国民が国家を信頼するようになる条件

 確かに、他人に知られたくない情報を誰かが容易に知ることができ、それによって自由な行動が制限される可能性があるとしたら、実際に制限されるか否かはともかく、「気持ちが悪い」ことは間違いない。

 こうした国民の国家に対する警戒感には配慮すべきだが、それでは、うまく動くシステムを作り上げた先進国でそうした国家に対する警戒感が存在しないのかというと、そんなことはない。過去の戦時の経験などから、国家に対する警戒感は存在している。では、なぜそれらの国では、国家が国民の個人情報を集め、管理する仕組みが機能しているのか。

 いうまでもなく北欧諸国、そして現在デジタル化の最先端を行く国として注目されているエストニアは、国民生活を監視し統制しようとする独裁国家ではない。世界でも先進的な民主主義国家である。国民に対して、国家は質の高い福祉サービスを提供しつつ、なおかつしっかりとした民主主義を維持している。

 このようにいうと、わが国で返ってくる反論は、それらの国では、国民の国家に対する信頼が存在しているからであり、わが国では、国家が信頼されていないから、国民は国家に個人情報を委ねることができないのだ、というものである。

 北欧諸国は、確かに国民の国家に対する信頼はわが国よりあるのかもしれない。だが、私の知る限り、その信頼は最初からあったわけではなく、国家が国民の情報をどのように扱っているかを国民が監視し、統制する制度を設け、それによって信頼性を高めていったのだ。要するに、国家は国民が絶えず監視しチェックして初めて信頼できるようになり、国民のために正しく運営されるという考え方だ。