはありましたか?

 最後まで悪あがきしたい気持ちはありましたし、今でも戻れるなら選手に戻りたいと思っています。でも通告を受けた当時、他球団から声がかからなかったので、自分の状況を受け入れて一線を引きました。

 「選手としてできないなら、球団事業側からファンの皆さんを喜ばそう」という考えが自然と湧いてきて、営業として、職員になると決断しました。

――ご家族はどのような反応でしたか?

 奥さんは、野球に関わりたいという僕の意思を尊重してくれました。もしかしたら内心不安で、他の仕事に就いてほしいと思っていたかもしれませんが、そういうことは一切言われませんでした。家族のことをほったらかして、好き勝手に野球のことだけやって、迷惑ばかりかけて。それでも支えてくれているので、ありがたいなと思っています。

 選手のころは遠征や自主トレ、キャンプも合わせると1年のうち3分の2は家には帰れませんでした。今はカレンダー通りに土日休みのある生活ができているので、家族と関わる時間は増えています。特に嬉しいのが、夏に子どもと海に行けるようになったことです。現役時代はシーズン真っ最中なので絶対にできませんでした。

●選手と球団の架け橋になりたい

――球団職員になって、一番変化したことはなんでしょうか?

 球団がチームを支えるために、裏側でやってくれていたことに気付けたことです。特に大きかったのは、コロナで無観客試合が行われた際、客席にファンの皆さんを写した応援パネルを設置した経験です。全部で3000人分くらい。土砂降りの中、社員全員でかっぱをかぶりながらイスにくくりつけました。

 選手だったときは、そういう裏側をあまり意識できていませんでした。球場に行ったらパネルが設置されてて、スポンサーのフラッグが掲げてあるのが当たり前。でも、その一つ一つを誰かがやってくれてたんですよね。

 無観客でもファンの皆さんを楽しませたり、スポンサーに敬意を示したり、街の人たちに感謝を伝えたりする、球団側の役割の大きさを感じて、これからは自分がそちら側をやっていくんだと自覚がわいてきました。

 選手たちはプレーの質を上げることに一生懸命なので、球団側が何をしているのか、どんな思いでいるのか、そこまで意識が回らないことがあるですよね。自分たちだけで成り立っていないことは知っているけれど、実際に何をしているかは深く知らない。

 それを少しでも知るきっかけがあったら、選手たちの考え方やプレーにも良い変化が起きると思うんです。例えば、球団が開催してくれていた健康管理セミナーも、目の前のことに集中している選手からすると「練習したい」「休みを取りたい」と、あまり気持ちが乗りません。

 でも長い選手生命を考えると、とても大事な考え方を知る機会でもあります。裏側にある球団側の思いを感じられたら、受けるときの心持ちも変わって、結果として自分の選手としての寿命を延ばすことにつながるかもしれません。

 僕が球団事業側で働く中で気付けたことを、選手たちにもしっかりと伝えていきたいです。どちらの立場も分かるからこそ、選手と球団の架け橋的な存在になれたらと思っています。

●数千万円規模の受注で、個人目標を達成

――営業職への転身は、大変なことも多かったんじゃないでしょうか?

 本当に大変でしたね。なにせ基礎中の基礎を知りませんから。パワーポイントを使った資料作成とか、タイピングとか全く分からなくて、些細(ささい)なところを相談させてもらいながらなんとか慣れていきました。

 特に大変だったのは、最初の2〜3カ月に経験した営業のロールプレイング研修です。上司5人が仮想企業をそれぞれ作って、その企業様から契約をいただくために、テレアポ、企画書の作成、部内や社内の調整、契約書の締結まで一通り経験するものでした。

 資料作成もままならない中で、5つの案件を並行して進めていくのはあまりにも大変で、1週間は毎日終電で帰ってましたね。最初のころは、何をどうしたら良いのか分からなくて、できもしないのに一人で仕事を抱え込んでました。

 その様子を見ていた上司は「野球だってボールを抱えてても始まらんだろ」と、抱え込まず相談することの大切さを教えてくれました。そうやって優しく接してくれる一方、あえて厳しく接してくれて、仮想企業側の立場から無理難題を提案されたり、難しい条件を出してきたりするんです。この期間で徹底的に営業ノウハウをたたき込んでもらいました。本当に濃い2カ月半で、実際7キロも痩(や)せました(笑)。

 それでも辞めたいと思わなかったのは、20年間野球を続ける中で身についた根性が生きているのかなと思います。小学校のころからずっと野球一筋で、うまくいかなかったり、理不尽なことを言われたり、何度もめげそうなときがありました。でもそのたび、自分が直せるもの見つけて、一つずつ改善していくのを繰り返してきたんです。野球が教えてくれた、そういう前向きな考え方のおかげで、研修を乗り切ることができたし、今も仕事ができているんだと思います。

――野球の経験が生きてるんですね。研修の成果はでましたか?

 2020年11月ごろに、初めて冠ゲームの受注をいただくことができました。上司にサポートしてもらいながら、メイン担当として密にコミュニケーションをとって、やっと契約に至ったときは嬉しかったですね。先方も僕の初受注を一緒になって喜んでくれて、それまでの努力が報われた気がしました。

 そこから徐々にできることも増えていき、今季は数千万円規模の案件も受注し、個人目標を達成することができました。

 でもこれは決して1人で出した成果ではありません。上司に支えてもらって、チームメンバーが調整してくれて実現できたことなので、喜びよりは、みんなへの感謝のほうが大きいですね。今回のことにおごらず、来年はしっかりと独り立ちして、貢献していきたいです。

●セカンドキャリアの幅を広げる

――これからのキャリアについては、どうお考えですか?

 ずっと指導者をやりたいと思っていたので、資格回復制度の講習を受け、資格を取得しました。いつになるかわかりませんが、そういう道に進む準備はしています。

 でも今は、営業の仕事をしっかりとやっていきたいです。僕が元選手であることを知っているお客様は、「よく営業の世界に入る決心をしたね。頑張って」と応援してくれるんです。お客様をもっと大事にしていきたい、という責任を感じています。それに、引退してなんの取り柄もなかった自分をひろってくれた会社に恩返しをするためにも、一生懸命頑張りたいです。

 選手を引退してそのまま営業部に入った僕がしっかりと成果を出せれば、選手のセカンドキャリアの選択肢は広がっていくはずです。今の自分があるのは、営業部にいる元選手の先輩方のおかげですから、次は僕自身が、後から入ってくる人を支えられる存在になっていきたいと思います。

(岡のぞみ)