「あれ? なんか話が変わってきていないですか?」
ここ数カ月の「脱内燃機関」に関する報道を見ていて、そう感じた人はおそらく多いはずだ。
内燃機関は世界的に禁止が確定し、世界のクルマは全部BEVになるという話だったはず。しかし日本だけが内燃機関時代の技術アドバンテージにしがみついて、世界で確定済みのルールに対して無駄な抵抗を続けている。
世界で自動車を販売していくのに、日本だけ違うルールにしたところで、グローバルな競争で大敗し、世界から取り残されていくだけ。
──という話だったはず。
この話は、そもそもの前提理解が間違っていて、内燃機関禁止のルールは確かに世界中で議論されているが、別にそれで確定したわけではない。「世界は脱内燃機関に舵(かじ)を切った」という言葉の受け止め方の問題である。そういう流れがあるという意味では正しい。しかし確定済で変えられない未来という理解は間違っていた。それはここ数カ月の報道を見ても分かるはずだ。
3月2日には、ドイツとイタリアに加えてポーランドやブルガリアが内燃機関の完全廃止に反対。欧州自動車工業会も反対。厳密に言えば反対の内容はそれぞれに少しずつ違うのだが、少なくとも、日本を除く世界が「もうきれいさっぱり内燃機関は全部やめましょう」で合意形成済にはなっていないことだけは確かだ。25日には欧州委員会は「合成燃料の使用を前提として35年以降も内燃機関の販売を容認することで、ドイツ政府と合意した。
これについてはEU独自のガバナンスメカニズムを説明するところから始めたい。図は外務省が制作したものだが、見て分かる通り、欧州委員会はEU理事会に対して法案や予算案を提案することしかできない。決定権があるのはEU理事会であり、今回先に挙げた国々が反対に回り、可決に要する欧州人口の65%を下回った結果、内燃機関の禁止についてはEU理事会で否決の見通しになったわけだ。
つまり欧州委員会が何と言おうが、それは提案であって確定ではない。EU理事会の構成メンバーであるドイツ政府が欧州員会のサジェスチョンに疑義を呈し、欧州委員会はそれを汲んで、内燃機関の販売禁止を取り下げた形である。これを見ても分かるように、法案にすぎないものを確定したかのように報道するから話がゆがんでしまう。
要するに議論が乱暴すぎたのだ。決定のプロセスにしても、脱炭素そのものの議論にしても、現実はもっと複雑で面倒くさい。「世界の危機」だと言いながら、その複雑で面倒くさいことを、分かりやすく乱暴に整理してしまうから話がおかしくなる。
●「敵は炭素であって内燃機関ではない」
伝える側の問題は大きいが、受け取る側の問題もある。内燃機関の全面禁止の弊害などいくらでも書き出せるのだが、そういう真面目な問題提起に対して「なんだか医者から食生活改善を指示されているのに、何もしようとしない糖尿病患者みたいだな」という見方がある。筆者が書いた記事のコメント欄でリアルに見かけた言葉である。
しかしよく考えてみよう。例えば「糖質を制限しましょう」と医者が言ったからと言って、それは糖質の完全禁止を意味しているわけではないし、ましてや絶食を勧めているわけでもない。そんなことをしたら別のリスクが発生する。「ちゃんと計算しながら必要量は取りましょうね」という発言を「何もしようとしない」と受け取るのは恣意的すぎる。筆者からすれば面倒な計算やそのたびに判断や行動変容を求められるのを忌避するばかりに、「もう絶食でいいや」と思考停止しているように思える。
絶食ダイエットなんてもってのほか、というのは普通に考えれば分かるはずなのだが、そこでより厳しい方法を取ったほうがエラいと、求道的みたいな妙な思考が入り込むと極論に走りがちになる。ましてやそのリスクを引き受けるのが自分自身の我慢でなく、誰かを責め立てればいいのであれば、極論に走るのは簡単だ。
だからこそ、日本自動車工業会の豊田章男会長は、「敵は炭素であって内燃機関ではない」と言い続けてきた。それは「糖質制限の話を絶食の話と取り違えないように気をつけましょうね」という言葉だったが、大手メディアはそれを、既得権益者のポジショントークであるかのように報じ続けた。
こういう構造の中で、問題をややこしくしてきたのはマスメディアのミスリードと、深く調べもしないで極論を信じ、それをリツイートして拡大再生産を続ける人たちなのだが、そもそも火のないところに煙は立たない。そこに火をつけて回る人たちがいるからこういうことになるのだ。
では、それは誰なのか? 薄々は分かっていたことだが、日経ビジネス電子版に載ったインタビュー記事(3月7日付)がようやくその裏書きをしてくれた。
犯人は想像通り、欧州委員会である。記事でインタビューに答えていたのは「自動車の経営に大きな影響を及ぼす。環境担当として欧州の自動車規制も統括する欧州委員会のティメルマンス上級副委員長」(原文ママ)。
同紙でのティメルマンス氏の発言を簡単に要約すれば、以下のようになる。
1. 多くの自動車メーカーは2035年より前に排出ガスフリーになる
2. e-FUELには経済的観点からあまり意味がない
3. e-FUELを使う内燃機関は欧州で作られることはない
4. e-FUELは排出ガスフリーではないからダメ
5. ハイブリッドの2035年以降販売禁止はEU全体の決定事項
6. タイヤやブレーキパッドから出る公害についての規制を行いたい
面白いのはティメルマンス氏はこれらの提案を自動車に対する敵対的な規制だとは全く思っていないことだ。むしろ「私たち欧州の人々にとって、自動車産業は必要不可欠な産業です。欧州の自動車産業の競争力を高めるために、あらゆる手段を講じるつもりです」と発言しており、こうした規制が自動車産業の発展に資すると思っているようだ。
●多くの「おかしい」ポイント
ではどこがどうおかしいかを解説していこう。
1. 多くの自動車メーカーは2035年より前に排出ガスフリーになる
まずはこれから。ティメルマンス氏は35年以降の動力はBEVとFCV(燃料電池車)だけになるという主張なのだが、現実的な話としてそのタイミングではまだFCVの大幅な普及は難しい。インフラも全国区にはならないし、水素のコストが下がるにはもっと時間がかかる。FCVの心臓部であるFCスタックのコストダウンはそれなりに進むだろうが、主流になれるほどではないだろう。つまり8〜9割はBEVにならざるを得ない。
しかし本連載で繰り返し述べてきた通り、バッテリーの原材料となるレアアースの採掘量増産はそのタイミングで間に合うとは到底思えない。兵站(へいたん)が確立されていない作戦は絵に描いた餅にすぎない。
実は、ここが「内燃機関禁止派」の特徴で、先日もとある専門家と話していて、どうも意見が合わなかったので、真意を理解するために聞き役に徹していたら、彼の趣旨が分かった。どうやら「バッテリー原材料は確かに足りないが、今足りないことをベースに判断しても仕方がない。掘ればいいんですよ」ということだった。
掘れば解決すると思っているからそういう話になる。しかし、レアアースの採掘に限らず鉱山開発は10〜15年を要し、その間どうするのかが全く見えない。今からBEVやバッテリー生産工場を建設して、原材料が届くのを待つのか? しかももっと言えば、10〜15年というのは平時の話であり、従来の数十倍レベルの参入が相次ぐと、当然のごとく掘削機も、技師も大幅に足りなくなる。
確かに需要好調が長期間続けばいつかは解決する話だが、来年再来年に解決することは100%あり得ない。筆者は専門家ではないから何年掛かるとは言えないが、普通に考えて人材の育成から始めて、彼らが実際に鉱山開発事業に従事し、開発事業を終えて、本生産に入るまでのスケジュールが2035年までの12年の間に収まるとは到底思えない。それは「来年飛行機のパイロットを10倍にしたい」と言っても不可能なのと概ね同じだ。
というわけで、2035年はいったん置いたとしても、本当に大幅なBEV化を目指すのであれば、今すぐ鉱山技師の大量育成と、彼らが十分な収入が得られるスキームを作らなければ始まらない。
また鉱山投資は多額の先行費用がかかる案件である。荒れ相場かつ需要逼迫(ひっぱく)で、世界中で多くの参入者がいることを考えると、営業開始後の原材料相場を読むのはとても難しい。場合によっては参入過多で暴落局面もあるかもしれず、そうなれば投資の回収は不可能になる。これをなんとかしようとすれば鉱山投資に多額の公的資金を投入する以外にないだろう。そういう政策は進んでいるのだろうか?
さらにもっと面倒な問題がある。鉱山開発は環境負荷が高い。もっとストレートに言うと、従事者の健康に与える影響も大きい。だから一般論として人権意識や環境意識の高い先進各国では、ほぼ鉱山事業は廃れてしまったのだ。
掘る原材料と鉱山の質にもよるが、25メートルプール一杯の土を掘って、得られるのはせいぜい手の平一杯かもっと少ない場合もある。しかも金やダイヤモンドのようにそのものが結晶として埋まっているわけではなく、掘り出した土を水に溶かして加熱したり薬品を加えたりして必要な資源を分離するわけで、大量の水資源を要する。
そしてレアアースが豊富に含まれている地質に一緒に含まれている他の物質、例えば水銀やカドミウム、鉛などが排水に溶け出すことなる。これを浄化するのにもエネルギーが必要だし、手間も時間も大変だ。「掘れば良い」という言葉を口にするのは簡単だが実現は難しい。
そういう現実的かつ重大な問題を無視して、2035年には排出ガスフリーになると言われても、とても「はいそうですか」とは言えない。
●「e-FUEL」に関する間違い
2. e-FUELには経済的観点からあまり意味がない
これは現時点ではその通りだが、そんなことを言うなら内燃機関とBEVの比較も全く同じで、文中のe-FUELをBEVに差し替えても成立してしまう。気候変動という重大な問題に対して、技術革新をして解決していこうと決めたのであれば、聖域を作らず、技術革新をしていくしかないだけの話である。トライの結果が勝率10割になることはない以上、幅広くさまざまな可能性にトライするしかないし、その結果、淘汰される技術があるという簡単な話だと思う。
3. e-FUELを使う内燃機関は欧州で作られることはない
これも単純な話で、先ほど説明した通り、欧州委員会にそんなことを決定する権限はない。そしてそれが正に証明される形で、25日に内燃機関の生産継続が確定したのだ。
仮に別の世界線の話として、仮に本当に決定権のあるEU理事会が欧州での内燃機関禁止を決定した前提で考えても、彼らにも、欧州の自動車メーカーが内燃機関を作って域外で売ることも規制する権限はない。
仮に欧州員会やEU理事会が全地球規模で脱炭素に責任を持つのであれば、まず欧州は化石燃料の生産と輸出を止めるべきだ。環境優等生のノルウェーはエネルギー自給率600%。確かに自国で利用するエネルギーは限りなく100%が水力発電由来だが、それで澄ました顔をして暮らせるのは北海油田から産出される自国のエネルギー消費の5倍もの石油を海外に売って外貨を稼いでいるからだ。論旨に重大な矛盾があるというより、ティメルマンス氏は各組織の権限とその及ぶ範囲を全く理解していないと感じる部分である。
4. e-FUELは排出ガスフリーではないからダメ
これは重大な齟齬(そご)をきたしている。e-FUELは、大気中の二酸化炭素と水素を使って生産する合成燃料である。そしてこれこそが25日に内燃機関の存続条件として認められた合成燃料そのものだ。e-FUELは、大気中にあったCO2を、燃焼時に元あった大気中に戻すだけなので、二酸化炭素の増加を招かない。地中に安定的に固定されているカーボンを大気中に放出してしまう化石燃料とはそこが違う。
この総量で増えなければOKという概念がカーボンニュートラルで、ティメルマンス氏のような欧州全体の環境政策を決める立場にある人物が、カーボンニュートラルを理解していないのは重大な問題である。もし、カーボンニュートラルすら認めないということになれば、例外なく一切の二酸化炭素排出を全部止めなくてはならない。そしてそれには人間の呼吸も含まれることになる。もはやめちゃくちゃである。
だからこそ、欧州委員会の決定はティメルマンス氏のインタビュー内容と真っ向対立する形になった。現実的な話として欧州員会の決定プロセスとティメルマンス氏の理解や解釈には齟齬がありすぎる。どう考えてもスポークスマンとしては相応しくないし、本質的に言えば明確な異分子である。
●ハイブリッドに関する「デマ」も
5. ハイブリッドの2035年以降販売禁止はEU全体の決定事項
これはもはやデマだと言っても良い。決定権を持たない立場の人が決定事項だなどと言っても意味がない。フランスのルノーは新型ハイブリッドを開発して売り始めたばかりだが、もしそんな決定がなされているなら、彼らの行動はまもなく禁止されるものをわざわざ開発したことになる。確定している規制を理解できずに投資をするほど愚かな会社だとでもいうつもりだろうか? 少なくともEU理事会はそんな決定をしていない。
6. タイヤやブレーキパッドから出る公害についての規制を行いたい
これはまた新たな分断を生むことになるだろう。ティメルマンス氏の発言を引用すれば「ご存じのように、EVは内燃エンジン車よりも重いからです。そのため、より強力なブレーキが必要で、より多くのタイヤを使用することになります。ブレーキパッドやタイヤから出る公害を減らすようにしなければなりません」とのこと。
これについては欧州委員会の内部で取り組んでいるところでまだ提案はしていないとのことだが、ブレーキとタイヤのダストについては解決のめども立っていない。となれば、ついにBEVも禁止することになりかねない。
理想主義も極まれりと言うべきか。世間が望んでいる「これまでよりちょっと余分にコストを払えば、むしろキラキラして便利で環境コンシャスな生活が手に入る」という幻想を明らかに侵食し始めている。
世界の多くの人は、環境問題に対して貢献することはやぶさかではないと思っているが、そのために無限に犠牲を払えるかと言えば、その許容限度はそれぞれに違う。
分かりやすい話で言えば「昆虫食」みたいなもので、世界から飢餓をなくすために、肉食を減らしましょうとか、牛より豚、豚より鶏のほうが、単位重量あたりの餌の量が少ないから、豚や鶏を選択しましょうというくらいならたぶん多くの人が許容できる。そんなに多くはないかもしれないが、コオロギを食べることを許容できる人もいるだろう。できる人ができる範囲で、世界の問題に貢献するのは原則的には良いことだ。
ただ、そういう状態で肉食を禁止して、現実的な選択肢をコオロギだけにするなどと言い出したら、おそらく多くの人は反発する。理想はともかく、あまりにも急進的な、しかも強制力を伴う規制で現状を変えようとすると支持が得られなくなる。
内燃機関だって同じだ。減らせる範囲で減らしていきましょうという話は同意できるし、それで楽しいEVライフが送れる人は存分に楽しめば良い。ただそこに内燃機関に対する極端な規制や、内燃機関ユーザーに対する極端な批判が入ると、反発を招くのは当然だろう。
欧州委員会はそのラインを踏み越えてしまった。EUの中で反乱が起きたのは、過度な無理強いを進めすぎたからであり、むしろ今後の環境政策を破綻なく進めていくためには、もう少し穏便なやり方があるのではないだろうか。
(池田直渡)