節分の3日、大阪・キタの堂島から北新地一帯で恒例行事、「堂島薬師堂 節分お水汲み祭り」が開催された。

 今年(2023年)は20回の節目。2021〜22年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、お水汲み儀式と薬師堂での法要だけの縮小開催だったが、3年ぶりに北新地クイーンによる華やかな花魁(おいらん)行列や、龍の舞が復活した。

 堂島薬師堂は、593(推古天皇元)年、勅命により聖徳太子が難波の荒陵(あらはか)に四天王寺を造営した際、難破した資材運搬船が漂着した中洲にお堂を建てたのが起源と伝えられる。

「東は玉造に四天王寺を作り、西の方 洲(しま)の中に御堂を建立」との記録も残っており、川に挟まれた「堂島」の地名はこのお堂に因んだという。

 かつて、堂島薬師堂には井戸があり、その水を汲み、本尊の薬師瑠璃光如来にお供えしたという。これがお水汲みの始まりとされる。

 堂島川と曽根崎川に挟まれたこの地は、江戸時代初期に豪商・河村瑞賢によって曽根崎川が埋め立てられて、「新地」と呼ばれるようになった。

 現在の薬師堂は、1999(平成12)年3月に竣工した堂島アバンザ(四ツ橋筋沿い 毎日新聞大阪本社・旧社屋跡)の現代的な建物との調和を図るため、外装のミラーガラス127枚と石で構成した直径7メートルのモダンな球状が特徴。ガラスは、薬師瑠璃光如来にあやかっている(「瑠璃」は「ガラス」の古称)。地元・堂島界隈に生まれ育ち、商売に従事するなどして見守ってきた人々が“都会の中の静寂な空間”に集まり、ささやかな法要が営まれている(現在は毎月20日の日中)。

 コロナ禍で密を避けるため、しばらくは奈良・薬師寺の僧侶、山田裕照師と堂島連合振興町会長・霞流(かすばた)喜久英さんの2人だけの法要だったが、行動制限のない年末・年始となったこともあり、従来の形に戻した。霞流さんは「少しずつ活気を取り戻す年になれば。3年ぶりの節分は楽しみです」と話す。

「節分お水汲み祭り」は、厄払いを祈願する「鬼追い」や「お化け」という節分の風習と、地域活性化を目指して始まった「お水汲み祭り」を一体化した行事として続いている。

 この日の午後、薬師寺金堂に湧き出る井戸水を薬師如来の御宝前で3日間祈祷した「お香水(こうずい)」に大阪天満宮の「天満天神の水」を加えた霊験あらたかな水が竹筒の護符に注がれた。

 そして、薬師堂から2体の鬼が放たれ、堂島から北新地を練り歩き、福豆を投げて厄をはらう「鬼追い」が始まる。

 日が暮れると、堂島薬師堂に祀られる弁財天の化身、龍(約15メートル)が堂島から北新地を巡行した。

 3年ぶりに本格開催される今年(2023年)、白龍として新調された。重さ約50キロ。地元・堂島の「ビジュアルアーツ専門学校・大阪」の学生ら16人が交代で担ぎ練り歩く。約1年の製作期間を経て夜空に舞う白龍、花街からひときわ大きな拍手が起きる。

 北新地の女性たちは、この日は普段とは異なる「お化け」と呼ばれる仮装で華を添える。最大の見どころ、花魁(おいらん)に扮した”北新地クイーン”のパレードも戻ってきた。

 3年ぶり、華やかを取り戻した北新地の夜。「節分」この節目に、誰もが希望を持ち、輝く時間が流れた。

 新地本通でラウンジを営む50代の女性は「コロナ禍でお客さまの姿が一斉に消えた時は、『もう商売はダメか』と心が折れました。でも、お店ではいつも笑顔で接して来ました。こうしてにぎわいが戻った新地が、今夜はひとつになるきっかけを与えてくれたような気がします。さあ、これまでの分を取り戻さないと」と微笑んだ。