背負う「1・17」で失った友の背番号7 元プロ、現社会人野球選手の松本幸大さん

背負う「1・17」で失った友の背番号7 元プロ、現社会人野球選手の松本幸大さん

 24年前に亡くなったチームメートの背番号「7」を背負い、今も白球を追う。プロ野球のロッテ、オリックスを経て、軟式の社会人野球に転じた松本幸大(こうだい)さん(38)=神戸市東灘区。中学生の時、親友の大浅田(おおあさだ)一郎君=当時(14)=が阪神・淡路大震災の犠牲となった。優しい性格で誰からも愛され、「ペチ」と呼ばれていた。生前に約束したプロ入りを果たせたのは、「いつもペチが心にいてくれたから」と振り返る。(初鹿野俊)


 松本さんと大浅田君が親しくなったのは神戸・東灘小学校3年のころ。大浅田君はガキ大将タイプの松本さんとは正反対の「おっとりしてて、どんくさくて、シャイ」な少年だった。すぐにほおが赤くなるから、あだ名は菓子メーカーのキャラクター「ペコちゃん」をもじった「ペチ」だった。

 2人は誕生日も学習塾も同じ。放課後は毎日遊び、松本さんが少年野球チーム「芦屋トライアルズ」にも誘った。当時の背番号は主将の松本さんが「10」、外野手の大浅田君は「7」。松本さんが「俺、プロになる」と夢を語ると、「まっつんやったら、でけるよ」と勇気付けてくれた。

 震災は本庄中学校2年の時に起きた。松本さんの家族は無事だったが、2〜3日後、同じ区内の大浅田君宅を訪れて息をのんだ。一家4人が住んでいたマンションが倒壊していた。「ペチ、うそやろ」。親友の死を覚悟した瞬間だった。

 何も手に付かず、連日マンションに足を運んだ。ある日、活動中の自衛隊員に「確認してもらえませんか」と呼び止められた。遺体の身元確認と直感し、足が震えた。「見られません」と告げ、逃げるように立ち去った。1人で泣いたと思うが、当時の記憶はあまりない。後に一家は4人とも亡くなったと知らされた。

 野球の練習を再開できた後、「あいつはもうボールも握れない」と思うと、一つ一つのプレーに気持ちがこもった。左腕投手として評価され、強豪の育英高校に進学。厳しい練習に心が折れそうになると、「ペチはもっとつらかったはず」と自分を奮い立たせた。

 社会人野球を経て2006年、ロッテからドラフト8位指名を受けて入団。その後、オリックスでもプレーした。憧れの世界では、なかなか活躍できなかった。「家族に弱気は見せられなかったが、ペチには相談できた」。大浅田君の写真に話し掛けてから球場に向かうのが日課だった。

 13年のシーズン後に戦力外通告を受け、5年前から港湾運送業「後藤回漕店」(神戸市中央区)の軟式野球部に所属する。最初に背番号を選ぶとき、「7」が空いていると知った。ペチと一緒に−。即断した。

 「俺はこの年齢になっても、まだユニホームを着てるで」。コーチ役が主となった今も、心の中で大浅田君によく語り掛ける。「まっつんやったら、まだまだでけるで」。そう言ってくれるような気がする。


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