子孫が米国で痛感、幕末「遣米使節団」の偉業

(柳原三佳・ノンフィクション作家)

 今でこそ、外交交渉はテレビやネットで中継され、両国首脳の些細な表情までがリアルタイムで映し出されるようになりました。先日も、トランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長のランチが突然中止になったときには、ニュース速報が流れるほどの騒ぎになっていました。

 しかし、今から約160年前の幕末には、もちろんそんな通信手段はありません。幕府の使節が初めて正式にアメリカに出向き、大統領と「日米修好通商条約」の批准書を交わしたという大きな出来事も、当時の日本人はほとんど知ることはなかったでしょう。

77名からなる「万延元年遣米使節団」

 1860年(万延元年)の1月、アメリカから迎えに来た軍艦・ポーハタン号に乗船して江戸を発ち、太平洋を渡った使節団は、その年の元号にちなんで、「万延元年遣米使節」と呼ばれています。

 西洋砲術や蘭学を学んでいた佐野鼎は、幕臣ではありませんでしたが、洋学の高い知識を買われ、総勢77名のこの使節団に従者として加わりました。そして、アメリカでさまざまな学校を視察し、進んだ教育システムを目の当たりにしたことによって、その後の人生を教育の道へとシフトしていったのです。

 佐野が体験したさまざまなエピソードについては、本連載で少しずつご紹介したいと思いますが、今回はまず、前回執筆した、<NHK『いだてん』も妄信、勝海舟の「咸臨丸神話」>の問題の、“その後”について、簡単に報告しておきたいと思います。

(前回の記事)NHK『いだてん』も妄信、勝海舟の「咸臨丸神話」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55538

 実は、2月10日に放送された大河ドラマの内容について、史実と異なるセリフと写真が放送されたことについて、「一般社団法人 万延元年遣米使節子孫の会」の理事が質問状を送付したところ、NHK制作局ドラマ番組部の部長から、2月25日付で返信があったのですが、残念ながらその内容は詭弁を弄するものでした。最終的な着地点が見えるまで、もう少し時間がかかりそうなので、NHKの回答文書や問題の経緯については改めて報告したいと思っています。


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