鎌倉幕府3代執権・北条泰時ー頼朝が称賛した「仁恵」の精神とは

JBpress6/16(月)11:05

リーダーは「仁恵」の精神を持っている

 泰時は、幼少にもかかわらず、他人を助けようとする「仁恵」(思いやりの心をもって、情けをかけること)の精神があるということで、頼朝から刀を授けられます。重行は、哀れにも、頼朝の怒りをかい、領地を没収されてしまいました。泰時というと、公平で謙譲な人格者というイメージが強いが、『吾妻鏡』のこの逸話は、それを補強するものでしょう。

 頼朝は、泰時が重行を庇ったのだと思い込んでいたようですが、泰時からしたら、重行が下馬したという本当のことを言っただけだったかもしれません。『吾妻鏡』は北条氏を美化するところありと昔からよく言われていますが、本逸話もその1つとすることもできるでしょう。

 現代人の筆者からしたら、本逸話からは、泰時の凄さというよりは、頼朝の暴君気質が目立って見えてしまいますが。少年時代の泰時の逸話から頭に思い浮かぶのは、有名なワシントン(アメリカ初代大統領)の「桜の木の逸話」です。

 少年時代のジョージ・ワシントンは、斧の切れ味を試したくなり、自宅の庭の桜の木を切り倒してしまいます。しかし、その木は、ワシントンの父親が大切にしていた桜でした。父親は「あの桜を切ったのは誰か、知っているか」とワシントン少年に問います。するとワシントンは「僕が斧で桜の木を切りました」と正直に打ち明けるのでした。ワシントンの父は怒るどころか「正直な告白にこそ価値がある」として息子を褒めたという有名な話です。しかし、この逸話も、後世の創作と言われています。『吾妻鏡』の前述の逸話が、嘘だと確定できるわけではありませんが、泰時を顕彰するため、挿入された逸話とは言えるのではないでしょうか。

 それはさておき、リーダー(指導者)は「仁恵」の精神を持っていることが大切ということを、当時(鎌倉時代)の人々は認識していたようです。さて、建久5年(1194)2月、金剛は元服し「太郎頼時」と名乗ります。元服式には、頼朝も出席し、烏帽子を被せました。頼朝が「頼時」の烏帽子親となったのです。「頼時」という名の「頼」の字は「頼朝」の名の一字(頼)を与えたものでした。

 元服の祝いの席で、頼朝は相模国の御家人・三浦義澄を側に招き「頼時を婿に迎えてはどうか」と言い含めます。義澄は「孫娘のなかから、良い相手を選びましょう」と返答。結局、三浦義村(義澄の子)の娘(矢部禅尼)が、泰時に嫁ぐことになりました。

(濱田 浩一郎)

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