「監視国家」ではなく「見守り国家」を目指した国々

 かつて独裁国家による凄惨な人権侵害を経験した人類は、国家権力の抑制、国家による侵害から国民の人権を守るために、「国家からの自由」、すなわち国家による国民社会への介入の排除を理念として掲げ、それを実現するための国家体制を形成してきた。

 しかし、20世紀の後半になり、先進国は貧困や災害からの脱出も自己責任とみなすような「国家からの自由」の理念に替えて、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する福祉国家を目指した。

 理念はともかく、現実にすべての国民にミニマムの生活を保障することは容易なことではない。それを行うには、個々の国民が置かれている状態を正確に把握し、それぞれの国民が必要とする支援を公正、的確に提供しなければならない。

 それには、当然、きめ細かく国民の個人情報を収集し、それぞれの事情に応じて提供するサービスの内容、量を決めることになる。生活保護、年金、ヘルスケア、児童手当、雇用保険等々、収入はもとより、家族、職業その他の個人情報に基づいて給付の内容が決定されるのだ。 

 全国民を対象としてこのようなサービスを行うことには、膨大な作業を伴うが、当初はこれを帳票や台帳を使って手作業で行ってきた。少しでもこの作業を効率化し、ミスや給付の遅延を減らすためには、国民各自に固有の番号を振り、それを使って作業を進めるのが合理的である。

 そう考えたスウェーデンでは、デジタル技術が開発される以前の1940年代後半からIDを用いて福祉国家を実現してきた。そして、この方式を効率化するために、その後デジタル技術の活用を進めてきたのである。

 国家が国民の個人情報を保有する状態を「監視国家」というならば、同様の仕組みを構築しながら、これらの国が目指したのは「見守り国家」といえようか。