《父は、私にとってサックスの師匠であり私の歌のルーツであり、最愛で、最高の父でした。まだ実感がありません。ずっと心の中に父が生きています》

自身の公式HPで追悼コメントを発表した歌手・平原綾香(37)。実父で日本を代表するサックス奏者の1人である平原まことさんが11月26日に逝去したのだ。享年69。

平原にとって、まことさんは幼いころから憧れの存在であり続け、音楽の道に進むきっかけでもあったという。

月刊誌のインタビューで彼女はこう語っていた。

《客席からみあげるパパは、きれいな照明の中にいて、「サックス、平原まこと!」と紹介されると、逞しい腕で楽器を軽々と持ち上げるーー。ただただ憧れてずーっと見つめていた。保育園児にして「パパみたいな音楽家になる。この道を継ぐんだ!」と決意したものだ》(『文藝春秋』’12年6月号)

逝去により、まことさんは胃がんとの闘いを続けていたことも明らかになったが、実は本誌は闘病中の一家の様子を目撃していた。

’20年5月上旬、一家は東京都内にある有名大学病院の「腫瘍センター」を訪れていたのだ。医師の診断はかなり深刻なものだったに違いない。まことさんが診察を受けている間、平原と、まことさんの妻・A子さんは待合室のソファに座っていた。

しかし、不安と悲しみが込み上げてきたのか、平原が母の膝の上で泣き崩れることも。薬を院内の薬局で受け取り、病院を出るときの平原の目は涙のために腫れていた……。

「平原家は綾香さんのお姉さんでシンガー・ソングライターであるAIKAさんも含め4人家族。

まことさんはこの世代の男性には珍しく、育児にもとても協力的で、保育園送迎も担当していました。また彼は家族の時間を大事にしていて、平原家の家族ルールとして“朝ごはんは4人そろって食べること”を決めていました。まことさんは前夜の帰宅がどんなに遅くとも、いっしょに朝ごはんを食べていたそうです。

そんなまことさんのご体調が心配だったのでしょう。綾香さんは忙しいスケジュールのなか、まことさんの外出にも付き添うようにしていたのです」(平原家を知る音楽関係者)



■本人の希望でがん闘病は公表しなかった

だが、まことさんのがん闘病は、身内のごく一部にしか知らされておらず、1年半にわたって秘められてきた。それは、まことさんの強い希望だったようだ。病院で平原一家を目撃した後、本誌はまことさんや平原の所属事務所に事実確認を申し入れた。

すると、当時の担当者は、まことさんの病状についてこう語ったのだ。

「家族で腫瘍センターを訪れていたこと、また、まことさんが病気であることは事実です。

しかし療養の経過は順調で、まことさんは近日中にライブも控えています。本人は“知り合いの音楽関係者たちやスタッフたちに、自分の体調のことで心配をかけたくない”という気持ちでいるのです」

本誌は、まことさんの意向をくみ、体調回復後に再度相談をするということで、当時は闘病について報じることはなかった。

だがコロナの猛威が増していくなか、まことさんが体調不良を隠してまで、出演を熱望していたライブは延期に。コロナ禍もなかなか収束せず、逝去するまで、まことさんがステージに立つ機会は訪れなかったのだ……。

まことさんの壮絶ながん闘病の支えになっていたのが、“綾香ともう一度共演したい”という思いだったという。前出の音楽関係者によれば、

「まことさんと綾香さんは、『平原綾香ライブ with 平原まこと』という親子ライブを開催していました。がんが判明する直前の、’20年3月に千葉県市原市で開催予定だった親子ライブはコロナのために’21年1月に延期。さらに’22年1月に再延期となってしまっていました。

まことさんにとって、綾香さんと2人でステージに上がるという目標は闘病の励みになっていたようです。実現できなかったことを本当に残念に思います……」

冒頭の追悼コメントで、平原は父が導いてくれた音楽への思いについても語っている。

《父が表現してきた音楽の真髄に手を伸ばし、たくさん勉強し いつか掴み取りたいと思います。そして、いつか、平原まことのような音楽家になります》

幼い日に見た、逞しい腕でサックスを演奏するまことさんの姿はいまも平原の胸の内で輝き続けているのだーー。