東京駅エリアは、大きく2つに分かれている。山手線を挟んで皇居側が丸の内で、海側が八重洲である。10年ほど前の調査になるが、丸の内と八重洲の街のイメージを聞いたところ、このような結果が出た。丸の内については「高級感」「上品」というワードが並び、八重洲は「にぎやか」である。
飲食店や小さな店がたくさん並んでいるので「八重洲=にぎやか」といったイメージがあるかもしれないが、ここ数年でその姿は大きく様変わりしている。2021年に「常盤橋タワー」が完成して、23年3月に「東京ミッドタウン八重洲」がオープンして。今後も高層ビルがにょきにょき建っていくので、たまに足を運ぶ人は「あれ? こんなところだったっけ?」と感じるのかもしれない。
アレもなくなるのか、コレもなくなるのねといった中で、個人的に気になったのは「八重洲ブックセンター本店」だ。「駅前の大きな書店もなくなるのかあ。ま、本はなかなか売れないから仕方ないよね」と思われたかもしれないが、「閉店ガラガラ」ではない。周辺エリアの再開発計画に伴って、3月31日をもって営業をいったん終了するのだ。
八重洲ブックセンター本店が登場したのは、1978年のことである。超高層ビル「サンシャイン60」が開館したり、キャンディーズのサヨナラコンサートがあったり、漫画『宇宙戦艦ヤマト』がブームになったり。若い人にとっては「何それ? 知らないなあ」と感じられたかもしれないが、そんな時代にこの書店はオープンしたのだ。
建物は「船」をイメージしたデザインで、八重洲のランドマークの一つになっていた。開店当時の売り場面積は約750坪で、在庫数は約100万冊。これほどの書籍をそろえるところは珍しく、当時は「マンモス書店」とも呼ばれていた。
いまではちょっと考えられないが、オープン当初は黒山の人だかりだったのだ。詰めかけた人数は4日間で12万8000人、年間で1000万人。当時の八重洲は夜間人口が少なかったが、本店が営業を始めたことによって「人の流れが一変した」ともいわれていた。
●計画通りに話は進まなかった
意外に知られていないことかと思うが、八重洲ブックセンターの設立母体はゼネコンの鹿島建設である。東京駅前から赤坂に本社を移したことによって、八重洲の土地が空き地になった。その跡地を利用して、書店をオープンしたのだ。
「ゼネコンが書店に参入」と聞くと、違和感を覚える人も多いかもしれない。歴史を振り返るとちょっと長くなるので、割愛するが、当時の鹿島建設は文化や学術事業にチカラを入れていて、1963年に「鹿島出版会」という出版社を設立し、同年に「日本技術映画社」を立ち上げ、映画制作に携わっていた。出版、映画に続き、満を持して「書店」に参入したのだ。
オープン当初から「たくさんのお客が詰めかけた」「八重洲の人の流れを変えた」といった話を聞くと、順風満帆のように感じるかもしれないが、実は計画通りに話は進まなかった。建物は地下1階、地上8階建て。「立派なビルが完成した! 全9フロアーでじゃんじゃん売っていくぞー」といった意気込みがあったと思うが、本を並べたのは地下1階から地上4階までの5フロアーのみ。なぜか。書店組合の反対があったのだ。
「これまでになかった規模の書店ができるぞー」「大手のゼネコンが参入してくるぞー」といった話を聞きつけた近隣の書店は、どのように感じたのか。「不安」である。組合と同社は協議を重ねた結果、売り場を半分ほどにすることで決着したのである。面積だけでなく、書籍の種類にも制限がかかった。雑誌、文庫、コミックを並べることができなかったのだ。
大手出版社が扱う文庫本はNGで、学術的なものはOK。雑誌も人気週刊誌はNGで、専門的なものであればOK。漫画は基本的にNG。“飛車角抜き”のような形で営業を始めたものの、この規制は少しずつ緩和されていき、扱える種類も増えていく。そうなると本を並べるスペースを確保しなければいけないので、1986年には5フロアから6フロアに、95年には8フロアに、そして2005年にようやく全9フロアで営業できるようになった(いまの形)。
こうした背景があったので、実はこのビルはやや“使い勝手”が悪い。例えば、エスカレーター。入り口の近くにエスカレーターがあるものの、それを使って移動できるのは4階まで。エレベーターはどうか。1階から利用できるものの、2階と3階には止まらない。エスカレーターが5階以上はなく、エレベーターが2階と3階に止まらないのは、書店組合の反対が影響しているのだ。
●エスカレーターとエレベーターの謎
書店組合と八重洲ブックセンターは協議を重ねて、売り場面積を半分ほどに。地下1階から地上4階までの営業となったので、5階はギャラリー、6〜8階はテナントに貸していた――。勘のスルドイ読者はピンときたかと思うが、書店のお客の導線を考えれば「エスカレーターは4階までで十分」だったので、5階以上はつくらなかったのだ。
では、エレベーターはどうなのか。5階以上のフロアーを利用する人のために、1階は乗り降りできるようにした。ただ、書店のお客が1階のエレベーターを利用されては困るので、当時は壁を設置するなどして“そこにエレベーターがないように”見せた。つまり、5階以上で働いている人は、隠されたエレベーターを利用していたのだ。その後、全フロアーが書店になったことを受け、隠されてきた1階のエレベーターは姿をあらわし、現在の形となったのだ。
しかし、ここで疑問が残る。エレベーターは2階と3階に止まらないのだ。話がちょっとややこしくなってきたので、整理しよう。建物が完成した当初、エレベーターが止まっていたのは、1階と5階以上である。その後、書店が全フロアーになれば、すべての階に止まればいいのに、2階と3階だけ止まらない。なぜか。
その謎を解くために、同社の内田俊明さんに尋ねたところ、次のような答えが返ってきた。「建物が完成した後に、このエレベーターをつくったんですよね。2階と3階も止めるようにしたかったのですが、建物の構造上どうしてもそれができなかった。というわけで、いまも2階と3階は乗り降りができないんです」と。
ふむふむ、それは仕方がない。では、足の不自由な人やベビーカーを利用している人は、どのようにして2〜3階に足を運んでいるのだろうか。業務用である。「関係者以外、立ち入り禁止」のところに入って、普段、搬入された本を運ぶために利用しているエレベーターを使わなけばいけない。店のスタッフにわざわざ声をかけなければ、そのエレベーターに乗ることできないので「建物自体が時代にあわなくなってきました」(内田さん)という。
●45年の歴史にピリオド
さて、八重洲ブックセンター本店の歴史は、45年でいったんピリオドを打つ。ご存じのとおり、書店を取り巻く環境は厳しく、どんどん姿を消している。出版科学研究所によると、全国の書店は1999年に2万2296店あったが、2020年には1万1024店に。ほぼ半分である。同社もその波は受けていて、16年には出版取次大手のトーハンが、発行済株式の49.0%を鹿島から取得して、新体制をスタートさせている。
八重洲ブックセンターの店舗も少なくなっていく中で、なぜ本店は営業を継続できたのだろうか。同社の担当者は、その要因として2つを挙げた。1つは「立地」である。東京駅から徒歩1〜2分ほどのところにあるので、やはりアクセスがよいことは強みである。もう1つは「変わらなかったこと」を挙げている。どういう意味か。
店の周辺には、たくさんのビジネスパーソンが働いている。ということもあって、ビジネス書や専門書にチカラを入れてきた。本店に一度でも足を運んだことがある人であれば想像できるかと思うが、1階には出入口などがあって、たくさんの本を置くことは難しい。新刊や話題の本などを並べて、本丸ともいえるビジネス書は2階、専門書は3階で販売している。このスタイルは45年間、ずっと変えていないという。
本店が再び姿を現すのは、2028年度になる。周辺エリアの再開発によって、大型複合ビルの中での“船出”を計画している。その間、仮店舗での営業を考えているそうだが、いまのところ決まっていないという。
50歳になった店で、ビジネス書や専門書をどのように並べているのか。変わらず“特等席”で、ビジネスパーソンを待ち構えているのかもしれない。
(土肥義則)