2020年、FIA F2参戦初年度ながら、ランキング3位でシーズンを終えた角田裕毅。その活躍により、彼は2021年のアルファタウリ・ホンダのシートを手にし、F1デビューを果たすことになった。彼の活躍には、大きな期待が集まっている。

 しかしこれまでの日本人F1ドライバーたちも、日本のF1ファンを興奮させ、魅了してきた。彼ら歴代の日本人F1ドライバーに関する記事をピックアップ。ここに再度掲載する……。

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 F1マシンは美しい。その中でもひときわ美しいマシンというモノがある。今回取り上げるティレル022は、1994年シーズンを戦ったF1マシン。ヤマハのOX10Bエンジンを搭載し、片山右京がドライブ……一時2位を走るなど、日本人に”夢”を抱かせた1台だった。

 1993年のティレルは非常に苦しんだ。シーズン序盤は使用3年目となる020を使用。この020は投入初年度の1991年には好パフォーマンスを披露することもあったが、さすがに3年目ともなると戦闘力不足は否めなかった。シーズン中盤にようやく投入されたニューマシン021も不発であり、片山右京とアンドレア・デ・チェザリスのコンビをもってしても、1度も入賞することができずにシーズンを終えた。

 そして1994年シーズンにティレルが投入したのが、この022である。1990年から使ってきた”超ハイノーズ”+”アンヘドラルウイング”のコンビネーションは封印。低く細いノーズとなった。カラーリングも、前年の濃紺+白+赤の塗り分けから、白一色に変更。マシン形状もカラーリングも、実にシンプルだった。


 しかしこの022は速かった。テストで初めて乗った時、片山右京も好印象を抱いたと語っている。

 マシンをデザインしたのは、ハーベイ・ポスルズウェイト。後にホンダがF1にワークスチームとしての復帰を目指した1999年、テスト用として登場させたホンダRA099をデザインすることになる人物である。彼は前年F1にデビューしたザウバー最初のF1マシンC12をデザインしており、ティレル022にもその面影が色濃く残っている。

 ティレルとしては初めてセミオートマチック・ギヤボックスを採用。ヤマハのV10エンジン”OX10B”は小型軽量であり、良好なマシンバランスの実現にも寄与した。

 実戦でもティレル022は速さを見せ、開幕戦ブラジルGPでは片山右京が5位入賞。これは片山にとってもF1初入賞である。その後片山はサンマリノとイギリスで入賞。チームメイトのマーク・ブランデルは、スペインGPの3位表彰台を含む、全3回の入賞を記録した。

 しかし、日本人を一番興奮させたのは、第9戦ドイツGPだろう。予選で5番グリッドを獲得した片山右京は、絶好のスタートを決めてミハエル・シューマッハー(ベネトン)とデイモン・ヒル(ウイリアムズ)をパス。フェラーリ勢2台に次ぐ3番手に上がった。そしてその直後、フェラーリのジャン・アレジのマシンにトラブルが発生し後退……片山は2番手に上がった。シューマッハーには抜かれたものの、片山はヒルを抑え、3番手を堅持していた。がしかし、7周目にマシントラブルによりリタイア……片山が後日語ったところによれば、チームの作業ミスにより、スライドバルブが全て緩んだ状態でスタートしてしまったのだという。


 このレースの結果を見れば、フェラーリのゲルハルト・ベルガーが優勝。2-3位にはリジェの2台が入った。ヒルは1周遅れ、シューマッハーも結局エンジントラブルによりリタイアしている。優勝したベルガーも、ギヤボックスにトラブルを抱えていた。

 レースに”タラレバ”は禁物ではあるが、もし無事にレースを走りきっていれば、日本人が初めて表彰台の頂点に登っていたかもしれない。片山も後年のインタビューで、そう語っている。

 その後、佐藤琢磨や小林可夢偉が表彰台に上がり、日本のF1ファンを興奮させた。しかし、F1で優勝した日本人ドライバーはまだいない。1994年7月31日、ホッケンハイムに忘れてきたモノを誰かが取りに行かねばならない……のだろう。

 なおこの年の活躍により片山には、翌年のベネトンのシートがオファーされたという。1995年のベネトンといえば、シューマッハーが王座に就き、チームメイトのジョニー・ハーバートも2勝を挙げたシーズン。ハーバートの代わりに、片山がベネトンを走らせていた……そんな可能性もあったのだ。