文字にされない伝統武芸

 エルボーや張りが横綱にふさわしくないと批判されたとき、白鵬は「反則とは書かれていない」というような反論をしていた。

 確かに、書かれていない。いや書かれていないことが多い。日本最古の憲法は十七条憲法であるが、これだけで国家が運営できたはずがない。逆に書かれていないところに運用の妙味があったのだ。

 同様に武道では奥伝や直伝・口伝などと言われ、文字化されていないが重要な決まりや約束ごとが多くあり、限られた人間だけに文字抜きの作法などで伝えられる。

 日本最古の武道ともいえる平安時代に始まる大相撲にはそうした風習が多いであろう。かち上げや張りも力士のわざの一つではあっても、上位力士にはふさわしくない取り口というものであろう。

 まして横綱が極めるべきは「後の先」、すなわち待ちの姿勢で相手の攻撃を堂々と受けながら、瞬時にして先手を取るところに妙味がある。

 また、がっぷり四つが期待される最高の取り組みとも思われる。

 このようなことは、歴史と伝統で自然に規範化されたものであろう。いまの時代の感覚からは「おかしい」というかもしれないが、それが「相撲道」の伝統である。

 また、白鵬の好成績は、従来の横綱になかった頻繁な休場との兼ね合い、後述の年3〜4場所出場などで生み出されている。実際、「(体調が悪ければ)休む権利がある」という考えを披瀝もしていた。

 横綱には「土俵入り」という重要な行事がある。「休む権利」の前に、入場券を手にした観客やテレビ観戦する国民に「土俵入り」を「見せる義務」があるのではないだろうか。

 負傷している場合は最小限のサポーターなどが許されているが、そうでない力士はまわし以外の何ものも身に着けないのが本筋である。