「気絶したら買ってた」、「ポチッとな」など、衝動買いを表わすネットスラングは昔から使われてきた。それだけ多くの人が衝動的な買い物の経験があり、それを自虐的に報告するという行為もまた、昔から行なわれてきたということだろう。「衝動買い」で検索すると、意味の解説だけでなく、精神的な意味や、抑制する方法なども多く見つかる。

 ストレスを解消するために買い物してしまうという例も少なくないが、度を超すと心配になる。筆者の知る例では、ちょっとしたものでもすぐAmazonで買ってしまうが、買ったことで満足してしまい、開封されないままの箱が一部屋ぶん積み上がっている人がいた。友人間では「Amazonタワー」と呼ばれていたそれを、引越の際に友人総動員で全部開封してみたところ、本人にはほとんど買った記憶がないという。後日聴いた話では、今は不要なので全部捨てたそうだ。お金はあっても、ストレスは減らない。

 「さとり世代」と呼ばれた人たちがいる。2010年代に若年世代であった人たちを表わした言葉で、一般的に「欲がない」と言われたことから、こんな地蔵みたいな名前で呼ばれることとなった。ゆとり世代の次、である。あれから10年、今「さとり世代」の人たちは、30代になっているはずだ。

 30代といえば、昔ならもっとも消費活動の旺盛な時期である。結婚して子供ができ、家を買ったり車を買ったりするタイミングだ。だが恋愛にも旅行にも興味がないと言われた人たちが、正規雇用されずに低賃金にあえぐ。しかもコロナ禍で巣ごもりとあっては、消費活動のメインターゲットは不在のままである。

 先日、車の中で地元FM局を聴いていたら、現役大学生のパーソナリティが、欲しい服がいっぱいあるときは、同じような好みを持ったYouTuberが爆買いする動画をじっくり見て、なんとなくそれで済んでいるという話をしていた。今の若年世代は、「欲しい」という気持ちはあるものの、お金がないので実際に購入するのは絶対に必要になものに限られ、嗜好品は他の人が買うのを見て満足……はしていないだろうが、ある程度の代償行為にはなっているということだろう。

 YouTubeでは昔から、「開封の儀」と呼ばれるジャンルがある。モノを買って、それをテンション高く時間をかけて開封するというものだが、筆者は長いあいだ、そうした動画がなぜ人気が高いのか、はっきりした理由が見いだせなかった。そのYouTuberの話術が高いのか、あるいはおもしろおかしく見せる演出が効いているのか。

 だがラジオでその話を聴いたとき、積年の謎が溶けたような気がした。

●心まで貧しくしないために

 Apple製品の開封動画は、未だ人気の高いジャンルである。例えば最近販売が始まったM2版MacBook Airは、フルオプション(ソフトウェアは除く)で34万8800円となる。4K動画編集が仕事だという人でないならば、普通の人にはどう考えてもオーバースペックであるが、「買えないけど欲しい」「どんなものか使ってみたい」と思う人は少なくないだろう。

 そうした疑似体験を、散財系YouTuberが与えてくれる。そんなにかっこいいわけでもない一見普通のオジサンが小躍りしながらハイテンションで少しずつ開封していく姿は、自分も一緒にそこにいて、友だちが買った最高のオモチャを開封しているところに立ち会ったような気にさせてくれる。

 ここで重要なのは、テンションアゲアゲなことである。買った喜びの全力表現を目の当たりにすることで、視聴者もセロトニンが放出され、幸せな気分になれる。ケチ付けながら開封する動画は、誰も幸せにしない。つまり、「レビュー」ではダメなのだ。開封する行為自体が、ダンスや音楽演奏のような一種のパフォーマンスなのであり、多くの人はそれを敏感に嗅ぎ分けているという事である。

 自分には買えないものを買っている人、その様子を見ることで一定の代償行為とするというのは、うなぎ屋の前で匂いを嗅ぎながら白メシだけを食うような行為のように思える。ふと我に返ると、情けないような気持ちになるかもしれない。

 だが、本当に生きていくのに必要なものではないのならば、そこまで落ち込む必要はない。高級品や旅行などに高い金を払うのは、もともと一部の人に限られるのだ。多くの場合、それらの「欲しい」は代替行為によって処理されてきた。

 日本がまだ1ドル360円の固定相場制だった1972年以前、航空会社らがスポンサーとなり、世界紀行番組が流行した。庶民が新婚旅行でさえおいそれと海外へ行けない中、こうしたテレビ番組でその憧れと共に、欲望を昇華していたと言える。もっと稼いで、いつかは行ってやる、というわけである。

 さらに昔、戦争が終わって間もない1948年、「憧れのハワイ航路」という歌が大ヒットした。当時の航路とは、飛行機ではない。船旅の話である。敗戦から立ちあがりつつあった当時の人々は、ラジオから流れるこの歌に憧れを乗せて、見たこともないハワイの風景を夢見た。間違いなくそこにはあるが、行けるわけではない。それは当たり前のことであり、自分にできないことに憧れるのは、決して卑しいことではない。

●情報は踊る

 さとり世代には、本当に欲がなかったのだろうかと思う。誰でも生存本能がある限り、もっといい生活水準でありたいと願うのは当然だろうし、その世代だけが特に上昇志向が低いとは思えない。

 むしろ今の若年層まで含めたさとり世代以降は、経済的に死に行くこの国の行く末と自分のポジションを計算し、すぐ死なないよう殺されないよう、生活を最適化してきた世代なのではないだろうか。雇用機会や賃金の伸びしろは今後もあまりないというところから逆算して、今の賃金の中で将来を思い描き、「当たり前」な状態を維持するため、情報をフル活用することでお金を使わずに暮らしていく。

 ただし、かっこ悪いのはダメだ。「高見え」といったキーワードを基準に、一世代前の人たちが敬遠したユニクロやH&Mの服を上手に着こなす。かっこよくてもユニクロとバレた時点でアウトなゆとり世代とは、明らかに価値観が違う。いわば、貧しいことを「さとらせない世代」ではないのか。

 おそらく「かっこ悪い」の定義すら、違ってきている。例えば筆者は畑を借りて野菜はほぼ自給自足、お金は畑の地代として毎月2000円しかかかっていない。昔なら長靴に麦わら帽子、首にタオルを巻いての畑仕事など、かっこ悪かったはずだ。だが今の若者の価値観に照らせば、「自作」=「買わない」=「かっこいい」に見えるかもしれない。

 Afterさとり世代は、物欲処理のエキスパートとも言える世代でもある。そしてその世代が爆買い・散財オジサンYouTuberの動画で、物欲のストレスを発散する。見るだけならお金もかからず、買った人の幸せを搾取できる。

 踊らされているのは、そうしたYouTuberのほうなのかもしれない。

(小寺信良)