今年の2月、「ピースウイング広島」(入場可能数2万8347人)がオープンした。サンフレッチェ広島のホーム・スタジアムである。

2月23日のJリーグ開幕戦(対浦和レッズ)には2万7545人が来場。その後もすべてのホームゲームで2万5000人以上の動員を記録した。昨年の広島の平均入場者数は1万6128人だったから約60%の増加ということになる。

さらに、女子サッカーのWEリーグでもサンフレッチェ広島レッジーナの新スタジアム最初の試合となったアルビレックス新潟戦に4619人が入場。その後も全試合で2000人を動員。大型連休中に行われた長野パルセイロ・レディース戦では3978人が入った。昨シーズンのWEリーグでの平均入場者数は1089人だったから、“新スタジアム効果”はJリーグ以上と言える。

広島のスタジアムは建設費約250億円と言われているが、これだけ観客動員ができれば十分に元が取れる投資だったのではないだろうか。

昨年までの本拠地は1992年に完成し広島ビッグアーチ(広島広域公園陸上競技場)。陸上競技場だからスタンドからピッチまでの距離が遠く、メインスタンドの一部を除いて屋根が付いていなかったし、広島市内からは「アストラムライン」やバスで30分以上かかった。

一方、新スタジアムは広島市の中心に位置し、アクセスは抜群。球技専用なのでピッチまでの距離は最短8メートル。スタンド全面に屋根が付くなど観戦環境も大幅に改善された。また、最初からJリーグでの使用を目的に設計されただけに様々な工夫がなされており、席種はJリーグで最多の42種に分かれ、ラウンジやレストランも充実している。

Jリーグ開幕から30年以上が経過し、最近は球技専用の新スタジアムが相次いで完成している。2016年には大阪府・吹田市にパナソニック・スタジアム、2020年には京都府亀岡市に京都サンガスタジアムが完成。2021年には長居球技場が大幅改装されてセレッソ大阪の本拠地ヨドコウ・桜スタジアムとなった。

これらのスタジアムは、いずれも各Jリーグクラブが指定管理者となって運営されている。

こうした「公設民営方式」の先駆けとなったのは神戸市の「神戸ウイングスタジアム」だ。

神戸市が2002年ワールドカップのために旧神戸中央球技場を全面改装するに当たって、神戸製鋼所と大林組の共同企業体が設計・施工を行い、完成後には両社の共同出資で設立された「神戸ウイングスタジアム株式会社」が指定管理者として運営を行ってきた(現在の運営管理はヴィッセル神戸の運営会社「楽天ヴィッセル神戸」)。

新スタジアム建設の動きはこれからも続く。今年2月には広島のほか石川県金沢市にも金沢ゴーゴーカレースタジアムが完成したし、さらに9月には長崎市に「長崎スタジアムシティ」が完成する予定だ。JR長崎駅そばの造船所跡地に「ジャパネットホールディングス」が主体となって建設を進めているもので、2万人収容のサッカースタジアムのほかバスケットボールBリーグで使用される5000人収容のアリーナを含む複合施設で、スタジアムと一体となったホテルやオフィス等も併設されたスポーツ複合施設となるはずだ。

こうした新しいスタジアムは20世紀までのスタジアム像とはまったく異なるものだ。

かつて、スタジアムは都市近郊の広大な土地に建設され、陸上競技やサッカー、ラグビーの兼用とするのが普通で、その多くが国体(国民体育大会=今年から国民スポーツ大会)のために都道府県が建設したものだ。横浜F・マリノスの本拠地で2002年W杯や2019年のラグビーW杯で決勝戦が行われた横浜の日産スタジアムも、FC東京と東京ヴェルディが使用している味の素スタジアムも、国体のために建設されたスタジアムだ。

ところで、最近建設されているサッカー・スタジアムの多くは西日本に立地している。

東京、神奈川、埼玉といった首都圏の強豪クラブは、すべて20世紀のうちに完成した築25年以上の古いスタジアムを使用しており、その多くが陸上競技との兼用。「スタジアム」という観点から見ると、明らかに「西高東低」なのだ。

なぜなのだろう?

今年は、阪神甲子園球場が100周年を迎えている。言うまでもなく阪神タイガースの本拠地であり、春と夏の高校野球の舞台。


蔦の絡まる外観はいかにも伝統を感じさせてくれる。1924年に阪神電鉄によって建設され、現在も同社が所有している野球場だ(完成当初は陸上競技やサッカー、ラグビーにも使われた)。

阪神電鉄がスタジアムを建設したのは鉄道利用者を増やすためだ。関西では当時から鉄道会社同士の競争が激しく、各社は乗降客を増やすためにターミナル駅に百貨店を建設したり、沿線に住宅地を開発したりした。沿線に娯楽施設を設置することも重要で、たとえば箕面有馬電機軌道(阪急電鉄の前身)は1913年に宝塚温泉で少女唱歌隊の公演を行い、それが後に宝塚歌劇団に発展した。スタジアム建設もその一環なのだ。

1915年には大阪の朝日新聞社が中等学校優勝野球大会(夏の甲子園の前身)を開催した。新聞社も読者獲得のためにスポーツ・イベントを利用したのだ。

第1回大会の舞台は箕面有馬電気軌道所有の豊中運動場で、第3回大会から阪神電鉄所有の鳴尾運動場に移ったが、大観衆が押しかけたため会場が手狭になった。そこで、阪神電鉄が日本初の本格的野球場の建設に乗り出し、後に同電鉄社長となる野田誠三らが渡米して本場の野球場を視察して日本初の大規模野球場が設計された。

その後、野球場の南には球技兼用の陸上競技場やテニスコートが建設され、甲子園は関西を代表するスポーツ・コンプレックスとなった。

甲子園球場と同じ1924年には、東京にも日本初の本格的な陸上競技場が完成した。現在の国立競技場の前身、明治神宮外苑競技場だ。

1912(明治45)年に崩御した明治天皇を祀る明治神宮が代々木に造営され、純日本式の神社と広大な人工の森が広がる「内苑」が造られた。同時に、千駄ヶ谷には聖徳記念絵画館や芝生広場、銀杏並木を中心とした「外苑」が設置され、その主要施設として競技場が建設されたのだ(2年後には明治神宮野球場も完成)。

明治神宮を管轄したのは国=内務省だった(戦前の日本では神社はすべて内務省の管轄だった)。従って、競技場建設も内務省の手で行われ、競技場が完成した1924年秋には同省主催で第1回明治神宮競技大会が開催された。国体の前身だ。

つまり、同じ1924年に完成したのだが、甲子園球場は民間企業である阪神電鉄によって建設され、外苑競技場は内務省つまり国家によって建設されたのだ。

戦後になってプロ野球ための野球場は民間主導で建設されることが多くなったが、陸上競技場(球技兼用)はほとんどが各自治体によって建設された。

1993年のJリーグ後、サッカーに多くの観客が集まるようになり、2002年ワールドカップをきっかけとして各地に大規模スタジアムが建設された。だが、すべてが自治体によって建設され、そのほとんどは陸上競技との兼用だった。自治体が公費で建設する場合、公平の観点からサッカーだけを優先することはできなかったのだ。

だが、陸上兼用スタジアムは観客にとってもJリーグクラブにとっても使い勝手が良くなかった。そこで、最近10年ほどで西日本各地に民間主導で球技専用のスタジアムが次々と建設されるようになったのだ。

だが、東日本のクラブは依然として25年以上前に行政主導で建設された兼用スタジアムを使い続けている。

新しいコンセプトに基づいた複合施設型スタジアムが西日本に多いのは、甲子園球場以来の「民間主導でスタジアムを建設する」という伝統が今も生きているからなのかもしれない。一方、東日本では行政頼みから脱却できていない。それは江戸時代に商都として発展した大坂と、幕府のお膝元であり、明治維新後は“帝都”となった江戸・東京との違いなのかもしれない。

だが、東日本の大規模スタジアムも間もなく築30年を迎えて老朽化の時期を迎える。民間主導のスキームで新しい専用スタジアム建設を考える時期に来ていることは明らかだ。

文:後藤健生