取材・文=中野香織

2023年5月にファッションビジネス学会に招かれ、「新・ラグジュアリー」について講演する機会をいただいた。その際に、日本ではラグジュアリーに関する議論が限定的にしかおこなわれていない現状を指摘し、まずは議論の機会を広げることを提案した。すると早速、ファッションビジネス学会で「ラグジュアリービジネス部門」を立ち上げてくださった。この日(9月18日)は「装談」第30回記念であると同時に、ラグジュアリービジネス部門立ち上げ初のイベントとなった。

suzusanの村瀬弘行さん、MIZENの寺西俊輔さんをお迎えし、中野がMCという形で、これからの日本の新しいラグジュアリーに関する議論をおこなった。会場はファッションデザイナーのインキュベーション施設でもある台東デザイナーズビレッジで、プロフェッショナルな方々を中心に約60名が参加(マイナーなテーマにしては各地から多くのご参加いただいたと主催者談)。前半は、中野の「新・ラグジュアリー」についての簡単な概要の解説、suzusan、MIZENそれぞれの挑戦についての報告がおこなわれ、後半に質疑の形で議論が進む。一部抜粋を3回に分けてお送りする。世界のラグジュアリー領域で挑戦を続ける二人の話が、領域を超えて、多くの方々にとってのインスピレーションの源になることと思う。

日本のラグジュアリーの知覚と付加価値

中野 さて、お二人にビジネスの概要をご紹介いただきましたが、次に、テーマごとの質問にはいります。これからのラグジュアリーの知覚と付加価値はどうなっていくのか、お考えをお聞かせいただけますでしょうか?

村瀬 パリでよく食事をご一緒するメンターがいるんですが、彼がこんなたとえ話をしてくれます。パリの高級レストランだとボーイがお皿を手元に持ってきて、お料理の説明をしてくれる。そのシーンがラグジュアリーになっていて、キッチンが見えない。一方、日本の高級なお寿司屋さんに行くと、目の前で魚をさばいてくれて、手元が見えます。誰がどこでどういう風に作っているのか見える、そこが日本のラグジュアリーのあり方だよね、と。

中野 産地の産業観光のなかには、まさにそれを売りにしているところもありますね。先週、丹後に取材したのですが、工房をすべてオープンにして、見学できるようにしていました。観光資源として職人さんの仕事を見せているんですね。それが職人さんにとっても張り合いになるし、観光客にも喜ばれるそうです。

村瀬 ヨーロッパのファッション業界に戻ると、華やかなショーをして、15分間でそのブランドの価値を見せられても、じゃあ、どういう人たちが作っているのかというのは見せられなかったりします。やはり日本はものづくりがベースにあるところで、その地域に行けば工程が見えるっていう地域ツアーができるのは素敵だなと感じます。

中野 有松がまさにそんな日本遺産の地域になっていますね。では、寺西さんにお伺いしたいのですが、社会正義と資本主義はどのようにバランスをとっていけばいいでしょう? これからのラグジュアリーは倫理と人間性と地域性を視野に入れる傾向がますます強くなると予想されるのですが、あまりそれを強調するとグリーンウォッシュと批判されたり、ウォークキャピタリズム(社会正義に目覚めた資本主義)と揶揄されたりしがちです。そこのバランスをどのようにとっていかれますか?

寺西 こういう疑念が起きてくる背景には、今のラグジュアリーを謳っているビジネスが社会に合わなくなってきたことがあると思うんですよね。僕としては、新しく小さく創業すること、そのこと自体が強みになると思っています。社会的に適合した会社のあり方をこれから作っていけばいいので。MIZENはまさにそこを辿っていきたいと思います。

中野 ラグジュアリースタートアップの一つのお手本になりますね。今後の展開が楽しみです。では次にラグジュアリーと文化的アイデンティティの関係についてお伺いしたいと思います。1970年代の日本にはイタリアやフランスへの憧れというのがあって、その国の高価なラグジュアリー製品を買う根拠になっていたかと思います。高い付加価値のなかには、製品を作る国の文化や幸福感も含まれていていたのではと。ひるがえって、日本の製品を高価格で売っていくにあたり、日本の文化や日本人自身の、外から見える幸福度も無関係ではいられないのではないか、と想像するのです。どう思われますか?

村瀬 日本人が気づいていないだけで、日本の幸福度は外から見ると高いですよ。先日、ドイツ人とフランス人のエージェントが来て、初来日だったのですが、銀座に出かけました。すると彼らは上を見て「うわあ、銀座だ」というのではなくて、下を見て、すごい、っていうんです。「たばこが一本も落ちていない」って。それから松屋の先に警備員が3人いて、交通事故が起きないように旗を振っているのもすごい、と。パリだと上を見て素敵だなと思うけど、下を見たらごみとか犬の糞とかいたるところにあって、心の底からきれいな街だなとは思えません。だから、その人たちが感動している反応を見て、日本って豊かな国だなあと僕は思いましたけどね。

中野 外の視点が入ることで初めて気づく豊かさや幸せはありますね。

村瀬 手仕事がこれだけ残っている国というのも本当にわずかですし。箸やお茶碗もそうですが、それが生活の中で使われている国というのは、珍しいです。

中野 外の視点が入って初めてわかるそんな気づきは、内外にどんどん発信していきたいですよね。では、次にラグジュアリービジネスと教育、統括組織に関してお考えをお聞かせいただきたく思います。ラグジュアリーマネジメントやラグジュアリーとは何かを教える教育機関が、世界はありますよね。イタリアのボッコーニ大学やロンドンのゴールドスミスカレッジなどが有名です。そこで育った方がラグジュアリー関連企業で働き、また母校に教えに還る、みたいなエコシステムができています。

 また業界全体を統括する組織も、ヨーロッパ6か国に存在しますし、6か国の組織が連携した団体、欧州文化・クリエイティブ産業連携(ECCIA)もあります。日本も同じことを、というのがいいのかどうかわかりませんが、少なくとも最初の段階として、単にラグジュアリービジネスの構造やマーケティングを科目として教えるだけでなく、ラグジュアリーを包括的に見る目を養う人文学も含む教育機関を、日本にも作ったらよいのではと考えるのですが、いかがでしょう?

寺西 多様性の時代になるので海外のような教育が合っているのかどうかはわかりませんが、日本は日本で独自のラグジュアリー観を持つべきだとは思います。

中野 私はカリキュラムを妄想しているのですが(笑)、MBA的なビジネスの基礎知識、歴史、文化、哲学といった人文系の教養、デザイン教育に加えて、産地や工場をめぐって職人さんたちと話すというような体験プログラムもそこに入れています。ファッション、宝飾・時計、車、日本酒にワイン、ホスピタリティ、不動産、アート、クルーズ、プライベートジェットなど全ラグジュアリー領域にわたる体験です。そうした教育すべてを通して主体性も同時に鍛える、というのが隠れたゴールです。

村瀬 主体性は大事なキーワードになると思います。僕もイギリスやドイツの美術大学に行きましたが、特にドイツは授業がなかったんです。先生も何かやりなさいとか言わないし、テストもない。本当にやりたいことがないと、学校にいけないんですよね。自分の中で課題を見つけて、じゃあこの絵を描いて、こういうものを作ろうと、となって、それをもとに議論するんです。先生たちもアーティストとして俺はこう思うよ、と言うけれど正しい悪いみたいなことは言わない。結局、同じものを見て違う見方ができるよというのをみんなで話し合う、その議論の場が生まれるんですけど、それがすごく面白いです。