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 今でも時折このような疑問の声が聞かれることがある。なぜペップ・グアルディオラ監督は、ガブリエル・ジェズスとオレクサンドル・ジンチェンコをアーセナルFCに手放したのだろうか?なぜペップは、リロイ・サネとジョアン・カンセロをバイエルン・ミュンヘンに手放したのだろうか?しかも後者に至ってはレンタル料さえも受け取ることなく!しかし最後に笑うのは常にペップだ。サネはこれまでミュンヘンでマンチェスター時代のような輝きを見せていない。そしてカンセロはその片鱗をみせはしたものの、もはやその買取りオプションに含まれた7000万ユーロの価値をみせたとは言い難い。

 移籍当初はデビュー戦となったマインツ戦、そしてヴォルフスブルクでのブンデスデビュー戦のいずれにおいても、アシストを記録し「これが僕たちが希望していたボールだよ。」とレオン・ゴレツカは興奮気味にコメント。「ボールがどこにいくべきか。それを理解していることがわかるんだ。しかもそれを実際に体現してみせる技術も持ち合わせている。間違いなくチームの力となってくれるよ」と述べていたように、バイエルンではそのフックやフェイント、クロスやドリブルといったSBとしての全ての要素が発揮される、かに思われた。しかしながらその後にポルトガル代表が攻撃面で効果的な働きをみせることは余りなく、時に自陣でドリブルを仕掛けてロスト。窮地に追い込むこともしばしばで、ほどなくベンチに座ることになる。

 気づけばむしろバイエルンの同僚たちがみせていた、電話を耳に当てながら話しているような様子でメディアの前を通り過ぎるという、ピッチ外におけるテクニックを披露していった。出場機会の少なさは当時のユリアン・ナーゲルスマン監督も「楽な状況ではないだろう」と心中を察していたものの、本来はカンセロにとって4バックがマッチしていることはクラブ側も承知していたが、加入からほどなくして変更した3バックが問題の1つに。その後に就任したトゥヘル監督は、デイヴィースの負傷離脱でカンセロを左サイドバックとして起用していくようになるも、いずれにしてもバイエルンにとって右サイドで創造性をもたらせる存在は、現時点ではジョシュア・キミヒ以外には見当たらないことを証明する結果となっており、よほどの値下げに応じない限りはバイエルンを後にすることになるだろう。なおカンセロ自身はスペイン行きを希望しているようだ。