【前編】「赤ちゃんポスト」一人目の宮津航一さん「僕が子ども食堂を作った!」より続く

カトリック帯山教会(熊本市)で、毎月第2土曜日に開催される「ふるさと元気子ども食堂を始めた宮津航一さん(18)。彼は「赤ちゃんポスト」での経験と子ども食堂の活動は、直接結びつくものではないと言う。

だが、自分を育ててくれた無償の愛情を、地域の子どもたちに体験してもらいたいと思うのは、自然な流れではなかっただろうかーー。

航一さんは3歳のとき、なんらかの事情で匿名で子どもを託すことができる熊本県・慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の開設初日に、1人目として保護されたのだ。

「間もなく、被虐待児や非行に走る子どもなどを対象とした専門里親などに登録していた父、養育里親に登録していた母に引き取られました。

両親は、’11年、里親制度よりも多くの子どもを受け入れられるファミリーホームを設立しました。これまで、厳しい家庭環境で育った30人以上の子どもたちが卒業しています」

現在は、おばあちゃん、両親、航一さん、そして5人の里子の9人暮らしだ。

今、航一さんがこうして子ども食堂を立ち上げ、運営しているのも、子どもたちのために半生をささげてきた両親の姿を間近で見てきたからだ。

■16歳の少年はホームレス状態。「うちに泊まっていけ」と美光さん夫妻は4年半共に生活を

社会福祉サークルの活動にのめり込んでいた宮津美光さん(65)・みどりさん(64)夫妻が、5人の子育てを通して、PTA活動や「ふるさとクラブ」という地域の子どもたちと触れ合う活動に積極的に参加したのは自然な流れだった。

一方、自動販売機の運営をする実家の商売を受け継いでいたが、街にはコンビニが増えてきて、売り上げは下降気味に。

「今後の商売を考えて始めたのが、4人席のテーブル2卓、カウンター5席のお好み焼き屋。酒を出すような店ではなくて、放課後、ふるさとクラブで知り合ったような子どもたちが、ちょっと顔を出せるお店にしよったです」(美光さん)

こだわりのメニューは、具材が漬け物と天かすのみという「学焼き」(学生焼き)。子どもたちにリサーチし、150円に価格設定した。

ある年の9月1日のことだった。学校は始業したはずなのに、朝から3人の男の子たちが来店。さっそくみどりさんは店の裏に行って、美光さんに「サボって来よる」と伝えた。

だが、頭ごなしに詰め寄ったりはしない。美光さんはニコニコ顔。

「夏休みは楽しかったか? そうか、あんまり面白くなかったのか。だったら今度の日曜日に、すごいとこ知っとるけん、来るか?」

大きな滝つぼがある自然豊かな国有林に連れ出し、鉄板で作った焼きそばを振る舞った。

おなかがふくれると心がほぐれ、少年は美光さんに悩みを打ち明け始めた。3人の中の一人は、母親が精神疾患を抱えており、共に生活するのは困難で、ホームレス状態。公園のベンチで眠り、コンビニで廃棄される消費期限切れの弁当でしのいでいた。

「16歳ですよ。年齢よりも小柄で小学生くらいに見えたけん、店に来たときは、150円の学焼きも、キャベツやら肉やらたくさんサービスしてやってね」

ある夜、店を後にしようとする16歳の少年を見かね、泊まるよう声をかけた。みどりさんが語る。

「でも、遠慮するんですね。それでその子が扉に手をかけた瞬間、ドーンと体が吹き飛ぶくらいの雷が鳴って、ザーッと大雨が降りだしたんです。主人も『ほら、神様が泊まっていけ、言うたやろ』と説得して。その日から4年半、ウチで生活したんです(笑)」



■児相から最初に里親になることを相談されたのは、予想外の幼い、3歳の航一さんだった

その少年が、近くの児童相談所(児相)にお好み焼きの出前をしていたことから、職員と美光さんとの交流が生まれ、美光さんは里親になることを勧められる。

「児相から、里親になれば、16歳の少年にかかる生活費のような持ち出しはなく、養育費や医療費も公的に助成してくれると聞いたけん『やります!』と二つ返事で承諾しました」

専門里親の登録をし、それからしばらくして、思いもよらぬ連絡が来た。

「未就学児ですが、いいですか?」

本来なら、非行に走る子どもを対象にする専門里親制度に登録していた美光さんだったが、児相から最初に里親になることを相談されたのは、予想外の幼い子ども。「どうする?」という美光さんに、みどりさんは迷うことなく「小さい子なら、かわいいに決まっとるたい」と受け入れを決断した。その子どもが航一さんだった。

■高3のとき養子縁組。でも「家族って戸籍でのつながり、血のつながりばかりじゃない」

美光さんはお好み焼き店を’10年に閉じて、’11年に開設したファミリーホームの運営に専念することに。

航一さんは両親の愛情を注がれ、明るく、まっすぐに育った。中・高6年間は陸上部に所属し、100メートル走では県内2位に入るほどの有望選手として活躍した。

平穏な生活を送っていたが、2年前の5月に、美光さんが大病を患った。みどりさんが振り返る。

「夫はよくしゃべる人なのに“今日はしゃべらないな”という日がありました。手のかかる子を預かったりしよったけん、精神的な疲れがあったと思い込んでいました」

翌日、美光さんも自分の身に起こった変化を自覚した。

「電話で、仕事の日程を調整したかったのに、『えーと、えーと』と言葉が出なかったんです」

言語をつかさどる脳の中心部の脳梗塞だと診断された。幸い早期発見でき、すぐにリハビリに取り組んだが、今でも後遺症として会話が途切れたり、会話の途中で言葉が出なくなったりしてしまう。

「人間、何があるかわからないと痛感。それで航一が高校を卒業してから養子縁組する予定を、高2に前倒ししたんです。5人の実子たちにとっても、航一は家族同然だから自然な成り行き。争うような財産なんてないけん、誰も反対しませんよ(笑)」(みどりさん)

家庭裁判所に養子縁組を申し立て、認められたのは’20年12月25日のことだった。家族にとって最高のクリスマスプレゼントとなり、翌年の1月に手続きを終了。

たった一人の名前しか記載されない単独戸籍だった航一さんの戸籍に、養父母の名が加えられた。

「養子縁組前から、胸を張って“親子だ”と言えましたが、やっぱりうれしいものでした。でも、家族って戸籍でのつながり、血のつながりばかりじゃない。自分がうれしいときも、大変なときも、思いを共有して支えてくれる存在だから」(航一さん)



■5人の里子を含めた家族9人の日常は大忙し。ごく普通の日常の積み重ねが絆を強くする

子どもたちが登校する朝から、宮津家は大忙しだ。朝食を終えて学校に送り出すと、洗濯機2台を回して洗濯をしつつ、事務仕事や、食材の買い出しに追われ、あっと言う間に夕方に。

この日の夕食は、鶏ひき肉のハンバーグに、ピーマンとちくわ、ベーコンの炒めもの、彩りにレタスやトマトを添える。

美光さんが手際よく料理をして、息がぴったりのみどりさんがサポートするように食材を切ったり、洗い物をしたり、盛り付けていく。

台所には冷蔵庫が2台あり、テーブルを縦に3つも並べている。食事のときはそこに9人が集合し、食べ終えた子どもから順次入浴しなければ捌ききれない。

「最後にお風呂に入るのが私やお父さん。お湯が濁っていることもあるので『ちゃんと洗って入ってね』と言っているんですが(笑)」(みどりさん)

特別なことではない。ごく普通の日常生活の積み重ねこそが、家族の絆を強くする。

「日本は血縁を大事にする文化がありますが、寝食を共にして、毎日、愛情を持って顔を合わせて生活していると、親子の感情になるもんです」(美光さん)

宮津家がようやく落ち着くのは夜の11時ごろ。最近は台所に夫婦と、航一さんの3人が集まる。

「子ども食堂の運営や、『子どもだけじゃなくて、保護者の表情もしっかり見ていなさい』などのアドバイスもあって、勉強になります」(航一さん)

そんな様子に、みどりさんはちょっと心配な部分もあるようだ。

「まだ若いから、私たちの活動のことばかりではなく、いろんなことに挑戦してほしい」

ただ、航一さんは自室で、実母がほほ笑む写真を見ながら語る。

「やっぱり両親の影響があるから、子どもに関わる仕事をやりたいって思います。これはまだ内緒にしていますが、兄たちが独立しているので、ボクが両親のファミリーホームを継ぐというのも、選択肢の一つだと思っています」