会社員の最大の“リスク”は上司──。

 かれこれ20年近く、800人以上のビジネスパーソンにインタビューする中で、こう感じることが度々ありました。

「上司に嫌われてるから、課長になれない」「上司とウマが合わなくて、降格させられた」「結局、上司が気に入る仕事をする人が出世する」「成果主義になってから上司の顔色を伺うやつが増えた」

 こうした「上司の壁」に一石を投じる手段になるかもしれない“新制度”を、損保ジャパンなどを傘下に持つSOMPOホールディングスが導入すると公表し、話題になっています。

 報道によれば、2022年4月からは60ある全ての課長職を公募制にするとのこと。ポストによっては一定の実務経験が条件になるものの、「年齢制限なし、現在の役職制限なし!」で、誰でも手を挙げられます。

 同社ではすでに20ある部長ポストは公募制としているので、企業側が期待する効果がある程度検証できたということなのでしょう。いずれにせよ「管理職の公募制」自体は少しずつ他の企業でも広まっているので、SOMPOホールディングスの導入をきっかけに一気に広がる可能性は高いと思われます。

 私は常々「自分から手を挙げることが重要」と考えていたので、公募制には200%賛成です。

 SOMPOホールディングスの制度では、ポストに課せられたミッションがあり、未達成の場合は降格や賃金削減もあるとされています。しかし、人は「自分が決めたこと」であれば、しんどいことでも踏ん張るエネルギーを引き出せる。自分が決めたことであれば、困難な状況も「自分への挑戦だ」と受け止められます。

 最近は「社員にストレスを与えてはダメ」とする風潮が広まっていますが、いつだって人を成長させるのはちょっとしたストレスであり、ちょっとした苦労です。ですから「自分にはちょっと……」とためらう気持ちがあっても、成長するチャンスだと捉えて「やります!」と手を挙げる人が増えればいいなと思っています。

 その一方で、公募制にする以上、会社側には最大限のサポート体制を作っていただきたいと思います。必要なスキルを習得する機会の提供、ミッションを達成するために必要なリソースにアクセスできる権限、さらには、「失敗を許す」ことへの投資も必要です。

 人は失敗する自由があるからこそ、全力で取り組めます。「自分で考えろ!」とは上司の決まり文句ですが、失敗しない限り学ぶのは無理。試行錯誤する中で考える力は高まっていきます。なので、会社側にはぜひとも、山あり谷あり、池ポチャありの経験ができる環境と、「失敗が言える」組織風土を作り上げる覚悟を持っていただきたいです。

 そして、もう一つ「公募制=手を挙げる自由」を取る以上、「手を挙げない自由」を認める制度も作り、「新しいチャレンジ」だけを評価するのではなく、「続けること」も評価することが必要です。企業が「公募制」に期待する、社員の活性化と生産性の向上は、自由の両輪を生かすことでしか成し得ません。

●経営を支える「見えない力」

 かつて日本経済を牽引(けんいん)したのは、「技術力の高さ」だったことを否定する人はいないはずです。

 しかしながら、バブル崩壊以降、日本企業は「人」より「数字」ばかりを見て、知恵よりも知識を優先してきました。かつて日本経済を支えた「続ける力」「繰り返す力」を評価しなくなったことで、企業の屋台骨だった「技術力」は劣化しました。

 私は講演会などで会社を訪問するたびに、工場などの現場を見せていただくのですが、あるとき案内してくれた営業部の男性が、「うちの会社の技術は工場で生まれました」と話してくれたことがあります。

 「世界に誇る技術が生まれたのも、さまざまな機能をオートメーション化できたのも、長年工場で働く人たちがいたからです。ところが、時代が変わり、目に見えない力や、数字に反映されない労働力は評価されなくなりました。海外の工場で安いコストで生産し、かつては工場で生まれていた新しい技術は、理系の高度な専門知識を持った人たちを集めた『開発室』が担当し、マーケットリサーチで新製品を考えるようになりました。

 もちろんそういったやり方の全てを否定するわけじゃありません。でも、日本には日本のやり方がある。日本人ならでは、真面目さを生かさないと世界には勝てないと思います」

 続けて、男性はこのように嘆きました。

 「私は入社以来ずっと営業畑を歩んできましたが、若い頃に生産ラインに何度も足を運び、こだわり続ける職人の熱さや、実直なまでにものづくりに取り組む彼らの姿勢から、たくさんのことを学びました。昔は、生産ラインの工場長も部長職と同じレベルの賃金をもらってたんです。なのに今では、管理職にならないと賃金は上がらなくなった。本当にこれでいいのかな、という気持ちがぬぐえません」

 私自身、以前、世界にワザを誇る日本の中小企業を取材して回ったことがあります。世界で認められている“日本のワザ”は、いずれも小さな町工場で生まれていました。何十年にもわたって作業着に身を包み、毎日同じ作業を繰り返す中で生まれていたのです。

 ときには繰り返しの中で見つけた発見が“ワザ”につながることもあったし、ときには「こんなものが作りたい」と、毎日試行錯誤して、何十年もかかって生まれた“ワザ”もあった。

 新しいことは、何年も何年も同じことをやるうちに生まれるもの。

 同じことを繰り返すからこそ「もっといい方法があるのではないか?」「こんな面白いことができるんじゃないか?」と新しい発想が生まれます。

 続ける力と繰り返す力が、新しい発見や会社を支える力となるのは、何も生産ラインの人たちだけに限ったことではありません。

 事務系の人たちだって、営業職の人たちだって、長く会社に関わり続けることで、新しくて、強いものを生み出し、会社を支える顧客を獲得していきます。

 顧客ロイヤリティー研究の第一人者フレデリック・ライクヘルドも、自著『The Loyalty Effect』(邦題:『顧客ロイヤリティのマネジメント』)の中で、顧客との間に確固たるリレーションシップを築くには、それ相当の時間がかかるとし、「ロイヤリティーの高い顧客を確保するためには、企業に長年勤め、同じ仕事を続けている社員の存在が必要である」と指摘しています。

 本田宗一郎氏は、世界各地の工場を作業着で訪れ、食堂で冷め切った食事を出されると「こんなメシを従業員に食わせて、いい仕事ができると思っているのか!」と料理長にカミナリを落としました。さらに当時の工場で主流だった昼夜2交代制を「昼間やって、翌週に真夜中に仕事して、身体を壊したらどうするんだ!」として廃止、日本で初めて連続2交代制を導入しました。

 技術者だった本田氏は、続けること、繰り返すことの大切さを分かっていたからこそ、ものづくりの環境にこだわった。「環境が良くなかったら、働く意欲も落ちる。汚い工場からいい製品は生まれない」というこだわりがあったからこそ、そこで働く人は繰り返し続け、世界のホンダの技術が生まれたのです。

 続ける力、繰り返す力は、数字にできない「見えない力」です。

 変化の激しい社会で、新しいチャレンジを評価することは重要です。しかし同時に、こうした目に見えない力に会社は支えられている。このことを、経営者には忘れでないでほしいです。

●河合薫氏のプロフィール:

 東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。

 研究テーマは「人の働き方は環境がつくる」。フィールドワークとして600人超のビジネスマンをインタビュー。著書に『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)など。近著は『残念な職場 53の研究が明かすヤバい真実』(PHP新書)、『面倒くさい女たち』(中公新書ラクレ)、『他人の足を引っぱる男たち』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)がある。