先日、開催中の選抜高等学校野球大会(以下、センバツ高校野球)が意外な話題でニュースになった。参加選手が試合中に、現在侍ジャパンで活躍しているラーズ・ヌートバー選手の「ペッパーミル・パフォーマンス」を真似たジェスチャーをし、審判からやめるよう注意されたからだ。

 高校野球連盟(以下、高野連)も「高校野球としては、不要なパフォーマンスやジェスチャーは、従来より慎むようお願いしてきました。試合を楽しみたいという選手の気持ちは理解できますが、プレーで楽しんでほしいというのが当連盟の考え方です」との声明を発表した。

 この話は米国のAP通信社によって英語で全世界に配信され、多くの欧米メディアを通じて日本の高校野球の「文化」が世界に広く知られることになった。

 こういう文化的なニュースこそが、日本という国のイメージを拡散させていく。そしてそのイメージが、結果的に日本経済にまで跳ね返ってくる可能性もあると筆者は考えている。

 その理由を説明するために、まずは「ペッパーミル騒動」に寄せられた海外の興味深いコメントを紹介したい。日本人には想像もつかないようなコメントがいくつも投稿されていた。

 「A boring sport just became more boring.(退屈なスポーツがますます退屈になった)」

 「In Japan, high school baseball is about more than sport. It's about churning out homogenous armies of model citizens.(日本では高校野球はスポーツ以上の意味を持つ。同質で模範的な国民を大量生産するためのものだ)」

 「And in Japan they call this "education" ("father" knows best?).(そして日本ではこれを『教育』と呼ぶ。〈父親が何でも一番わかっているってことね?〉)」

 好意的なコメントはあまり見られない。それもそのはずだ。AP通信の記事自体があまり好意的なものではないからだ。

●日本の高校野球の違和感

 記事では「セントルイス・カージナルスのラーズ・ヌートバー外野手のペッパーミルのジェスチャーはWBCで話題だが、そのヌートバーがはしゃいだジェスチャーは日本で人気の高校野球トーナメントでは歓迎されないようだ」とし、「高校野球の決まりで、得点後に拳を握り締めるジェスチャーなど感情を出さないよう抑える傾向がある」と紹介されている。

 批判的ではないものの、日本の高校野球が異様なことになっていると主張したい雰囲気を感じる。だからこそ、辛辣なコメントも多いのだろう。

 この記事やコメントを見ると、そもそも何のためにセンバツ高校野球をやっているのか分からなくなってくる。もっと言えば、何のために野球をやっているのか、と。

 日本の高校球児は、学校が終わった放課後に練習をする。強豪校であればあるほど厳しい練習を日々こなし、野球部独自の規律やルールに縛られながら活動する。部内でのいじめが問題になることがだってある。

 なぜそんな思いをしてまで野球をするのか――それは野球が好きで楽しみたいからではないか。試合中に感情を出してはいけないとしたら、試合に負けて、悔しくて涙を流すのもやめさせないといけなくなる。ところが、敗北し涙するシーンは「美しいもの」として扱われることもあり、違和感を覚える。

 高野連は「高校野球は教育の一環」という理念を掲げている。高野連の憲章にも確かにそう書かれているが、この憲章が作成されたのは第二次大戦の終戦直後である1946年(昭和21年)のことである(以降、6回も改正してきたが、「学校教育の一環として位置づけられる」との文言は46年から変わらない)。

 感情を極力殺して、伝統的に野球部で続いている独自の規律に従う人間を作ろうということだろうか。先の英語コメントに「そして日本ではこれを『教育』と呼ぶ。〈父親が何でも一番わかっているってことね?〉」というものがあったが、規律を押し付けていることにはならないだろうか。

 またこんなコメントもある。「Japanese kids are not allowed to have fun. They are drilled from early age on to become loyal and dutiful company drones lol(日本の子どもは楽しむことが許されていない。彼らは小さい頃から、会社に忠実で従順な雄バチになるように叩き込まれる笑)」

 ちなみに「雄バチ」とは、蜜や花粉を集め女王蜂の卵を孵化させて幼虫を育て上げる「働きバチ」とは対極の、いつも巣にいて働かないハチのことを指す。強烈な皮肉だ。

●日本企業にも通じていた「異様なルール」

 これは日本らしい企業体質にもつながる。終身雇用で年功序列の「昭和的」な働き方は今の時代にはフィットしなくなっていると言われて久しい。

 昨今、そうしたやり方は生産性や企業価値向上の観点から見直すべきという傾向が強い。さまざまな技術革新が日々起こる現代において、世間や企業の言いなりになって仕事しているだけでは企業としてはもちろん、ビジネスパーソンとして生き残っていくのも難しい。

 少しずつではあるが、実際にこのような危機感のもと日本企業は変化してきている。ならば、高校野球も「昭和的」な体制から脱却しなければならない時が来ているのかもしれない。

 WBCの試合を見ていると、パフォーマンスとしてチームや試合を盛り上げることは決して悪いことではなく、むしろ歓迎されるべきことのように思える。WBCの準々決勝で米国チームは、劇的な満塁ホームランを放った選手をホームで盛大に迎え入れた。それにより、一気に会場の熱気が高まった。準決勝の侍ジャパンのサヨナラ勝ちも然りだ。選手が感情を爆発させているのを見て、筆者も次の試合への期待値が高まった。

 社会現象にまでなっている「ペッパーミル・パフォーマンス」を批判するという日本のズレた指摘は、日本のネガティブイメージにつながるのではないだろうか。

 ここ約10年の日本がらみの大きなニュースを振り返ってみたところ、日本にマイナスなイメージを持つような報道が海外で増えたように感じる。2015年にトヨタ自動車の米国人常務役員が米国では認可されている鎮痛剤を日本に持ち込もうとして拘束された話にはじまり、19年には日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏が国外逃亡、21年には名古屋出入国在留管理局の施設に収容されていたスリランカ人の女性が死亡している。

 こうしたネガティブなニュースが日本のイメージを作っていく。以前よりも広くニュースなどが拡散されやすくなった現代において、その傾向はより顕著である。観光などの一時的な滞在であれば、日本独自のルールは無視すればいいが、日本で暮らして日本企業に働くとなるとそうはいかない。

 日本政府は3月17日に開催した「教育未来創造会議」の中で、高度な技能や知能をもつ海外人材を獲得するため「特別高度人材制度」の新設を決定した。年収2000万円以上の外国人は、日本に1年間滞在すれば特別に永住権が得られるなど優遇措置があるという。

 こういった海外人材の確保を狙ったアピールが、ペッパーミル騒動のようなネガティブイメージによりかき消される危険性を考えるべきだと筆者は思う。もちろん、ペッパーミル騒動を肯定的に捉えた人もいた。

 「Japan has a different culture than we do and they seem to have significantly fewer problems with crime and cultural corruption. Maybe we should consider their approach.(日本は私たちとは違う文化をもっていて、犯罪も文化的な腐敗もぜんぜん少ない。日本のやり方を学んで考慮すべきかもしれない)」

 日本独自のルールや規律が、日本の安全性やユニークな文化を築いていると捉えられなくもないが、その上にあぐらをかき続けるのは控えるべきだろう。日本の当たり前が世界では「やりすぎ」「タブー」と見なされることもある。ペッパーミル騒動もそうだ。

 そういった、日本の少し受け入れがたい独自ルールの是正はビジネスの世界だけでなく、スポーツや文化などさまざまな分野で広がっていくべきだと考える。それが結果として日本全体のイメージ向上につながっていくと期待したい。