10月1日、心不全のため、79歳で亡くなった元プロレスラーで元参議院議員のアントニオ猪木さん。

“燃える闘魂”の愛称で親しまれ、数々の名勝負で昭和、平成のプロレスファンを熱くさせてきた彼をかつて支えていたのが、元妻で女優の倍賞美津子(75)だ。

猪木さんは、’72年1月に理想とするプロレス団体『新日本プロレス』を旗揚げしたが、その前年11月に倍賞と結婚している。

「先輩レスラーの豊登道春さんの紹介で猪木さんと倍賞さんは知り合い、交際に発展。東京・京王プラザホテルで開かれた2人の披露宴では高さ5mのウエディングケーキが用意され、“1億円挙式”とも報じられました。

3年後には一人娘の寛子さんを授かり、お互いを“アントン”“ミッコ”と呼び合うなど、プロレスファンからも好感度の高いお似合いの夫婦でした」(古参のプロレス記者)

’88年、結婚17年目にして離婚するが、2人の絆はその後も続いていた。倍賞は’03年5月に行われた『新日30周年記念東京ドーム大会』にサプライズゲストとして登場。猪木さんとともに「1、2、3、ダー!」を披露したのだ。

《(初めて倍賞と会って)向こうからしたら僕なんか田舎の小僧って感じだったでしょうけど、凄く優しくしてくれましたよ。美津子さんは、いろいろなところに連れて行ってくれて。ジーンズを一緒に買いに行ったり、撮影所にも連れて行ってくれたり》

5月に発刊されたプロレス専門誌『Gスピリッツ』の中で、猪木さんの実弟・啓介さんが倍賞への感謝をこう語っている。(カッコ内は編集部注)

《彼女は本当にいろんな形で協力してくれましたよ。(プロレスの巡業でまわる)宣伝カーの吹き込みを全部やってくれたんですから。家族で一生懸命、協力してくれました。(中略)これまで4人の女性と結婚していますけど、自分から口説いた人はいないはずですよ。そんな兄貴に一番合っていたのは、やっぱり倍賞美津子さんだったと思いますね》

巡業先では、試合の宣伝をするための車がまわっていたが、なんと倍賞自らが“ウグイス嬢”代わりとなって宣伝文句をテープに吹き込んでいたというのだ。

報道によれば、家族葬は米国に住む寛子さんの帰国を待って行われるという(4日現在)。

“同志”だった猪木さんを失った倍賞はどんな心境なのだろうか。倍賞の所属事務所に問い合わせてみると、担当者はこう答えた。

「(家族葬への)参列の有無や心境などは、本人の意思により差し控えております。いまはそっと静かに見守っていただければと思っております」

猪木さんもきっと天国で元妻に感謝していることだろう――。