兵庫県芦屋市の会社員女性が2016年に死亡し、傷害(のちに傷害致死に切り替え)容疑で逮捕された元交際相手の男性を不起訴としたのは不当だとして、事件の再捜査を申し入れた遺族に対し、神戸地検尼崎支部が1月25日、「再捜査しない」と回答した。「男性の正当防衛が成立した可能性を否定できない」という理由だった。
遺族は1月30日、会見を開き、驚きを隠せない様子で「納得できない」と話した。
有友尚子さん(当時27歳)は2015年12月28日未明、元交際相手の男性とタクシーに乗り口論となった。JR芦屋駅(兵庫県芦屋市)付近の路上で降車したあと、尚子さんは倒れて意識を失い、翌2016年1月10日に死亡した。男性は傷害容疑で逮捕、送検された(のちに傷害致死容疑に切り替え)。尚子さんの脳内に出血がみられ、司法解剖では「外傷性くも膜下出血を生じたとして矛盾はない」とされた。
ところが同年4月、神戸地検尼崎支部は、「事件前から尚子さんの脳に動脈瘤(どうみゃくりゅう)があり、事件当時のストレスでそれが破裂した可能性がある」として、傷害致死事件としては男性を不起訴処分(裁定は嫌疑不十分)とした。
尚子さんの母親・裕子さんは、事件の真実が知りたかった。「なぜ、娘が死んだのか」。
2018年10月に男性を相手取り、損害賠償を求め民事訴訟を起こした。民事訴訟では、尚子さんの脳の画像を脳外科医が鑑定、死因は「殴打によるくも膜下出血」とする意見書を新たに示し、男性の暴行が原因だった可能性が高いとした(男性は民事裁判で暴力を振るったこと自体を否定していた)。
大阪高裁は2021年6月、「証拠上、男性による殴打以外に、尚子さんへ外部からの力が働いた事実は認められない」として、暴行と死亡との因果関係を認め、男性に損害賠償を命じる判決が確定した。
裕子さんはこの判決を受け、改めて神戸地検尼崎支部に再捜査(※)を求めた。しかし、民事裁判の認定をもってしても、刑事事件の手続きのハードルは高かった。
※「再起(さいき)」不起訴、または中止の処分にした事件や刑事裁判で公訴棄却とされた事件などで,同じ犯罪について再び捜査に着手すること
30日、裕子さんは代理人弁護士とともに会見し、地検支部が再捜査をしないという結論について、2つの理由を挙げたことを明かした。
1つは「因果関係」について。もう1つは「正当防衛」について。
裕子さんによると、地検支部が2016年4月に男性を不起訴とした際、因果関係についての説明はあったが、正当防衛についての説明はなかったという。
実は、この時も地検支部で男性の正当防衛について検討されたとみられるが、裕子さんへの説明の際には触れられず、言及があったのは今回が初めてだった。正当防衛は民事裁判でも取り上げられなかった事実だった。
裕子さんは、「はじめから正当防衛について聞いていたら、(目撃情報の収集などの対応が)もっと早くできていた。これまでの7年あまりの年月がもったいない」と悔やむ。時間の経過は関係者の記憶が希薄になるなど、立証が困難になる傾向がある。
担当検事の説明では、捜査段階で複数の医師の意見を聞き取る中、尚子さんの死因について「殴打(男性からの暴力)によるくも膜下出血」とするものもあったが、中には「事件前から尚子さんの脳に動脈瘤(どうみゃくりゅう)があり、その破裂などの影響も否定できない」とする意見もあった。しかし、起訴できない最大の問題は「男性の正当防衛がなかったとは言えない」点だったという。
裕子さんは「過剰防衛ではないのか」という疑問を抱いたが、この点についても、当時の状況から、男性の行為が反撃(正当防衛)の限度を超えていたと言い切れるのか、という壁があった。
実は事件の約2か月前、2015年11月8日に、尚子さんは神戸市内で男性から暴行を受け、生田警察署(神戸市中央区)へ傷害事件として被害届を出していた。この頃から尚子さんは、「(男性から受ける)暴力は絶対に許せない」と話していたという。裕子さんは母親として、娘のこの言葉が忘れられない。
「話せば理解できる子なのに……なぜ男性は暴力を振るうのか」。尚子さんは絶対に被害届を取り下げないと決めていたという。
2人のけんかは絶えず、事件当日のタクシー内でも言い争いになっていた。遺族代理人の片田真志弁護士は、2人のこうした関係性を鑑みれば、2人が対等に暴力を振るい合ったとは考えにくいとの疑問を検事に投げかけたが、「過去のエピソードから事件当日の経緯について推認はできない」という回答だったという。
裕子さんが再捜査を申し立てた数日後、検察幹部はラジオ関西の取材に対し、「ご遺族の思いに応えるべく、しっかり検討したい。しかし確たる目撃証言や、現場の状況をとらえた証拠がない場合、起訴したとしても、そこに犯罪事実があったとは言い切れず、有罪と認定されることは難しい」と答えていた。
遺族代理人の片田弁護士は、裁判官の経験がある。会見では検察官の立証責任に触れ「仮に男性が起訴され、正当防衛を主張した場合、検察官が『正当防衛でないとすれば、どのような状況で、どのような力加減で暴行をしたのか』が立証できなければ、公判維持は難しい」と冷静に答える一方、もどかしさを感じている。
そこには、疑わしきは罰せず、疑わしきは被告人の利益に……刑事裁判の大原則が大きく立ちはだかる。
だからこそ裕子さんは、新たな証拠を見出すまで、決してあきらめないと前を向く。悔しさ、寂しさ、娘を思う気持ちが揺れ動き、会見前日は眠れなかった。
「娘はなぜ死んだのか」知りたい。そして、「男性は黒に近いグレーな存在だと思っている。尚子には、『絶対に頑張るから待っててね』と言いたい」と話し、今後も再捜査を求めるとしている。