美術家・梅津庸一がワタリウム美術館のコレクションと現在活躍中のアーティストの作品を交えて構成する展覧会「梅津庸一|エキシビション メーカー」。東京・外苑前のワタリウム美術館で開幕した。

文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部

ギャルリー・ワタリからワタリウム美術館へ

 1972年、東京渋谷区神宮前の通称キラー通りに開廊したギャルリー・ワタリ。アンディ・ウォーホル、ナム・ジュン・パイク、ヨーゼフ・ボイスら、日本ではまだ知られていなかった現代アーティストにいち早く着目し、刺激的な個展を開催し続けてきた。1983年にキース・ヘリングを日本で初めて招聘したのもギャルリー・ワタリだ。

 1990年にはギャルリー・ワタリ代表の和多利志津子さんが、かねてから持ち続けていた「プライベート美術館をつくりたい」という思いを実現。ギャルリーの建物を取り壊し、さら地の状態からワタリウム美術館をつくり上げた。

 設計を手がけたのはスイス出身の世界的建築家マリオ・ボッタ。彼の日本初の作品となったワタリウム美術館は、御影石とコンクリートのストライプ模様の外壁と、街に向かって大きく羽を広げた鳥を思わせるデザインが印象的。建設から30年以上が経過した今も、青山・外苑前エリアのランドマークとして強烈な存在感を放ち続けている。

 初代館長を務めた和多利志津子さんは2012年に他界。その後、長女・和多利恵津子さんが二代目館長に、長男・和多利浩一さんがCEOに就任。現在は2人が母親・志津子さんの意志を受け継ぎ、現代美術、写真、彫刻、デザインなどジャンルを問わずに、展覧会やイベントの開催など多彩な活動を行っている。

美術家・梅津庸一が展覧会をつくる

 そんなワタリウム美術館で展覧会「梅津庸一|エキシビション メーカー」がスタートした。展覧会の企画が立ち上がったのは2年前。和多利浩一CEOが「美術館設立以前のギャルリー・ワタリ時代に、和多利志津子初代館長が集めたプライベートな作品群を紹介する展覧会を開きたい」と発案。現代美術家の梅津庸一に展覧会の構成を依頼した。

 梅津庸一は、今もっとも多忙な美術家。自身の創作活動と並行して、美術共同体「パープルーム」の運営、20歳前後の生徒たちとともに制作/生活を営む私塾「パープルーム予備校」の開校、移動式画廊「パープルームギャラリー」の主宰、機関誌「パープルームペーパー」の発行など、精力的な活動を行っている。依頼を受けたとき、2024年のスケジュールはすでに過密状態。東京・国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」(先日、会期が終了)への参加と、大阪・国立国際美術館の特別展「梅津庸一 クリスタルパレス」(6月4日〜10月6日)の開催が決まっていた。