サッカーW杯・カタール大会で惜しくもベスト16に終わった日本。史上初のベスト8進出を逃したが、一次リーグでは強豪国のドイツ、スペインに勝利し大きな功績を残した。

日本時間12月6日に行われた決勝トーナメントのクロアチア戦では、1-1の同点で延長戦になるもPK戦で屈した。粘り強く攻守した日本だったが、唯一の得点を決めたのがFW前田大然(25)だ。前半終了間際の43分、右コーナーキックの流れからMF堂安律(24)がゴール前にクロスを送ると、前田が左足で押し込み鮮やかに先制点を決めたのだった。

「スペイン戦でも前田の“鬼プレス”が威力を発揮しました。俊足で相手GKへのバックパスを猛追し、流れたボールをMF伊東純也(29)が奪取。直後に堂安が決めたゴールにつなげました。横浜F・マリノスからセルティックへ移籍した前田は、世界でも通用するスプリント能力とスピードの持ち主。20年にマネジメント契約した吉本興業のプロフィール欄では、『50mを5.8秒で走る韋駄天』とも紹介されています」(スポーツ紙記者)

八面六臂の活躍を見せた前田に注目が集まるいっぽう、ネット上では“高校時代のある不祥事”が波紋を呼んでいる。

12月3日、読売新聞電子版は「前田大然『献身プレー』原点は高校部活…同級生からかい除籍、一人で1年練習し復帰」と題する記事を公開。大阪府太子町出身の前田は中学卒業後、サッカー強豪校である山梨学院高等学校へ進学した。

記事によると、寮生活を送りながらサッカー部で練習をしていた前田だが、1年生の冬に、《同級生の部員を冗談半分にからかったことを問題視された》との理由からサッカー部を除籍されたというのだ。

退寮しワンルームマンションで生活しながら、奉仕活動としてパン店でも働いたという前田。そして除籍から1年後に、再びサッカー部に戻ることができたという。このエピソードが報じられると、ネット上では波紋が広がることに……。

《前田大然に悲しい過去…… からかいなんて書いてあるけど除籍されるレベルのからかいって?》 《除籍するほどのからかいは、果たしてからかいで済ませていいのか》 《ただのからかい程度で「一年間」も除籍になりますかね… これを美談にするのは違うでしょ》

さらに一部では、“いじめだったのでは”と指摘する声もあがっていた。



■母校が語った真相「実際には活動停止です」

一体、どのようなことがあったのだろうか? 本誌が山梨学院高等学校に取材を申し込むと、教頭が当時のサッカー部監督に確認の上、詳細を語ってくれた(以下、カッコ内は教頭)。

まず、後輩にあたるサッカー部の部員たちは、「みんな口を揃えて『すごい先輩だ』と感激しています」とW杯での活躍を絶賛。いっぽう、生徒たちもネット上で前田の過去が噂されていることは把握しているという。だが教頭は、「それでもトータルで見て『前田選手は凄い』といった反応を示しています」と話した。

そう前置きした上で、“からかい除籍”についてこう明かしてくれた。

「ネットの記事では『除籍』と表現をしているようですが、実際には活動停止です。部としては『3年間で育てたい』という前向きな気持ちで、そのような処分を下しました」

肝心な“からかい”の内容については、「入学してすぐに、5人くらいのグループで仲間の部員に一発芸をさせるといったことをしたんです。でも、悪意があってやったことではありませんでした」と説明。さらに、処分を受けたのは前田1人だけではなく、からかった部員全員だった。

入学早々にお咎めを受けた前田だが、当時の監督は彼の将来を見据えていたという。

「当時の監督には、彼を『20年度の東京五輪の候補選手として育てたい』との思いがありました。あの頃の前田は、高校生離れしたすごいスピードと強さを持っていました。そういった期待もあり、宝の持ち腐れになってはいけないと。1年生の初めで良い機会だと捉え、からかった5人全員を面倒見るつもりで指導しました」

この一件で学校の寮を出た前田だったが、“反省期間”には両親の協力もあった。

「寮から出すにあたって、彼の両親に説明をした上で協力をしてもらいました。前田の家では、大阪から出てきてくれたお母さんが彼と一緒に下宿生活をしてくれました。加えて精神的な修行をさせるため、パン店にお手伝いにも行かせました。実はそのパン店は、本校サッカー部のコーチの父親の家でした。そのつながりで、当時の監督が『将来的に有望な選手なので育てたい』と彼を託したんです」



■「あの時、あのような経験をしたから今がある」

教頭によると、実際に前田が活動停止した期間は1年生時の4月〜12月。2カ月ほどパン店で修業をさせ、6月からは地元のサッカークラブで練習をさせたという。

「部活動は停止中だったんですが、やっぱり鈍らせるわけにはいかないので、保護者会の方々が協力してくださって練習をさせました。サッカー部としては懲らしめるというよりも、見守るという立場ですね。パン店で修業させたり別のサッカークラブで練習させたり、保護者会やスタッフたちと連携を取りながら見守って育てるという方針で対応してきました」

そして年が明けた1月に復帰した前田は、目の色が変わったように練習に励んでいたという。

「彼はしっかり反省したようで、今では『あの時、あのような経験をしたから今がある』といった発言も、当時の監督にしているそうです。技術的には凄いものを持っていたけど、幼さもあって足りない部分だったということでしょうね。あの経験が、後の精神的な部分で大きく影響したのではないでしょうか」

なお、からかわれた部員は退部するといったこともなく、卒業まで前田たちと一緒にボールを蹴って切磋琢磨したという。3年生時に出場したプリンスリーグ関東では12得点を挙げて得点王に輝いた前田。当時のインタビューでは、「両親をはじめ、これまで関わって下さった全ての方に感謝し、恩返しができるよう頑張ります」と語っていた。

そんな彼について、最後に教頭はこう期待を込めた。

「色んな人から聞くのですが、前田は誤解されやすいタイプのようですね。見た目がやや強面なのもありますが、言葉数が少なく、言い訳などをしないからだといいます。周囲がやったことを自分が被ってしまうような。でも、そういう部分もありますが、根は良い子なんです。ですので、これからもしっかり頑張ってほしいです」

温かい目で育ててくれた母校に、きっと前田も感謝をしていることだろう。