ついにこの時がやってきた。米政府は中国製のEVにかけられていた25%の関税を、なんと100%に引き上げると発表した。

 100%課税とはつまり税込価格は元値の倍。誰がどう考えても懲罰的課税である。米政府はトランプ大統領時代に、米国通商法301条に基づいて中国製品の一部に対して制裁関税をかけ始めたが、今回の引き上げは、従来の25%を一気に4倍に引き上げる措置となる。ついに米国は、常識の仮面をかなぐり捨て、調整名目では説明のつかない関税を実施した。中国を名指しで攻撃しているに等しい。

 後述するが、米政府の言い分を筆者流に要約すれば「米政府は世界の貿易から、ならず者でルールを守らない中国を除外し、中国なき世界貿易を目指そう」としている。

 世界経済にとって、非常に重大な局面だと言えるが、この話はそもそもどういう流れだったのかを時間軸で見直してみよう。

●WTOのルールが意味すること

 2001年、中国はWTO(世界貿易機関:World Trade Organization)に加盟した。WTOは、ウルグアイ・ラウンド交渉の結果1994年に設立された。そもそもウルグアイ・ラウンドとは世界の貿易の多角化を促進するために開催された多国間通商交渉である。世界の貿易を促進し、経済の発展に寄与することが目的であった。

 そのウルグアイ・ラウンドの成果がWTOであり、WTO協定(WTO設立協定及びその付属協定)は、貿易に関連するさまざまな国際ルールを定めている。なぜそうしたルールの取り決めが必要だったかは、外務省のページに書かれている。

 1930年代の不況後、世界経済のブロック化が進み各国が保護主義的貿易政策を設けたことが、第二次世界大戦の一因となったという反省から、1947年にガット(関税及び貿易に関する一般協定)が作成され、ガット体制が1948年に発足しました(日本は1955年に加入)。貿易における無差別原則(最恵国待遇、内国民待遇)等の基本的ルールを規定したガットは、多角的貿易体制の基礎を築き、貿易の自由化の促進を通じて日本経済を含む世界経済の成長に貢献してきました。

 平たく言えば、身勝手かつ恣意(しい)的な保護主義貿易は、世界大戦という悲惨な結果につながった。この事例を深く反省し、かつ世界の国々が経済成長を享受するためには、新たなルールづくりが必要である。WTOでは、貿易条件に内外差を設けず、条件に平等を課し、WTOの加盟国はこれを絶対順守していかなくてはならないというルールが制定された。

 特にカッコ書きされた(最恵国待遇、内国民待遇)の部分が重要で、最恵国待遇とはつまり取引先国の中で最も優遇された条件を全ての国に分け隔てなく適用することを意味する。また内国民待遇とは、当該国の国内企業と海外企業の扱いに差を付けないという意味だ。

 また、WTOの定める「関税及び貿易に関する一般協定」の前文において、以下のようにその趣旨が記載されている。

 貿易及び経済の分野における締約国間の関係が、生活水準を高め、完全雇用並びに高度のかつ着実に増加する実質所得及び有効需要を確保し、世界の資源の完全な利用を発展させ、並びに貨物の生産及び交換を拡大する方向に向けられるべきであることを認め、”関税その他の貿易障害を実質的に軽減し、及び国際通商における差別待遇を廃止するための相互的かつ互恵的な取極を締結することにより、これらの目的に寄与する”ことを希望して、それぞれの代表者を通じて次のとおり協定した。(外務省 関税及び貿易に関する一般協定より)

 それらを前提に、WTO批准国に絶対に順守しなければならない規定を設けた。これが附属書1〜3で、一括受諾の対象である。そして、上に掲げた貿易における無差別原則(最恵国待遇、内国民待遇)や「差別待遇を廃止するための相互的かつ互恵的な取極」はその附属書1に該当する。

 なので、仮にA国とB国が貿易をする場合には、互いに分け隔てのない、かつできうるベストの条件で相互的な取引を行うのがWTOのルールであり、それが批准条件である。ということは、これに従えない国はWTOにとどまるべきではないということになる。

●米国の対中経済制裁

 米政府は、中国に対して基本的に3つの理由を掲げて対中経済制裁を実施している。

・(1)中国市場の相互的かつ互恵的な開放の不履行

・(2)強制的な技術移転、技術の窃盗、知的財産権の侵害を伴う、国際的な知財慣習を順守しない技術移転

・(3)WTOのルールに則った多国間貿易体制の不履行

 自動車産業でいえば、(1)について、中国は原則的に自動車や自動車部品の輸入を開放していないにもかかわらず、非相互的に他国にそれらの輸出を行っている。

 (2)については、中国は中国国内で自動車を販売するに際して、中国国内での生産を義務付け、クルマを作るに際しては、現地法人に株式の過半の保持を義務付けた合弁会社の設立を実質的に強制している。

 2021年にはこれを廃止すると発表したが、100%外資の自動車メーカーは現時点でテスラのみとなっている。またこれらの会社には取締役会に強く関与する形で社内共産党委員会が置かれ、実質的に意思決定の最上位機関となっている。

 余談だが、そもそも中国では共産党は憲法より上位にある。憲法の序章において「国家は中国共産党の指導を仰ぐ」と明記されている。驚くべきことに、正規軍である人民解放軍も国の軍隊ではなく共産党の政党軍隊である。要するに、共産党が全ての上に位置する国家構造なので、外資企業は、合弁会社を設立した時点で、共産党傘下に位置付けられてしまう。命令があれば、企業のあらゆる情報を共産党に提出することを義務付けた法律もある。当然、外資企業のあらゆる技術情報は筒抜け状態であり、まさに強制的な技術移転や技術の窃盗、知的財産権の侵害が行われている。

 (3) についてはこれまで述べてきた通り、WTOの一括受諾の対象である附属書を公然と23年間無視し続け、他の加盟国による最恵国待遇の地位を非対称かつ一方的に享受しつづけてきたわけである。

 ちなみに、これは筆者の私論ではなく、米国上下院で何度も繰り返された議決において、毎回ほぼ全会一致をみた見解である。もちろん米国は、トランプ大統領時代からこれまで、中国政府に対して何度も修正を求めてきたのだが、そのほとんどは無視され、または空約束に終わった。それはつまり第二次大戦の反省に立脚した、国家間紛争の排除のために共同自重を取り決めたルールにひたすらフリーライドして搾取し、その理念を踏み躙(にじ)ってきたことを意味する。

  「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉の通り、中国の徹底したフリーライドによって、米国はこれ以上WTOの精神に則った平和主義的貿易ルールを順守し得なくなり、結果として100%関税という明確な保護主義に舵(かじ)を切ったのである。自由貿易の保護者であり警察であった米国が、これだけ極端な保護主義に走らざるを得ないことは、本来異常事態というべきだろう。悪い冗談だが、これに対し、中国政府は「米国はWTOのルールを守るべきだ」と反論している。

 わが国でも、中国製BEVの価格の安さを讃(たた)えるような報道が頻繁に見られるが、少数民族の強制労働や、疑惑の多い補助金、知財や技術の窃盗、自由経済諸国のメーカーからの人材の引き抜きなど、先進国の企業であれば、コンプライアンス上許されない手段が平然と行われている。

 余談ではあるが、日本企業から人材が引き抜かれるのは、安い給与のせいだという見方がある。10倍の給与を提示されれば移籍するのは当然だとよくいわれる。ただし、そこで考えるべきは、日本の企業は、毎年何百人というエンジニアを長い年月をかけて教育・養成しているという点だ。

 その中で成功した優秀な人材を10倍程度の給与で引き抜くのであれば、それは日本企業が支払った人件費と教育費に比べれば圧倒的に安い。実りだけをつまみ食いするというこういう手法がまかり通るのであれば、誰も教育にコストをかけなくなる。そうなれば、やがて彼らはつまみ食いすべき人材がいなくなる。寄生生物は宿主を殺せば死ぬ。それは摂理である。本当にそれでいいのだろうか。

●戦争か保護主義貿易か

 さて、最後に俯瞰(ふかん)的にこの一連の流れをまとめてこの稿を締めよう。今世界は大きく2種類の国家に分かれようとしている。先進的な民主主義国家ではコンプライアンスは極めて重要な社会との契約であり、より良い社会を作っていくための指針でもあるので、これを守らない企業は厳しく批判され、淘汰される。

 しかし権威主義国家では、そもそもコンプライアンスが重視されない。コンプライアンスは人権あってのものなので、そもそも人権意識が曖昧な権威主義国家ではコンプライアンスは機能しにくい。しかも、国家間の競争に勝つためならばコンプライアンス違反は国ぐるみで隠蔽され、問題化されない構造になっている。

 企業にとってのコンプライアンスそのものの重みが全く異なる企業間では公正な競争は行えない。環境破壊を物ともせず、強制労働を平然と用い、競合先の知財や技術を国ぐるみで剽窃(ひょうせつ)し続ける企業を相手に、先進国の企業では競争が成立しない。

 主権国家にルール順守を強制する方法は戦争しかない。だがそもそも国際貿易ルールは、戦争という悲劇を回避するために制定されたものである。となれば、権威主義国家を国際的商取引の枠組みから排除するより方法がない。今のところその排除は中国が重点項目と定める品目に限られているが、この先いったいどこまで拡大するかはまだ分からない。

 本来は、人類の叡智によって作られた平和のためのルールを彼ら自身が順守して発展すべきなのだが、そうした世界を実現するために繰り返し与えられてきた警告を無視し続ける以上、自国の経済を守るためには、苦渋の決断として、WTOのルールを先進国が自ら破る100%関税に至るのも理解できるのである。

 さて、日本政府は果たしてどうするのだろうか。まさに今日(5月20日)、日本の経産省から、モビリティDX戦略が発表されるらしいが、米国ほどの覚悟で国を守るプランがその戦略に盛り込まれているのだろうか。技術レベルの競争の話に終始しても何も生まれない。戦いの構造の本質を直視すれば、本当に必要なのは、コンプライアンスの守り損を起こさないための枠組みづくりそのものだと思うのだ。

(池田直渡)