スーパーマーケットの業界では、地域に密着した食品スーパーが堅調な一方で、大型の総合スーパー(GMS)の不振が続いている。セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあるイトーヨーカ堂もご多分に漏れず苦戦が続いているが、明るい材料が見えてきた。

 衣料品の平場に投入した「FOUND GOOD(ファウンドグッド)」の評判がすこぶる良いからだ。

 ファウンドグッドはアパレルのみならず雑貨もカバーしており、洋服にとどまらないライフスタイルを提案するブランドになっているのが特徴。これを核にして、寝具、日用品などに同じテイストの商品を投入していくことで、業績が回復する道筋が見えてきた。

 GMSの将来性に関しては悲観的な見方が多い。食品のみを残して、あとは専門のテナントに任せるべきという考え方が今の主流だ。GMSの店を改装して、衣食住のうちの「食」にあたる食品売り場のみを自社で運営する。「衣」と「住」に関するアパレル、家具、雑貨、家電、本、スポーツ用品などの店を専門店街と称して、著名ブランドを誘致。あとはフードコートにハンバーガー、フライドチキン、セルフうどん、ラーメン、ドーナツ、グレープなどの著名ブランドを集めて運営しているケースが多い。

 どのGMSにも似たようなラインアップのチェーン店が並ぶため、結果的に全国のGMSが没個性化し、売り上げが落ちている面がある。

 要は、食品売り場を除いてどんどん専門量販店にシェアを奪われ、商品企画力、販売力を失い、それらをテナントとして取り込む不動産業にシフトしている。しかも、リーシング(テナント誘致)するラインアップがどこも似ていて、面白みのない店が増えているのが現状だ。

 そこに登場したのが、イトーヨーカ堂のアパレル平場に相当する売り場へと新提案されたファウンドグッドだ。アパレル大手のアダストリアが請け負っており、「食品売り場との買い回りを意識した」とのことだ。

 これまでイトーヨーカ堂が不振に陥り、そこから脱しきれなかった経緯と、ファウンドグッド投入による光明について、ひもといていきたい。

●イトーヨーカ堂の歴史

 イトーヨーカ堂の発祥は1920年(大正9年)、都内にオープンした「めうがや洋品店」だ。祖業はアパレルなのである。同社の創業者、伊藤雅俊氏の叔父にあたる吉川敏雄氏が後に「羊華堂洋品店」へ改名した。

 店は繁盛して、千住、荻窪にも支店をオープン。1929年(昭和4年)、諸説あるが日本初とも言われるボランタリー・チェーン「全東京洋品商連盟」を7人の仲間たちと設立。当時、勃興してきた百貨店に対抗する狙いがあった。共同仕入れにより、廉価で販売。しかも、流行りの服を研究して発注したので、大いに成功を収めた。

 このように大衆的な洋服の販売店として、最先端を走っていたのが、 羊華堂洋品店だったのだ。

 1940年、伊藤雅俊氏の兄、伊藤譲氏がのれん分けにより、浅草に「羊華堂」を開業した。1956年、伊藤譲氏が急逝し、雅俊氏が経営を継承。また、1961年には欧米の流通業を視察した雅俊氏がレギュラーチェーン政策に着手した。

 1972年頃には鳩のシンボルマークを制定し、現在の「イトーヨーカドー」の骨格が出来上がった。同年、東京証券取引所第二部に上場している。

 1970年代から店舗を東日本中心に拡大して、ダイエーやジャスコ(現・イオン)などとともに、イトーヨーカドーは、全国的な知名度を持つスーパーマーケットチェーンとなった。

 1970年代後半から1990年代にかけて、衣食住に関する商品が何でもそろうGMSが、全国各地で中心駅前の一等地に台頭。イトーヨーカ堂もその流れに乗った。

 一方で、アパレルのユニクロ、しまむら、紳士服の青山商事、AOKI、家具のニトリ、大塚家具、家電のヤマダデンキ、ヨドバシカメラといった「カテゴリーキラー」と呼ばれる、専門量販店が次第に台頭してきた。

 GMSの売り場は、専門的な商品の品ぞろえが良く、しかも安価なカテゴリーキラーに押されていった。

 こうしたことが要因で、GMSは業績不振に陥った。ダイエーとニチイはイオン傘下、西友は米国のウォルマート傘下(現在は米国の投資ファンド、コールバーグ・クラビス・ロバーツ傘下)といったように、スーパー再編が起こった。

 2000年に大店法の規制が緩和された。これをチャンスと見て郊外のSC(ショッピングセンター)開発に注力したのは、イオンだった。イオンと他のスーパーはここで差がついた。

 イオンはGMSでは苦戦しつつも、既に1990年代よりSCによる大規模開発に着手。カテゴリーキラーをもテナントとして大幅に取り込んだイオンモールを構築。2024年3月現在で、イオンモールの数は国内165、海外37で、202店舗に達している。

 それに対して、セブン&アイ・ホールディングスも、「アリオ」というSCのブランドを持っているが、19店舗にとどまっている。

●競合より高かった経常利益率

 イトーヨーカ堂の売上高は、1999年2月期の1兆5451億円がピークで、以降は減少しているのが実情。同期の経常利益は712億円で、店舗数は169店だった。

 売上比率は、食品39.5%、衣料品29.0%、住居関連部門16.9%、その他14.6%となっていた。つまり非食品が6割を占めていたのだ。衣料品は3割を占め、まだまだ力を持っていた。

 その頃のイトーヨーカ堂は競合他社に比べて利益率が高く、上手く経営しているとされていた。そうした自負は社内にもあって、SC開発に遅れる要因となったのは、歴史の皮肉だ。

 例えば1999年度(2000年2月期)の売上高経常利益率は、ダイエーの0.05%、ジャスコの1.8%に対してイトーヨーカ堂は3.4%あった。薄利多売ではなく、中流の家庭が喜ぶ売れ筋商品をそろえていて、POSデータを現場に還元する情報活用も進んでいた。

 1998年頃から、メーカー・問屋・小売が一体となった「チームMD」という、顧客がほしいものを連続的に提供する商品戦略を採用するようになった。チームMDは衣料品を中心に先行展開し、他の売り場にも波及させていった。

 ところが、その後の売り上げが伸び悩んだ。チームMDが成功したかは微妙なところだ。

 2005年には、イトーヨーカ堂、セブン‐イレブン・ジャパン、デニーズジャパンの3社の株式移転により、セブン&アイ・ホールディングスが成立した。

 この後、チームMDをグループ内で最も成功させていたセブン‐イレブンが主導する形で、その手法を拡散させる「グループMD」に再編される。しかし、セブン‐イレブンは食品は強くても、衣と住の商品はほとんどカバーしていない。2007年に誕生したPBの「セブンプレミアム」により、イトーヨーカ堂の食品分野はシナジー効果で強化されても、衣と住の分野は、かえって衰退が加速する結果をもたらすこととなった。

 2016年に鈴木敏文氏がセブン&アイの会長とCEOを退任し、井阪隆一氏が社長に就任。井阪氏がグループの経営トップとなったが、基本的な方針は変わっていない。

●不採算店の閉店

 近年の経営陣は、物言う株主の米国バリューアクト・キャピタルの要求に悩まされてきた。好調なセブン‐イレブンと不採算の他の部門の経営を切り離すべきだという主張だ。2023年、グループのそごう・西武を、米国投資ファンドのフォートレス・インベストメント・グループに売却した。

 イトーヨーカ堂の売却も求められている。2024年2月期決算は、南関東で食品スーパーの「ヨークマート」や「ヨークフーズ」を展開するヨークを吸収合併したため、売上高は7313億円(前年同期比12.7%増)と増えたが、経常損失3億円(前期は11億円の利益)と赤字に転落した。なお、最終損益は4年連続で赤字となっている。

 店舗数が226と大幅に増加したのは、ヨークの店舗を加算したからだ。2023年8月末時点では、イトーヨーカ堂の店舗数は125、ヨークの店舗数は103だった。

 イトーヨーカ堂の売り上げは全盛時の半分以下で、利益も出ていない。右肩下がりという印象が強い。

 しかし、チームMDの効果は、食のニーズを多角的に分析する上で、セブン‐イレブンにも恩恵を与えたと見られる。セブン&アイの経営陣がイトーヨーカ堂を一緒に経営するメリットを挙げて反論し、バリューアクトの要求に応じなかったのにも理由があった。

 2024年2月には、千葉県松戸市にセブン‐イレブンとイトーヨーカ堂が協業した、セブン‐イレブン新業態「SIPストア」1号店をオープン。平均的なセブン‐イレブンの売り場面積は約40坪だが、SIPストアは約88坪を有し、生鮮食品、日配品、冷凍食品、加工食品が強化されている。

 セブン&アイは近年の決算で、イトーヨーカ堂の売上高における食品、衣料品、住居関連の売上構成比を出していない。公表されているうちで最も新しい2018年度の実績を見ると、食品は45.3%にまで高まっているのに対して、衣料品は12.7%にまで衰退。住居関連は13.4%で全盛時より売上構成比はあまり減っていなかった。

 つまり、食品が順調なのに対して、衣料品の落ち込みが激しかったということだ。

 同社は2023年3月にアパレル事業からの撤退を発表した。食品を軸にした売り場づくりという構造改革に着手するのは遅すぎたと思われるほどだった。

 そればかりか、イトーヨーカ堂は不採算店33店を2026年までに閉店するとしている。

●新しいGMSの成長モデルを構築できるか

 しかし、その後に思わぬ展開が待っていた。

 アパレル業界3位の大手、アダストリアがプロデュースしたファウンドグッドの売り場が、イトーヨーカ堂の衣料品売り場の平場を継承する形で、新ブランドとして登場したからだ。

 アダストリアは、2024年2月期の連結売上高2756億円、経常利益184億円で、過去最高の売り上げと利益を更新している勢いのある企業だ。代表的なブランドに「グローバルワーク」「ニコアンド」「ローリーズファーム」などがある。

 ファウンドグッドは、2024年2月に先行導入したイトーヨーカドー木場店を皮切りに、同年7月までに64店への展開を計画。完全にイトーヨーカドーの衣料品売り場の顔になる。

 アダストリアの中期経営計画のテーマの1つに、新規事業の開拓がある。ビジネスプロデュース事業もその一環だ。

 既にGMS衣料品売り場のリブランディングとして、2022年9月より、中国・四国・九州に「ゆめタウン」を展開するイズミと協業。30〜40代の女性向けに、「SHUCA(シュカ)」というブランドを立ち上げている。自然体で飾らない女性に、コーディネートしやすい、清潔感のあるシンプルカジュアルなスタイルを提案している。2023年9月には、メンズにも拡大した。

 アダストリアとイトーヨーカ堂は、アパレル撤退表明前から協議を重ねてきた。商品開発、商品の企画生産、売り場の空間演出、SNS活用のプロモーションなどは全てアダストリアが行っている。商品の発注、販売はイトーヨーカ堂の社員が行うが、接客のトレーニングなどもアダストリアが担当している。アダストリアのプロデュースといっても、形をつくって終わりではなく、まさに協業といったビジネスモデルになっている。

●食品にも波及効果

 梅津尚宏・イトーヨーカ堂執行役員専門店事業部長は、「イトーヨーカドーのお客さまは高齢化しており、30代、40代の人たちにもっと来てもらえるような衣料品売り場を目指した。弊社は食品を中心とした成長戦略を描いているので、食品売り場も冷凍食品、総菜を強化するなど品ぞろえを見直して、買い回りが起こるような波及効果を狙った」と説明する。

 木場店の事例では、4月24日の時点でアパレルの客数は改装前に比べて40%増。しかも新規の顧客が12.4%増えた。アパレルと食品を両方とも買った顧客は82%に上った。

 インスタグラムを使った販売促進、ZOZOTOWNでのネット通販の効果も上々で、狙い通り店舗全般が活性化しているという。

 商品はレディース中心だが、メンズ、キッズの商品もあり、ファミリーのニーズに対応。雑貨も2割ほどのスペースを取り、充実している。店舗面積は100〜300坪と幅広く対応する。

 また、前出のSIPストアへの商品提供も行っていく。

 ファウンドグッドは、アパレルからのチームMDを売り場全体に広げようとした、かつての取り組みと重なる部分がある。それは、日本初とも言われるボランタリー・チェーンを協業により立ち上げて成功を収めた羊華堂洋品店の先進性をもほうふつとさせる。アパレルが元気でなければイトーヨーカ堂らしくない。そうした伝統の力が蘇ってきたのを感じさせる。

 4月10日、セブン&アイはイトーヨーカ堂を再上場させる計画を打ち出した。その話を聞いた時は非現実的に思われたが、ファウンドグッドのような革新的な売り場が今後も連続的に立ち上がってくるのであれば、希望が持てる。早速、5月22日には、惣菜の新ブランド「YORK DERI(ヨーク・デリ)」を発表した。2月に稼働を開始した、プロセスセンターとセントラルキッチンの機能を持つ食品工場「Peace Deli 千葉キッチン」(千葉市)を生かして、味・品質・鮮度を備えた新商品の開発と、店舗オペレーションの生産性向上が可能になったという。

 創業100年を超えたイトーヨーカ堂が伝統と現代性を融合して再生し、令和の新しいGMSの成長モデルを構築できるか。期待したい。

(長浜淳之介)