日本政府が「水素社会」というキーワードで世界にリードして、近未来のカーボンニュートラルの実現を宣言したのは、6年ほど前のことだ。しかし、そこからの普及はどうであろう。

 トヨタは日本のエネルギー戦略と自動車産業の未来を担うべく、開発に奮闘して「MIRAI」を作り上げ、2代目へと進化させた。けれども最近の販売台数は月販24台というありさま。とても普及に向けて発展しているような数字ではない。

 クルマ自体は素晴らしい出来で、1回の水素充てんで巡航できる距離も確実に伸びている。何が原因で売れ行きが伸び悩んでいるかは明白だろう。

 そもそもインフラ整備が不十分なモビリティは必要な層、利用できる層に行き渡れば販売の勢いは落ち着く。簡単に飽和状態になることは、それだけインフラが不十分ということなのだ。

 それでも、ここ2年ほどで水素ステーションは開設が進んだように見える。しかし実態を調べると、週に1日にしか営業していないところもあり、車載型の移動式ステーションが数カ所を掛け持ちして巡回しているところも多く、とてもユーザーの利便性を考えたとはいえない状況だ。

 EVの充電スタンド同様、FCEV(燃料電池自動車)普及への課題には「鶏が先か、卵が先か」とばかりに販売台数とインフラ整備のどちらが先行すべきかという議論が散見される。確かにインフラ整備を進めても販売台数が伸びなければ充電スタンドの利用者は増えず、採算が取れずにメンテナンスや修理、入れ替えの費用が捻出できず、結果として老朽化した施設は廃止されている例も多い。

 自治体も国の補助金頼りで、赤字を続けてもEVNO(Energy Virtual Network Operator)普及促進を下支えする気がないのだ。これでは普及は難しい。同様に水素ステーションも国の政策として急ピッチで建設を進めているが、これまでの6年という年月を考えれば、もっと進められたはずではないだろうか。

 水素の供給自体が赤字で、供給量を増やすのが難しかったのもある。またこれまで水素ステーションで供給してきた水素は天然ガスから取り出したものであり、生産時にはCO2を排出してきたから、現実にはゼロカーボンとはいえないエネルギーだったことからも、積極的に使用量を増やすのもためらわれる。

 しかしどうせ補助金を投入するなら、ダラダラと続けて利用しにくい状況を続けるのではなく、いつ水素の供給が潤沢になっても対応できるようにしておくべきだろう。

 人柱となってFCVを購入しているユーザーが、水素ステーションの位置や営業時間を常にチェックして、それを優先した走行スケジュールを組まされているのでは、普及しようがないではないか。

 そんな閉塞感のある水素利用に風穴を開けようと奮闘しているのは、トヨタだけではない。2023年1月に開催された展示会「オートモーティブワールド」では、トヨタが開発した超小型EV「C+Pod」を利用した水素利用のモビリティをベンチャー企業が持ち込んでいた。

 これはEVであるC+Podに燃料電池を組み合わせるもので、水素の供給は水素吸蔵合金を内蔵したカートリッジによる交換方式を採用している。カートリッジの重さは9キログラムほどで、女性でも普通に取り扱えるサイズと重量であり、1本で100キロメートルほどの航続距離を確保できるという。

 つまり日産「サクラ」のように、1日の走行距離がそれほど多くない使い方を想定しており、カートリッジ交換であれば急速充電よりもさらに利便性が高い。しかもC+Podは自治体などが使用したリースが終了し始めており、その車両の再活用を想定しているそうだ。

 これはかなり合理的なシステムなのではないか。開発したベンチャーの代表は元トヨタのエンジニアだけあって、そつのない作りで、利用者を呼び込めそうなものだ。

 バッテリー交換式はクルマを資産と捉える人が多い日本ではなかなか普及させることが難しいが、水素カートリッジであればそれほど抵抗なく受け入れられるかもしれない。

 そんな印象を受けたのがオートモーティブワールドでの水素関連での収穫だった。この時点では水素利用に新たな潮流が生まれているという実感はなかったのだ。

 ところが、その2カ月後、「スマートエネルギーWeek」という再生エネルギー関連の総合展示会を取材して、そんな印象はガラリと変わった。その中の「H2&FC EXPO」という展示会は、これほどまでに水素と燃料電池の自動車関連企業が日本に存在したのか(海外からの出展もあった)と思うほど、さまざまなメーカーやブランドが出展していた。

 これまで燃料電池関連の部品を供給していたことを明らかにしていなかった企業も自動車メーカーからの了承を取り付けたのか、続々と部品や燃料電池スタック(平板状の「セル」を積層させた構造体のこと)を展示していた。

 燃料電池スタックを展示する企業は中国、韓国などのアジア圏だけでなくドイツや米国からも出展があり、これほどたくさんの種類の燃料電池スタックを見たのは初めてだったので衝撃を受けた。

 燃料電池の内部部品であるセパレーターを納入する部品メーカーには、トヨタMIRAIの燃料電池スタックも展示されていた。先代モデル用とはいえ、燃料電池スタックの仕組みや各セルの構造を見せるだけでなく、丁寧に説明まで加えられていた。そのあたりにも、これまでとは異なるトヨタの姿勢を感じた。

 水素エンジンを開発中のベンチャーもいくつかあった。どれもユニークで、興味深いものだった。1つはディーゼルエンジンに点火プラグ機構を追加し、インジェクターを軽油用から水素用に変更して水素エンジン化したもので、ディーゼルエンジンと比べマイナス10%のトルク発生を目標として開発中だとか。

 現在はテストベンチでエンジンを回してセッティングを煮詰めている段階で、実際にトラックに搭載して走行実験を行うのはこれからだが、今後の熟成が期待できる事業だ。

 もう1つは米国のベンチャーで、ディーゼルエンジンをベースに軽油のポスト噴射で種火を作り、そこに水素を噴射して燃やすという仕組みだ。これは、完全なカーボンニュートラルを実現するためには、軽油ではなくバイオ燃料や合成燃料を使用する必要はあるものの、ディーゼルエンジンの未来形として十分に可能性を感じさせる。

 ディーゼルエンジンを熟知する技術者にとっては仕組みは容易に想像できるものだが、実際には負荷や回転数が変化するなか安定した燃焼を続けるのは難しい制御となりそうだ。

●トヨタ、そして国内の他企業も積極的な姿勢に

 トヨタは水素燃料電池の利用をクルマ以外にも広げるために、モジュールでの提供を始めている。すでにMIRAIで採用されている燃料電池モジュールは燃料電池バス「SORA」で複数搭載されているだけでなく、さまざまな用途で使われ始めている。今回の展示会では、さまざまなサイズの燃料電池モジュールを展示し、水素貯蔵モジュールも披露した。

 またフランスの燃料電池ベンチャーがトヨタの燃料電池モジュールを用いた移動式の発電機を開発し、EVの充電ステーションや工場の発電設備などに使えるものとしてパネル展示していた。

 総合重工業メーカーのIHIは、FCEVに欠かせない過給機を開発中のものも含めて展示していた。なぜFCEVに過給機が必要なのか、と思われる読者もいるだろう。燃料電池は酸素と水素を反応させて電気を取り出す関係上、空気(酸素)をたくさん送り込む必要がある。

 そのため初代MIRAIではルーツブロアー、現行のMIRAIでは遊星ギアでモーターの回転を増幅した電動ターボ(遠心式過給機)を採用しているが、IHIは燃料電池スタックに空気を圧送するための電動ターボを展示していた。その中にはメルセデス・ベンツのGLCをベースとしたプラグインFCVに採用されたものもあった。

 それは中央にモーターを組み込み、両側に遠心式コンプレッサーを備えたもので、これにより2段過給を実現していた。さらに同じ構造ながら燃料電池スタックに圧送した空気が排出された圧力を回収することで、約30%の駆動電力低減を果たすそうだ。

 計量器メーカーのタツノは、世界で2社しか存在しなかったほど製作が困難な水素ディスペンサーの内製化に挑戦し、見事に実現している。さらに今回のH2&FC EXPOではトラックへの重点を可能にする大容量のディスペンサーと、同時に2台への充てんを可能にした大型の充てん機を発表した。

 川崎重工は液化水素運搬船を製作し、オーストラリアから褐炭由来の水素を液化して、16日間かけて運び、1度の温度上昇だけで運搬できた実績から、いよいよ液化水素の本格利用が始まろうとしている。ロケット燃料から始まって半世紀にも及ぶ液体水素の極低温技術が、今まさに身を結ぼうとしているのだ。

 このように水素関連の技術や機器の供給能力は、十分に高まっているという印象だ。であればやはり、これまで以上に強力に国が推進させる力を発揮する時ではないだろうか。補助金を上積みするだけでなく、国の施設としてできるものを建設することはできないのか。

 ダラダラと実証実験を繰り返している間に、月日はどんどん過ぎてしまう。今やEUや米国、中国でも水素利用の技術開発は進められており、開発競争は激化していくことは確実だ。

 EVの普及や生産で遅れをとっているのは、まだいい。シンプルな構造ゆえ新規参入しやすいEVは、従来の自動車メーカーも簡単に手の内にしやすいからだ。資源の確保やコスト面さえクリアできれば、巻き返すチャンスをうかがう必要はない。しかし水素関連は日本がリードしている技術であり、その優位性を保っていかなければ、普及させても意義は薄くなる。

 本当に日本という国を存続させる気があるのか、日本政府の本気の取り組みぶりが試されている。そんな気がしてならないというのが、H2&FC EXPOを取材して感じられた手応えだった。

(高根英幸)