世界文化遺産・仁和寺(京都市右京区御室大内)が所蔵する「戊辰戦争絵巻」上下巻のデジタル彩色画が完成、10月18日まで一般公開されている。(※記事中の写真は公開前に仁和寺の許可を得て撮影、一般公開期間中は撮影禁止)

仁和寺で公開中の「令和版・戊辰戦争絵巻デジタル彩色版」の一部
仁和寺で公開中の「令和版・戊辰戦争絵巻デジタル彩色版」の一部

 絵巻は戊辰戦争のきっかけとなった1868年の「鳥羽伏見の戦い」を描いている。全39場面。幅31センチ、長さは上下巻合わせて約40メートルに及ぶ。1889(明治22)年に完成して明治天皇に献上された後、1891(明治24)年にわずかな数だけ非売品として制作され、 仁和寺や霊山歴史館(京都市東山区)、靖国神社(東京都千代田区)など一部にだけ、複製品が配られたという。

「彰仁(小松宮彰仁親王)」は純仁法親王、還俗後は仁和寺宮嘉彰親王を名乗る(下が彩色版・上が原版 (※一般公開では一部を除き、彩色版のみの展示)
「彰仁(小松宮彰仁親王)」は純仁法親王、還俗後は仁和寺宮嘉彰親王を名乗る(下が彩色版・上が原版 (※一般公開では一部を除き、彩色版のみの展示)
新政府軍(官軍)が掲げた菊花紋入りの錦の御旗も彩色により立体感が
新政府軍(官軍)が掲げた菊花紋入りの錦の御旗も彩色により立体感が

 仁和寺は皇族や公家が出家して住職を務める門跡寺院であり、明治時代を迎えるまで30代にわたり続いた。皇族最後の門跡となる第30世・純仁法親王(じゅんにんほっしんのう)が1867(慶應3)年、「王政復古の大号令」により僧から還俗し、宮家の創設を許され、仁和寺宮嘉彰(よしあきら)親王となり、明治維新では政府の官職・議定や軍事総裁に任じられた。戊辰戦争では、奥羽征討総督として官軍を指揮。明治以降の仁和寺は、門跡に皇族が就かなくなったため「旧・御室御所」と称するようになった。

仁和寺 二王門
仁和寺 二王門
仁和寺 五重塔
仁和寺 五重塔

 国宝12点、重要文化財47件、その他宝物など2万点以上が保有されている世界文化遺産・仁和寺。2012年ごろからデジタルデータの有効性に着目、文化財の正確な記録のためデジタル化を進めている。「戊辰戦争絵巻」、もとはモノクロの木版画だが、彩色によってリアルに当時の戦いのシーンが鮮明によみがえった。デジタル彩色には、超高精細スキャニングを経たことで歴史的資料として、絵画の詳細な描写から民俗学・歴史学的な情報も得られたという。

第十六図「征討大将軍御出陣」
第十六図「征討大将軍御出陣」

 今回、文化財のデジタル保存に取り組む「先端イメージング工学研究所」(京都市左京区)代表理事、井手亜里(いで・あり)京都大学名誉教授率いるプロジェクトチームが、全長計約40メートルもの絵巻を高精細スキャンで取り込み、デジタル化を進めた。約100倍に拡大した画像にコンピューター上で彩色する地道な作業。約1年の制作期間を経た。井出氏は「イメージとして部分的にコンピューター画面いっぱいに拡大、そうすると画像や図柄がぼやけることなく原寸大で和紙に印刷できる。同じ大きさで彩色すると美しくなく、仮にそれを拡大すると、絵巻自体に違和感を覚える」という。

井出亜里氏
井出亜里氏(先端イメージング工学研究所・代表理事)
「戊辰戦争絵巻」〜彩色版(下)とモノクロ版(上・原版)との対比(※一般公開では一部を除き、彩色版のみの展示)
「戊辰戦争絵巻」〜彩色版(下)とモノクロ版(上・原版)との対比(※一般公開では一部を除き、彩色版のみの展示)

 解像度は1200DPI(dots per inch=ドット毎インチ)。プロのカメラマンが報道用などで使うカメラなら、20メガバイト(MB)だが、井出氏らのプロジェクトチームは100〜150ギガバイト(GB)でスキャニングした。1センチを100倍に拡大すれば、見えないものまで見えてくる。例えばブーツ。この絵巻では南北戦争で用いた輸入物のブーツを履く兵隊が描かれているが、当時の日本人の足のサイズとは合わず、少しぎこちない、ブーツがフィットしない様子までうかがい知れる。

第四図「鳥羽関門応接」1868(慶応4)年1月3日、鳥羽街道を封鎖していた薩摩藩兵と旧幕府軍先鋒が接触(上が原版、下が彩色版)
第四図「鳥羽関門応接」1868(慶応4)年1月3日、鳥羽街道を封鎖していた薩摩藩兵と旧幕府軍先鋒が接触(上が原版、下が彩色版)
第二図「会津藩伏見上陸」1868(慶応4)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船で伏見京橋に上陸(上が原版、下が彩色版)
第二図「会津藩伏見上陸」1868(慶応4)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船で伏見京橋に上陸(上が原版、下が彩色版)

 最も難しかったのは、「色の見本がないものを、どうやって情報収集するか」。田んぼひとつ取っても季節感を生かしたものとするなど、色の考証は解説本の記述や現存する軍装品、絵巻に色をつけて一般向けに出版された刊行物を参照したという。イランで生まれ、東アジアの文化に興味を抱いた井出氏は1972(昭和47)年、19歳で日本の地に。翌年に京都大学に入学した。ペルシャの美しい文化と壮大な歴史をバックに、これまでにない文化遺産のデジタル化技術の利用と普及に努める試みを、京都から世界へ届けたい一心だった。

第三十五図「大将軍大坂八軒家御上陸」彩色版(八軒家浜〜旧淀川(大川)左岸に設けられた船着場 現在の京阪電鉄「天満橋」駅付近)
第三十五図「大将軍大坂八軒家御上陸」彩色版(八軒家浜〜旧淀川(大川)左岸に設けられた船着場 現在の京阪電鉄「天満橋」駅付近)
第三十五図「大将軍大坂八軒家御上陸」原版
第三十五図「大将軍大坂八軒家御上陸」原版

 「戊辰戦争絵巻」は日本が近代化される前の内戦について、まるで”戦場のカメラマン”が撮影したかのごとく描かれている。書物といった文字での伝承が主流だったが、この時代に、詳細かつ大量に描かれた絵画は珍しいという。

仁和寺観音堂障壁画<2019年5月21日・修復落慶法時撮影 ※通常は非公開>
仁和寺観音堂障壁画<2019年5月21日・修復落慶法時撮影 ※通常は非公開>
仁和寺観音堂・修復落慶法要<2019年5月21日 ※通常は非公開>
仁和寺観音堂・修復落慶法要<2019年5月21日 ※通常は非公開>

 井出氏らのチームは、このほかに仁和寺で江戸時代初期に創建され、2012(平成24)年まで一度も修復されることなく当時のままの状態を維持し続けてきた重要文化財・観音堂の障壁画も、高さ4メートルものスキャナで、現物にダメージを与えることなく高精細にデジタル化している。

 井出氏はこの絵巻を全国に発信するため、新政府軍(官軍)として薩摩藩と組んだ長州藩ゆかりの山口市で11月13・14日、「鳥羽伏見の戦いと錦の御旗」と題し、デジタル映像に乗せた講談師・神田京子さんの講談を交えて理解を深めるイベントを開く予定(山口市菜香亭・松田屋ホテル ただし新型コロナウイルス感染防止対策で席数は縮小)。

木村幸比古氏(霊山歴史館・学術アドバイザー)
木村幸比古氏(霊山歴史館・学術アドバイザー)

 色の考証を担った一人で、 霊山歴史館・学術アドバイザーで幕末維新史を研究する木村幸比古(さちひこ)氏によると、絵巻のもととなる記録の作成の発案は、長州藩の奇兵隊幹部で明治維新後に子爵となった林友幸。当初は文書にしたらどうか、という話だったという。

第三十九図「節刀(天皇から授かった任命の印としての刀)返上」彩色版
第三十九図「節刀(天皇から授かった任命の印としての刀)返上」彩色版
第三十九図「節刀(天皇から授かった任命の印としての刀)返上」原版
第三十九図「節刀(天皇から授かった任命の印としての刀)返上」原版

 しかし、明治時代も中期となると、時の(明治)天皇は「勝った、負けた」に終始する史観を好まなかったとされている。そこで絵巻として原画が完成した。のちに一般国民にも見られるようにとモノクロの木版画として作成される。当時は色彩鮮やかな”錦絵”があったが、戦(いくさ)を表現する以上、鮮血など生々しさが残るため、色をつけなかったのではないかと分析している。

第一景「正月元日」(下が彩色版・上が原版)
第一景「正月元日」(下が彩色版・上が原版)

 39景の最初は正月の御所の穏やかな様子から始まる。国民がどんな正月を迎えたかを表現。通常、戦いの絵巻は勝者側が恣意的に勝ったシーンを強調したものになりがちだが、戊辰戦争絵巻はそれまでの戦記物と異なり、生き残った者が淡々と証言した「ほぼありのまま」を表現しているという。大砲の角度はもちろん、官軍兵士に主食を饗する民衆の姿、イングリッシュセターと呼ばれる洋犬なども描かれている。
 

 彩色をめぐっては、国会図書館で保管する資料に記された「緋袴(ひばかま 緋色=朱色に近い赤色)をはいた明治天皇」などの表現を参考にしたという。木村氏は赤色というと、イギリス王室が使用する深紅の”ロイヤル・レッド”と受け止めがちだが、実際は異なっていたのではないかとみる。幕末以前は植物油が原料の染料で描かれているが、明治時代に入ると赤絵という化学染料が入ってきたが、この絵巻は有職故実を含めて忠実に色彩を表現した。

官軍の拠点(本陣)、東寺
官軍の拠点(本陣)、東寺
「錦の御旗」同時に一般公開される(仁和寺・大内の間にて)
「錦の御旗」同時に一般公開される(仁和寺・大内の間にて)

 同時に展示される金糸を織り込んだ西陣織の「錦の御旗」は、鳥羽伏見の戦いから続く戊辰戦争で官軍の象徴となり、その後明治維新へと一気に歴史が動く。錦の御旗について、もっと多くの場面で描かれてもいいのではないかという意見もあるが、木村氏は天皇の、皇軍の旗であり、当時の感覚ではあまり表立って描くのは不敬に当たるのではないか、との考えから強調されていないのかも知れないと話す。

仁和寺からの感謝状を手に井出亜里氏(右は瀬川大秀門跡 撮影のためにマスクを外しています)
仁和寺からの感謝状を手に井出亜里氏(右は瀬川大秀門跡 撮影のためにマスクを外しています)

 仁和寺のモノクロの絵巻は彩色によって鮮明になり、フルカラーとなって寄進された。瀬川大秀(せがわ・たいしゅう)門跡は「純仁法親王は還俗、出陣の際は国家安泰、人々の幸せを願い、祈りの力で出陣したのではないか。当時の様子を知り、戊辰戦争で亡くなった犠牲者のことを考えるきっかけにしてほしい」と話した。また吉田正裕(しょうゆう)執事長は「仁和寺の初代門跡・宇多天皇は祈りと、優雅で繊細な国風文化への高い意識があり、それが歴代の門跡に受け継がれてきた。歴史や文化を次世代に伝えようとする私たちの思いが、こうしたデジタル化に表れている」と意義を語った。

◆令和版”戊辰戦争絵巻デジタル彩色版”完成記念
 仁和寺と明治維新「戊辰戦争カラー絵巻と錦の御旗(みはた)展」
 一般公開は10月17日まで(午前9時〜午後4時30分)。期間中、絵巻と講談師・神田京子さんの講釈による会場限定映像が大型モニターで上映される。拝観料1100円(仁和寺御所庭園拝観料を含む 高校生以下は次世代への文化支援として無料)。