6月17日に70歳で亡くなったベーシスト・作曲家の花岡献治さん(元憂歌団)。その足跡や思い出などについて、花岡さんと親交のあったシンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリが、自らがパーソナリティーを務めるラジオ番組で語りました。

※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2024年6月21日放送回より

【中将タカノリ(以下「中将」)】 残念なお話ですが、6月17日、ベーシスト・作曲家として活躍した元憂歌団の花岡献治さんが亡くなりました。花岡さんとは親交があったので、今回はしのぶ回にしたいと思います。

【橋本菜津美(以下「橋本」)】 残念ですね。急だったのでしょうか?

【中将】 はい、先月くらいから食欲がなくなり……と聞いています。花岡さんは以前、お酒を飲み過ぎて体調を崩されているんですね。それ以来、万全の体調ではなかったと思うのですが、音楽活動は精力的に続けられていましたし、7月にもライブをされる予定でした。

【橋本】 そうでしたか……。今回はそんな花岡さんの思い出を振り返る回ということですね。

【中将】 はい、お聞きしていた話をいろいろご紹介したいと思います。

 花岡さんといえば、憂歌団のベーシストとしてご存知の方が多いと思うのですが、もともとは別のバンドで活動されていて、木村充揮さん、内田勘太郎さんに誘われて、後から憂歌団に加入。メンバーの中でひとりだけ大学に通いながら活動し、学業との両立に苦労されたそうです。でも、その甲斐あって1975年に『おそうじオバチャン』でデビュー。日本を代表するブルースバンドの一員として大活躍が始まります。

【橋本】 素敵なサウンドの曲ですが、すごいタイトルですね!

【中将】 ブルースって、アメリカで黒人が奴隷として働かされていた時代に、自分たちの悲しい境遇を笑い飛ばすような感じで成立した音楽じゃないですか。だから、この曲も架空のオバチャンを主人公にしたブルースの歌詞なんですよ。ただ『おそうじオバチャン』はリリース直後からチャートを上昇する気配があったものの、ある女性国会議員が「女性掃除夫への差別だ」と言い出したことで放送禁止になってしまいました。

【橋本】 本人たちにとっては残念だったでしょうね。現代でもいろんな規制はありますが、もうちょっと柔軟ですよね。

【中将】 残念ながらヒット曲にはなりませんでしたが、この事件は全国のブルース、ロックファンの注目を集めるきっかけになりました。ただ、日本のブルースバンドの代表格とされながら、どブルースばかりでないのが憂歌団の面白いところ。その1つが、平成に入ってからの曲になりますが、『純愛だけど朝帰り』(1993)です。

【橋本】 すごくお洒落! ラテンみたいなサウンドですね。

【中将】 花岡さんの作曲で、歌詞はなんと阿久悠さんなんですよ。花岡さんはお若い頃、ブルースはあまり好きじゃなくて、歌謡曲やグループサウンズ、ビートルズが好きだったと仰っていました。阿久悠さんとのコラボはうれしかったんじゃないでしょうか。

 実は一度、花岡さんをザ・タイガースの瞳みのるさんと森本タローさんのジョイントライブにご招待したことがあるんです。楽屋で憧れのピー、タローに会ったときの笑顔は忘れられません。握手して真っ赤になってるの(笑)。ライブもとても感激しておられて、『君だけに愛を』(1968)のときとかはもうステージに釘付けでした。

【橋本】 中将さんならではのエピソードですね。

【中将】 花岡さんとは音楽の話もしたけど、興味の幅が広いんですよね。世間では憂歌団と言えばブルースというイメージだけど、実は背景にいろんな音楽の引き出しがあったからあれだけ豊かな表現ができたんでしょうね。

 さらに、2014年には、KENJI HANAOKA&Kenshiro名義で、シングル『あなたの笑顔』のカップリング『空よ 山よ 雲よ 風よ』をリリースしています。こちらは花岡さんがリードボーカルを担当。晩年に過ごされた熊本で、老人ホームなどを経営している会社のテーマソングにもなりました。

【橋本】 これは憂歌団時代とは全然違うテイストの曲ですね。本当に幅広い!

【中将】 都会を離れ熊本の自然に囲まれて過ごす中で、いろんな心境の変化もあったそうですね。

 花岡さんとは何度か飲みに行かせてもらいましたが、新開地の商店街にある正宗屋という居酒屋を紹介したところ、とても喜んでくれました。晩年は熊本にお住まいだったので、関西のだしの味が懐かしいと。また飲みに行っていろんな店を紹介したかったです。ご冥福をお祈りします。