アメリカとの戦争が避けられなくなる中、山本五十六が航空軍備の現状について航空本部長に尋ねると、返ってきたのは衝撃的な答えだった──。現代史家・大木毅氏が、山本五十六の“軍人”としての能力に切り込んだ『「太平洋の巨鷲」山本五十六』(角川新書)。その一部を抜粋・再編集して、「悲劇の提督」山本五十六にまつわる知られざるエピソードをお届けする。(JBpress)

政府の拡張政策を憂慮

 日本が急速に戦争に向かうなか、山本五十六は、ただ傍観しているしかなかった。1940年11月に、軍人として最高の階級である大将に進んでいたとはいえ、「戦力行使者」(軍隊を実際に使う役割)の典型といえる連合艦隊司令長官の職にある身としては、職掌外の業務である政治に容喙(ようかい)するわけにはいかなかったのである。

 もとより、山本五十六は、対米戦争を望んでいたわけではない。むしろ、準備もなく、腰も定まらないままに、機会主義的に拡張政策を続ける政府の姿勢に憂慮していたとみてよかろう。

 山本が、親交のあった国粋大衆党の総裁笹川良一に宛てた、有名な1940年1月24日付の手紙には、こういう一節がある。「併(しか)し、日米開戦に至らば、己が目ざすところ、素よりグアム、比律賓(フィリピン)にあらず、将又布哇(はたまたハワイ)、桑港(サンフランシスコ)にあらず、実に華府(ワシントン)街頭白亜館(ホワイトハウス)上の盟ならざるべからず、当路の為政家、果たして此本腰の覚悟と自信ありや」(『大分県先哲叢書 堀悌吉資料集』、第一巻)。すなわち、日米戦争が開始されれば、首都ワシントンまで攻めていって、講和させるぐらいの覚悟がなければならないが、今日の為政者たちにそんな真剣さはあるのかという慨嘆である。