「まだ頭の中が整理できず、まとめることができません。もう少し心の中で師匠と会話してから、いろいろ話させてください」

9月30日、こうコメントしたのはタレントの伊集院光(54)。

同日、落語家時代の師匠でもあった落語家・六代目三遊亭円楽さんが肺がんのため72歳で死去した。そこで伊集院は冒頭のように、所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。

「伊集院さんは’84年、17歳の時に楽太郎時代の円楽さんに弟子入り。そして、三遊亭楽大として落語家デビューを果たしました。’88年、二つ目に昇進しましたが、次第にラジオのパーソナリティとして人気に火がつきました」(スポーツ紙記者)

タレントとしての活動が徐々に増えていったため、伊集院は’90年に落語家を自主廃業。しかし、円楽さんは伊集院を破門にはしなかった。

「当初、伊集院さんは落語界に内緒でラジオを始めました。伊集院光という名前も、その時につけたものです。しかし、ラジオでの活躍が一門の中でバレることに。『お前の教育が悪い』と円楽さんが叱責されることもあったそうで、伊集院さんは負い目を感じていました。

ところが廃業してからも円楽さんは破門にはせず、『僕をリスペクトしてくれるならいつまでも弟子だ』と伊集院さんに伝えました。その寛大さが、伊集院さんはありがたかったといいます」(前出・スポーツ紙記者)

そんな円楽さんは伊集院に、というより三遊亭楽大に一目置いていたようだ。’21年6月、伊集院のラジオ番組「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)での共演がきっかけで「二人会」を開催した伊集院と円楽さん。その際、伊集院は約30年ぶりに落語を披露した。

すると円楽さんは終演後の会見で「タレントとしてラジオパーソナリティとして人前で喋って、そのまま落語の規格の中に入った。その辺の噺家よりもうまいよ」と伊集院を讃えたのだ。

「円楽さんは伊集院さんの“古典落語を掘り下げる視点”が面白いと話していました。円楽さんも伊集院さんをリスペクトしていたからこそ、二人会は実現したのでしょう。

実は今年4月にも福岡で『三遊亭円楽・伊集院光 落語親子会』を開催することになっていました。ところが円楽さんが入院したため、中止になりました。それでも伊集院さんはラジオで『僕との約束を守らないとネチネチ言われるので、僕との約束はわりと守ってくれる』と期待を込めて話していました」(前出・スポーツ紙記者)

円楽さんの訃報の当日、伊集院はTwitterに《。》とだけ投稿している。その心中は察するにあまりある。