群馬県の地銀、東和銀行に勤めていた入行4年目の男性行員(当時25歳)が、行内では花形部署とされる法人営業担当に異動後、わずか2カ月で自殺し、遺族が銀行側に損害賠償を求めている事件が報道され、話題となった。

 男性の遺族や代理人弁護士によると、男性はそれまで個人営業に従事しており、法人営業を担当するのは初めてのことだった。周囲からの期待が高い中で未経験業務に向かうことの重圧に加え、業務量は多く、上司からは同僚らがいる前で「数字が上がらない」「稟議書の作成が遅い」などと威圧的な叱責を受けるというパワハラ被害もあったという。

 また当該上司は休日に、自身の名前を冠した「○○塾」を開講し、自宅に男性ら部下を呼び出して仕事をさせられることもあった。さらに男性の自室からは「仕事で悩んでおり、誰にも相談できない」といった主旨が綴られたメモが発見されているとのこと。男性は未経験業務へのプレッシャーと、上司からのパワハラなどの複合的な要因で、精神的に追い込まれた過労状態だったと判断され、労災認定もなされている。

 東和銀行はメディア取材に対し「大変残念なことが起きたと受け止めています。労基署の調査結果を把握していませんが、ご遺族から連絡があれば、真摯(しんし)に対応してまいります」とコメントしている。

 この事案を見聞きされた方の中には、もしかしたら「花形部署なら、厳しいプレッシャーがあるのは当然では?」「追い込まれる前に、誰か周囲の人に相談するくらいできたのでは?」などと感じた人がいるかもしれない。

 個人の信念としてそのように捉え、自らを律していかれる分には何の問題もないが、万が一その認識を、後輩や部下など他者にまで要求するようなことがあれば大変危険である。なぜならその考えは、無意識のうちに不幸なパワハラ被害者を産んでしまう元凶になりかねないからだ。

●大幅増加するパワハラ相談件数 当たり前だと思っていた指導も対象に?

 2020年6月1日「労働施策総合推進法」(通称:パワハラ防止法)が施行され、企業においてパワハラ防止方針の明確化や相談体制の整備、パワハラに関する労使紛争を速やかに解決する体制を整えることが義務となった。

 当初は大企業のみが対象だったが、2022年4月1日より中小企業も含め、職場内でパワハラ防止措置を講じることが、わが国全ての企業において義務付けられている。パワハラ防止法に違反すると、厚生労働省から指導や勧告を受ける可能性があり、勧告に対して適切な対応を取らなければ社名と共にその事実を公表される場合もある。

 今回のように悪質なパワハラ被害が発覚すると、マスメディアで大きく報道され、読者や視聴者からも強い非難が集中する。法規制が拡充し、職場内でのハラスメントに対する社会的な認識は年々高まり、パワハラへの忌避意識も強くなっているため、ブラック企業問題が騒がれた以前よりはパワハラの発生件数も落ち着きを見せているように思われるかもしれない。

 しかしながら、その印象と実態は大きく異なる。厚生労働省の発表によると、2022年度のパワハラ防止法に基づく「パワハラ相談件数」は5万840件。従前から集計を続けている、個別労働紛争解決促進法に基づく「いじめ・嫌がらせ相談件数」の6万9932件と合わせると実に12万件を超え、前年度比1万1322件増と大幅増加した。

 集計方法が変わったため単純比較はできないが、実質的にパワハラ相談件数は過去最高を記録したといってよいだろう。実際、労働施策総合推進法に基づく是正指導は4.3倍、労働局長による紛争解決の援助の申立受理も3.5倍、優越的言動問題調停会議による調停申請受理も1.9倍と、パワハラにまつわる紛争は急増している状況だ。

 もしかしたら、この紛争件数急増の背景にはパワハラにまつわる問題意識が浸透し、理解が広がった結果「これまで、当たり前のように受けていた『厳しい指導』が、実はパワハラに該当するのだと気づいた」という形で被害が顕在化したケースも含まれているかもしれない。だとすると「パワハラの認知が進み、声を上げやすくなった」という一つの進歩ともとれるが、全体の件数が依然として増加し続けていることは、問題が残っていることの証左に変わりない。

●いまだにパワハラがなくならない理由とは

 これほどまでにパワハラが問題視され、防止措置を義務化する法律まで制定されているにも関わらず、パワハラ被害は減るどころか増加している。では、なぜパワハラはなくならないのだろうか。筆者に寄せられた被害相談やトラブル解決依頼のケースは、大きく4つの理由に分類できる。それぞれについて説明していこう。

(1)加害者、被害者ともに、何がパワハラに該当するのか知らない

 ハラスメントについて教わった機会がなく「そもそもどんな言動や行動がハラスメントに当たるのかを知らない」のであれば、加害者も被害者もいつまでも無自覚のままだろう。

 また、「パワハラ=問題行為」程度までは認識している人が多いだろうが「悪質な場合は刑事罰を受け、損害賠償が発生し、加害者のみならず組織の評判を大きく低下させるリスクがある」というところまではまだまだ自分ごととして認識できていないのではないだろうか。

<参照>厚生労働省におけるパワハラの定義

同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為

 「たまに厳しい言葉を使うこともあるが、あくまで指導の一環だ! 断じてパワハラではない!」と言い切る人もいるが、それが正当な理由がある叱責の場合であっても「大声で怒鳴りつける」「多数の面前での見せしめ・懲罰的な公開叱責」など、方法を間違えば違法性が生じることを忘れてはいけない。

 ちなみに、殴る・蹴るなど身体的な攻撃をした場合、刑事事件として「傷害罪」(刑法204条)や「暴行罪」(刑法208条)が成立する可能性がある。最高刑は懲役15年だ。

 言葉だけの場合でも「殺すぞ!」「契約とれるまで帰ってくるな!」「目標未達ならボーナスゼロだ!」といったように相手を畏怖させることを言えば「脅迫罪」(刑法222条)、「前の会社は○○で辞めたくせに!」とか「不倫をバラすぞ!」などと公然と具体的な事実を示して相手の名誉を傷つけたら「名誉毀損罪」(刑法230条)だ。

 その場合、事実が嘘か本当であるかは関係ない。そして、事実を示さずとも「バカ!」「給料泥棒!」「ダメ社員!」などと公然と汚い言葉でののしった場合は「侮辱罪」(刑法231条)が該当する可能性がある。

 その他にも民事上では「会社が職場環境を整える義務を果たさなかった」ということで「職場環境配慮義務違反」、そして「使用者責任」を問われ、損害賠償を請求されることもあるのだ。

●(2)加害者に、自身の言動や行為がパワハラである旨の自覚がない

 組織ぐるみでパワハラをなくそう、予防しようとどれだけ力を入れたところで、そもそも加害者側に「自分はパワハラをしている」という認識も自覚もないのであれば、パワハラを止めようがない。実際のところ、加害者は「相手に嫌がらせしたい」「憎らしい」といった明確な目的意識や悪意をもってやっているケースはさほど多くなく、逆に「無意識のうちに」「悪意なく」ハラスメントが行われているケースのほうが多いのだ。

 特に部下を持つ管理職層が加害者の場合「これまで受けてきた指導自体がパワハラ同然であったため、自身の普段の言動・行動がハラスメントであることに気が付かない」「相手の成長のため、良かれと思ってやっている」というケースがあり得るだろう。ハラスメント気質のままで出世してきているということは、「そのやり方でこれまで成果を上げてきた人物なので、加害者の上司や周囲も指摘できない」といったことも考えられる。

 この(1)無知と(2)無自覚が合わさると、パワハラの「軽視」につながる。特にパワハラ的な指導に慣れ、「自分は打たれ強い」との自覚を持った人であればあるほど、打たれ弱い部下の気持ちを理解できず「社会人ならこれくらいのプレッシャーや叱責に耐えるのは当然」といった信念を持ちがちだ。

 また、どれだけ被害者が傷つき、不快な気持ちを抱いているとしても「冗談のつもりだった」「そんなに嫌がられていたとは知らなかった」などと言い訳するのもこの種の人物の特徴である。

 つまり、「パワハラをやめよう」といった標語で、個々人の思いやりや道徳心に頼ってなんとかなる話ではないのだ。「パワハラ=自覚できない無意識の犯罪」といった位置づけで、組織ぐるみで対策をとっていく必要がある。

●(3)被害者が声を上げづらい

 パワハラは「指導」という名目で行われることが多い。必然的に、被害に遭うのは成果が上げられていなかったり、仕事でミスが多かったりするような、組織内では相対的に立場が弱く、発言力も小さい人物だ。

 そんな被害者が「それはパワハラです」などと声を上げようものなら「仕事もできないくせに文句だけは一人前だな!」「権利を主張するならまず成果を出してからだ!」などと、さらに酷いパワハラに遭ってしまうリスクがある。

 さらには「反抗的な問題社員」扱いされ、その後の評価が下がったり、不本意な人事異動に遭ってしまったりして、組織に居づらくなってしまうかもしれない。当然ながら、そのような展開が想像できる以上、ハラスメント被害を訴え出ることをためらってしまうことになる。

 また実際に起きた話として、パワハラ被害者が内部相談窓口に被害申告したところ、「くれぐれも内密に……」と告発したはずのパワハラ内容がすべて加害者である上司に筒抜けになってしまい、さらなる被害に遭ってしまったというケースもある。社内に労働組合もない場合、そもそもどこに相談したらよいか分からない、という方も多いだろう。

●(4)パワハラに対する直接的な罰則が緩く、抑止力になっていない

 パワハラ防止法において、パワハラへの適切な措置を講じていない事業主は是正指導の対象となり、是正勧告を受けても改善しない場合は社名公表の対象となる。また行政(厚生労働大臣)は、事業主に対してパワハラ防止措置とその実施状況について報告を求めることができ、それに対して「報告をしない」もしくは「虚偽報告をした」場合は「20万円以下の過料」が科されることになっている。

 しかし労働基準法違反のように、懲役や罰金といった明確な罰則規定は設けられていない。そのため「是正勧告程度で済むなら……」と軽く捉えられ、パワハラへの抑止力となっていない可能性がある。

 この法規および罰則の問題と、被害者が訴え出づらいことが相まって、なかなかパワハラの実態が表に出てこないことにもつながっているようだ。

●パワハラ被害が発生し、表沙汰になった際の「責任とリスク」

 あなたが知らないうちに、あなたの会社でもパワハラ被害が発生しているかもしれない。ここで被害者が声を上げ、自社内でパワハラが起きたことが公になった場合、いったい組織はどのようなリスクにさらされるのだろうか。

 まず使用者である会社は、「法的責任」と「行政責任」を負うことになる。

不法行為責任

 使用者は、労働者が職務遂行中に第三者に損害を与えた場合、使用者責任として損害賠償責任を負う(民法715条)。

債務不履行責任

 使用者は労働者の安全に配慮する義務を負っている(労働契約法5条)。パワハラの発生は職場の安全配慮義務に違反したものとして、債務不履行責任(民法415条)を問われる場合がある。

行政責任

 パワハラ防止法に則り、事業主が労働局から助言、指導、勧告といった行政指導を受ける可能性がある。

 さらにパワハラ加害者は、「刑事責任」と「懲戒リスク」を負う。

刑事責任

 加害内容に応じて「傷害罪」(刑法204条)や「暴行罪」(刑法208条)、「脅迫罪」(刑法222条)、「名誉毀損罪」(刑法230条)「侮辱罪」(刑法231条)などが成立する可能性がある。

懲戒リスク

 ハラスメント加害者として、就業規則に則って戒告、譴責、訓告、減給、出勤停止、降格、諭旨解雇、懲戒解雇などの懲戒処分を受ける可能性がある。少なくとも、組織内で居場所を失うことになりかねない。

 これら以外にも、企業活動にネガティブインパクトを与えるリスクは多々存在する。

職場環境悪化リスク

 従業員がパワハラ行為を直接受けることによる被害が甚大なのはもちろんだが、周囲のメンバーがパワハラ行為を目の当たりにしたり、組織上層部が事態を解決しようとしなかったりすれば、メンバーは組織のコンプライアンス意識の低さや自浄作用のなさに愛想を尽かし、モチベーションは当然低下する。必然的に作業ミスが増え、生産性も低下、鬱病罹患者や休職者、退職者も増加し、業績にも大きなネガティブインパクトを与えることになるだろう。

 実際、厚生労働省の調査によると、職場内でパワハラ被害に遭った従業員の多くが「怒りや不満、不安などを感じた」「仕事に対する意欲が減退した」「眠れなくなった」「会社を休むことが増えた」といった、ネガティブな影響を申告している。

レピュテーション(評判)リスク

 パワハラが行政指導や社名公開、訴訟、マスコミ報道などへと発展した場合は、SNSや会社口コミサイトなどを通して「あの会社はパワハラが横行するブラック企業らしい」とのネガティブな情報が急速に拡散する。結果として「炎上」や「風評被害」などのレピュテーション(評判)リスクに直結し、求人募集や取引先拡大において悪影響を及ぼす。最悪の場合、現行の取引先からも「コンプライアンス体制が整備されていない未熟な会社」と評価され、取引が打ち切られることにもなり得る。

 ネットが発達した昨今においては、特にレピュテーションリスクによる企業の社会的イメージ悪化は、もう取り返しのつかない事態となるだろう。ただでさえ人手不足が叫ばれる昨今、いくら知名度がある会社であっても、パワハラ発生企業は労働環境が劣悪と映り、積極的な忌避要因となりかねない。そもそもパワハラを発生させないよう、日々の地道な取り組みが求められる。

●熱心な指導とパワハラの違いは?

 記事の後編(5月31日公開)では、熱心な指導とパワハラの境界線があいまいで不安を覚える人に向けて、その具体的な違いや、指導をパワハラだと受け取られないために気を付けるべきポイントを解説する。

著者プロフィール・新田龍(にったりょう)

働き方改革総合研究所株式会社 代表取締役

早稲田大学卒業後、複数の上場企業で事業企画、営業管理職、コンサルタント、人事採用担当職などを歴任。2007年、働き方改革総合研究所株式会社設立。「労働環境改善による業績および従業員エンゲージメント向上支援」「ビジネスと労務関連のトラブル解決支援」「炎上予防とレピュテーション改善支援」を手掛ける。各種メディアで労働問題、ハラスメント、炎上トラブルについてコメント。厚生労働省ハラスメント対策企画委員。

著書に『ワタミの失敗〜「善意の会社」がブラック企業と呼ばれた構造』(KADOKAWA)、『問題社員の正しい辞めさせ方』(リチェンジ)他多数。最新刊『炎上回避マニュアル』(徳間書店)、最新監修書『令和版 新社会人が本当に知りたいビジネスマナー大全』(KADOKAWA)発売中。

11月22日に新刊『「部下の気持ちがわからない」と思ったら読む本』(ハーパーコリンズ・ジャパン)発売。