地元の人々に長く愛されてきた老舗和菓子店が続々と廃業している。

 2021年11月、出雲大社の「神迎の道」で江戸後期に創業した「高田屋」が閉店した。看板商品だった紅白のようかんは、1984年の全国菓子大博覧会で最高賞も受賞したことがある。

 今年に入ると2月には、仙台で1955年から続く「宝万頭本舗」が自己破産で廃業した。東日本大震災後に発売した「ネコまんじゅう」は話題となって、遠方から訪れる人もいたほどだった。さらに3月には、楠木正成を祀(まつ)る神戸の湊川神社の前で、1868年(明治元年)に創業した「菊水総本店」が閉店。正成の姿が焼印で押された瓦せんべえは、地元の人々から愛されていた。

 そして、5月16日には1948年創業の「紀の国屋」が閉店を発表した。看板商品の「相国最中」や「あわ大福」は親子3代で食べている常連客もいるほどだった。東京の多摩地域を中心に新宿や神奈川などで、23店舗を展開していたので知名度も高く、SNSでも衝撃が広がっている。

●廃業する理由は何か

 では、なぜここにきて相次いで老舗和菓子店が廃業しているのだろうか。

 ネットやSNSで盛んに言われているのが、「コロナが悪い」と「スーパーやコンビニが悪い」という2つだ。長引くコロナ禍で手土産をもっていく機会が減ってしまったことに加えて、スーパーやコンビニで、団子やまんじゅうなどが安く売っているせいで、「街の和菓子店」の客が奪われているというのだ。

 ただ、この説には大きな矛盾がある。同じくスーパーやコンビニで安いケーキがたくさん売られて、苦境に追いやられていた洋菓子は、コロナ禍によって息を吹き返しているからだ。

 帝国データバンクによれば、21年は洋菓子店の倒産が急減して過去10年で最も少ない水準になった。和菓子店同様に手土産の消費は減ったが、ステイホームで「どうせ食べるなら少し高くてもおいしいケーキがいいよね」というニーズが高まり、「街の洋菓子店」の価値が見直されたという。これと同じ構造で、「街の和菓子店」の中にはコロナで復調した店もあるはずなのだ。

 長く人々に愛された老舗が潰れた、という話を聞くと、日本人はどうしても社会情勢や巨大小売企業という「分かりやすい犯人」のせいにしたくなるが、このタイミングで廃業が相次いでいることの説明にはならないのだ。

 そこで次にでてくるのが、「和菓子離れ」という話である。

 日本人の食がすっかり西洋化して、「甘いモノ」といえば、ケーキだ、プリンだ、パンケーキだということになってしまったせいで、和菓子店が苦境に追いやられており、次々とこのタイミングでギブアップをしているというのだ。

 ただ、この説もかなり眉唾である。「和菓子離れ」なる現象は、40年以上前から延々と繰り返し指摘されてきた、手垢つきまくりの話だからだ。

 例えば、1983年5月には全国豆類振興会が銀座松屋で、「ケーキなど洋菓子に目がないギャルの関心をひく」(読売新聞 1983年5月11日)ことを目的とした和菓子のPRイベントを開催した。「ヤング層の和菓子離れは定着している」(同上)という現状への危機感からである。

 つまり、「和菓子離れ」は40年以上前からずっと続いている問題であって、コロナ禍で急に和菓子から人々の心が離れたというものでもないのだ。今このタイミングで老舗がバタバタと倒れている理由とするには、さすがに無理がある。

●人口減少が影響か

 では、一体何が原因なのか。筆者は「人口減少が加速した」ことが、老舗和菓子店廃業の背中を押していると考えている。

 総務省によれば、21年10月1日時点の日本の総人口は1億2550万2000人。前年比で64万4000人減っていて、1950年以降で過去最大の落ち込みぶりなのだ。また、人口動態統計速報(令和3年12月分)で見ても、21年は145万2289人という戦後最多の死亡数となっている。これは沖縄県の総人口(約146万人)に匹敵する。

 この145万人の中には高齢者が多くを占めている。それはつまり昨年、和菓子店を支えてきた「ヘビーユーザー」が過去最悪レベルで、激減していたということでもある。全国の老舗が相次いで廃業に追い込まれるのも納得ではないだろうか。

 このような未曾有(みぞう)の人口激減の影響を老舗和菓子店はモロに受ける。典型的な「地域密着型中小零細企業」が多いからだ。

 皆さんも地元で長く愛される和菓子店を思い描いていただきたい。ほとんどが家族経営や従業員が数名程度、大きなところでも100人程度という規模ではないだろうか。

 この1年で廃業に追い込まれた老舗もそうだ。紀の国屋は23店舗展開しているということもあって162人だが、神戸の菊水総本店も13人(公式Webサイト)だし、出雲の高田屋にいたっては、「10年ほど前から職人を雇うのをやめ、夫婦で切り盛りしていた」(前出・読売新聞)という。

 このような典型的な地域密着型中小企業は、どうしても人口減少に弱い。そこで働いている人たちの能力うんぬんの話ではなく、組織が構造的にモノやサービスの価値を上げていくことが難しいからだ。

 人口が激減すれば当然、消費者も激減する。そういう国で企業が生き残るのは、モノやサービスの「価値」を上げていくしかない。極端な話、毎月100人いた客が80人に減るとしたら、1人当たりの単価を上げていくしかない。といっても、これまでと同じ商品やサービスで価格だけ上げれば客からそっぽを向かれてしまうので、新たな付加価値をのっけていくしかない。新たなビジネスモデルを構築したり、海外に積極的に進出したりして、外国人など新客を開拓することも含まれる。

●「新しい価値」を創造

 和菓子店でいえば、時代を捉えたような革新的な製品開発や海外に進出して外国人に魅力を伝えることなどだが、残念ながらこれは「街の小さな老舗和菓子屋」にはかなりハードルが高い。会社の規模が小さいので、人もおカネも日常業務をまわすだけで精一杯で、とても新規事業や海外進出などをする余裕がないのだ。

 どうにかがんばっても、ECサイトを立ち上げるくらいなのでメインはどうしても地域の常連客に依存する。しかし、日本は急速な人口減少でその地域の客がガクンと減っている。依存しているぶん、ダメージも甚大だ。だから相次いで廃業をする。

 このようなシビアな現実があるということは、「街の小さな老舗和菓子屋」と対極にある「規模の大きな老舗和菓子企業」が未曾有の人口減少を乗り越えるため、次々と「新しい価値」をつくり出していることからも明らかだ。

 例えば、1946年創業の創作和菓子「源吉兆庵」は、グループ会社も含めて2500人も従業員がいる(公式Webサイト)。岡山の個人商店から順調に規模拡大を果たし、現在は国内で150店舗。93年にシンガポールを皮切りに海外進出も加速して今や米国、英国、中国などに約30店舗を展開している。

 ここまで規模が大きいので、定番の和菓子以外にも次々と革新的な商品を生み出せる。岡山産のマスカットを使用した「陸乃宝珠」が人気だが、最近では国内外で活躍する和菓子作家、坂本紫穗氏とコラボした商品なども開発している。

 また、東京・亀戸で1805年創業の「船橋屋」も、従業員300人という規模で次々と新しい価値を生み出す老舗として有名だ。

 関西のくず餅と異なり、発酵させた小麦澱粉を原料とする「元祖くず餅」が江戸時代から続く看板商品なのだが、それだけにとどまらず「くず餅プリン」など時代にマッチした商品を次々と開発、広尾や表参道におしゃれなカフェも展開している。

 さらに、くず餅の健康機能にも着目して、研究機関と協力してエビデンスをそろえて最近では、「飲むくず餅乳酸菌」というサプリメントやドリンクも開発している。まさしく和菓子というジャンルを超えて、新しい価値を創造しているのだ。

●「新しい価値」をつくり出せていない

 このような老舗企業と比べると、残念ながら廃業した和菓子店は新しい価値を生み出しているとは言い難い。例えば、紀の国屋のWebサイトを見ると、看板商品として「相国最中」「あわ大福」以外も定番の和菓子がたくさん並んでいる。ようかん、芋金時、さくら餅、くるみ饅頭、いちご大福……どれも味や品質は素晴らしいのだろうが、和菓子店として極めてオーソドックスな品ぞろえだ。「源吉兆庵」や「船橋屋」のように、時代を捉えたような商品はない。

 しかも、公式Webサイトで掲載されている商品写真は画素が粗く、ネットやSNSの情報発信にもあまり力を入れていないことが一目瞭然だ。「源吉兆庵」や「船橋屋」はシズル感のある写真を多用して、WebサイトもECサイトも充実、SNSでの情報発信にもかなり力を入れている。

 誤解なきように断っておくが、紀の国屋がサボっていたとか、ダメだなどと言いたいわけではない。新商品を開発するのにも、WebサイトやSNSで情報発信するにしても人とカネが必要になる。これまでの業務を続けるだけで精一杯で、新しい価値をつくり出す「余裕」がなかったというだけだ。

 新しい価値をつくり出せない企業は「現状維持」で食っていくしかない。常連客に、これまでの商品・サービスを提供していくのだ。そんな現状維持型ビジネスの天敵が人口減少だ。消費者の絶対数がガクンと減るので、常連客もガクンと減る。これまでの商品・サービスを提供していても疲弊していくだけなので、残された道は廃業するしかない。

 それが最も分かりやすい形で表面化しているのが、昨年から相次いでいる老舗和菓子店の閉店ではないのか。

 この「和菓子店の危機」は、これから本格的に到来する「日本の中小企業の危機」のプロローグに過ぎないと筆者は考えている。

 日本企業の99.7%は中小零細企業だ。人口が減少するので、生産性を上げなくてはジリ貧だ。生産性を上げるのに、テレワークや在宅勤務などで仕事の「効率」を上げてもしょうがない。輸出やイノベーション、さらには賃上げなどでその会社が創出する「価値」を上げていかなければいけない。

●中小零細企業の「おごり」

 これまで見てきたように、小さな会社のままでは資本的にもマンパワー的にも新しい価値をつくりだすことが難しい。というわけで、事業拡大やM&Aで会社の規模を大きくすることが重要なのだが、なぜか日本の中小企業経営者はそれに反対をする人が多い。

 小さいままだと国から手厚く保護されるなどの「大人の事情」もあるが、経営者の美学的なところで言えば、「日本の中小企業は世界一の技術なので、小さいままでも十分戦える」という「おごり」が強いことがある。

 これは和菓子店も同じだ。先ほど40年前から「和菓子離れ」の危機がささやかれていたことを紹介したが、もっと以前からこのままでは欧米の洋菓子に負けてしまう危機感があった。そこで1960年代から盛んに海外進出を試みたが、結果はいまいちだった。一部の親日家は絶賛したが、フランスのシュークリームなどのように食文化として輸出できるレベルではなかった。

 これは欧米では豆は主食なので、「あんこ」などがそれほどササらなかったと説明されているが、一番大きいのは過度な「技術信仰」ではないかと思う。『読売新聞』(1961年10月5日)には当時、ハワイで大々的なPRイベントを催した和菓子店のこんな自信満々の声が紹介されている。

 「日本独特の”芸術菓子”が人気を呼ぶだろう」

 「全然し好が合わないという食品は、国が違っても3割くらい。味つけさえ少しくふうすれば売れる。現に、ルーズベルト夫人など大のヨウカン・ファンだ」

 日本人特有の高い技術力が世界に認められないわけがない。ここさえしっかりと抑えておけばビジネスはうまくいく――。そんな「技術至上主義」ともいう思い込みが、日本の自動車、家電、半導体、携帯電話、アニメなどさまざまな分野の「衰退」を招いている側面があることは、もはや異論がないのではないか。

●厳しい現実

 筆者はここに和菓子も入るのではないかと思っている。そして、それは日本の中小企業全体にも言える。

 中小企業も生産性向上のために規模拡大を目指すべきだという話になると、業界団体や中小企業の専門家は顔を真っ赤にして「小さい会社には独自の技術がある!」「町工場でも世界と勝負できる技術がある!」と反論する。

 高い技術力さえあれば、小さな会社はいつまでも小さなままで食っていける、というロジックなのだ。これは家族経営の老舗和菓子店でもよく見られる。

 日本人はどこかの業界が低迷すると、国が悪い、若者が離れたのが悪い、と環境的なことばかりを問題視するが、実は業界側も悪い。人口減少という問題から目を背けて、「規模を大きくして生産性を向上させる」ことから逃げてきたからだ。

 人口減少は、「技術力」だけで乗り切ることはできない。老舗和菓子店の相次ぐ廃業は、そんな厳しい現実を改めて、われわれに教えてくれているのではないか。

(窪田順生)